デリザスタ、という男を一言で表すのなら、「我儘」が最も近いだろう、とセルは思っている。
自分が「楽しい」と感じたことにとことん執着し、その癖飽きが回るとパタリと興味を失ってしまう。
元々才能のある御方だ。執着には相応の結果が伴う。それなのに、自分の気分次第でどこまでも身勝手に、
すべてを白紙に戻す。だが、それがお父様の子、という肩書きの威を借りているのではなく、
自身の実力で圧倒して成しているのだから、驚きだ。
だからといって、我儘すべてが罷り通っていい理由にはならない。
その我儘さに、セルはお父様に頼まれ、長い間振り回されてきていた。
幼い頃は、あれがほしいこれがほしいとおもちゃを強請り、断れば泣き喚いたりお父様に言うぞなどと脅されたり、
その度宥め、あやし、時には我儘も聞いてやり、根気よく育てたつもりだった。
それなのに、当の本人は実質の育て親のセルに感謝もせず、それどころか我儘は度を超し、
年を増すごとに規模を拡大しているようだ。しかも、そこに生来の強さが加わってしまえば、
誰もデリザスタに文句は言えない。「デリザスタの快楽のため」の囲いなんてものも今では存在する。
周りの影響もあって、もうずっとデリザスタは遊び放題だ。セルの苦労も知らずに。誠に遺憾、それでしかなかった。
今だってそうである。お父様に現在進行形で呼び出されているにも関わらず、
ベッドの上で美女と戯れている。本当、こちらの身にもなってほしい。なにが楽しくて、
こんなものを見せられているのだろうと、セルは怒りを禁じ得ない。
「デリザスタ様、何度も申し上げますが、お父様がお呼びです。今すぐ服を着て、私に着いてきてください」
「はぁ?水差すなよ、セル坊」
ぴきり、と米神が浮き彫りになるのが分かった。対称的に、デリザスタは気分良さそうに灰色の煙を吐き出し、
パイプを手で弄ぶ。空いた手で女のブロンドの髪を撫でると、女は色っぽい笑顔でデリザスタに懐いた。時差があってから、
むせ返るような不健康な煙たさと、僅かな甘みを感じる匂いを鼻に感じる。いつもとは違う銘柄だった。
もう何回、こんな会話をしているだろうか。考えたくもない。もう今すぐ叫びだして帰るか、別の人間に任せて帰りたい。
だが、お父様からの命令を無視するなど言語両断であり、またセル以外の人間にデリザスタの相手が務まるとも全く思えない。大方、酷い言葉で一蹴されるか、機嫌が悪ければ殺されて終いだ。
セルが言うのも何だが、デリザスタは命を奪うという行為に躊躇がなさ過ぎる。本当に、極まった自分主義者である。
そんなデリザスタを相手するのは、幾ら慣れているセルであろうと多大な心労を要する。
怒り出してしまうそうな心を必死に宥め、話し合いでの迅速な解決を試みる。
「ですがデリザスタ様。この茶会はもう先月から決まっていたことではないですか。今更中止にするなんて…」
「いいじゃんか、別に。今までだってそうしてたんだし」
ああそうだ、だから来いと言っている。そもそも、今日の一家での茶会はお父様が直々に提案したもので、
もう随分前から話は始まっていた。それをデリザスタが当日にブッチし続けて、ようやく今日の開催で落ち着いたのだ。
それを当然のように受け入れられていては話が違う。すべて、お父様や他の兄弟の協力があってこそなのだ。享楽主義もいい加減にして欲しかった。
「お父様が開催されたんですよ。少しでもいいから、出席してください」
「だからぁ、めんどクセーんだって。来週なら行けるわ、オレっち」
「そうやって先月も仰ってました。お父様や兄弟の方々がお待ちですから、早く」
まずい、あと数分で会は始まってしまう。セルは焦っていた。今まで、なんだかんだ言ってデリザスタは家族の集まりには参加してきていた。すぐに帰ってしまうことも少なくなかったが、出席するだけでも意味のあることなのだ。それが、今日はどうしたというのだ。時間が迫ってきていることを告げても、腰を上げ遊女を下がらせるどころか、ベッドに深くもたれ、動かんとする素振りは少しもない。加えて、どこか虫の居所さえ悪そうに見える。こうなったデリザスタ様を連れて行くのは本当に、本当に怖くて嫌なのだけれど、それでもセルはお父様に失望されることの方を恐怖した。
「お願いです。本当に、数分でも出席したらそれでいいのです。お父様も楽しみにして」
「だぁからぁ、うるせぇっつってるんだよ、セル」
お父様、という単語を出したとき、突然にぴり、と空気が重くなった。あー、やっちゃった、とセルは思った。
どうやらセルは、デリザスタの地雷を踏んだらしい。
「てかさぁ、さっきっからお父様お父様うるせぇんだよ。どうせ、オレっち達のこと道具としか思ってないだろ」
セルは今まで、ほとんどデリザスタを本気で怒らせたことがない。前回はもうずっと前のことで、まだデリザスタが年端も行かない頃だったはずだ。
その時の攻撃は可愛いものだったが、それを今の能力でやられたらひとたまりもないのだ。死にたくないよ、と打開策を次々考えるが、もう逃げるくらいしかなさそうな状況が本当に不本意極まりない。
先程まで戯れていた女はというと、もう既に姿を消している。いつ下がれと命じていただろうか、デリザスタの枕仕事を務めるだけはある。お父様にも、申し訳ないことをした。四肢がなくなっていたら、頑張ったことくらいは認めていただけるだろうか、それとも利用価値がなくなったと見放されるだろうか。
ほとんど諦めてぼんやり考えていると、ベッドから飛び降りたデリザスタは、
鼻がくっつきそうなほど近くでセルの目をじっと見ていた。
「あのさ、オレっち今すごいイラついてるんだわ」
「……申し訳ありません」
自然な仕草で、失礼にならない程度にすっと目を逸らす。
デリザスタに覗き込まれるのが、セルは苦手だった。
すべてを見透かしているようなあの目は、彼の性格に似つかぬ別の恐ろしさを備えている。
だが、そんなセルにデリザスタは更に機嫌を悪くしたようだった。しかしここは気分屋、少し黙ってから、「あ」と何かを思いついたような声を上げた。
「いいよ、じゃあ。出てやっても」
「ほっ、本当ですか?」
「オレっち嘘はつかないからね」
いやどの口、と正直思ったが、正直は時に自分の首をはねる。勿論黙っていた。
「でもさー、こっちも譲歩してやってるわけだから、
そっちからもなんかしてもらわねーと、不公平っつか、おかしいよな?セル坊」
悪いことを企むときの眼。セルには分かるのだ。長年の経験から。そして、少しもデリザスタが変わっていないから。
恐らくだが、デリザスタは「あれをしろ」とは自ら言わないつもりだ。自分でどうやったら許してもらえるか考えろ、ダメなら殺すから、という思考が、言葉の端々に溢れ出ている。
簡単に言うと、パリピが陰キャに、「お前なんかおもしれーことしろよ」と言われている状況と同じ。胃が痛かった。
対してデリザスタは、ワクワク、ウキウキ、といった顔でこちらを窺っている。正直、そんなもん出てこない。この方の無茶ぶりには、セルでさえ事前準備が必要だ。満足させる一言なんて、何日考えてもピンポイントに出せそうになかった。
だから、セルは最後の切り札を切った。
「……でも、………す」
「え?ナニ?」
「なんでもしますから!お願いです、茶会に出てください!」
言ってしまった。もうセルは、逃げ出したくてたまらない一心だった。
だって、あのデリザスタだ。そんなやつに、なんでもする、なんて言ったら、とんでもないことを強制してくるに決まってる。だから嫌なのだ。
デリザスタは、分かっていたのだ。こういう質問をすれば、セルはとりあえず自分に選ばせるという判断をするだろうと。
それが、一番現実的かつ失敗率が低いから。にや、とデリザスタが一笑いしたのを見て、セルは己の過ちを悟った。
だがもう遅い。デリザスタが服を着始めたのだ。
「ん、いい返事。じゃあ行くわ」
今までの苦労は何だったのだろうと言いたくなるほどあっさりした物言いに、セルは疲れで力が抜けそうだった。死ぬかと思った。どうやら、一命は取り留めたらしい。余裕があれば、茶会の様子を窺おうと思っていたが、そんな余力は残っていない。
「あ、そーだ。もう決めてあるから」
はい?とその質問の意味を問うより先に、セルの前にチャリ、と手のひらサイズの鍵が落とされた。
「茶会が終わったら、すぐにオレっちの部屋に来い。ケツも準備しとけよ。遅刻したら殺すからね~」
いってきまーす、とドアを翻し、デリザスタは言いたい放題言って出て行った。セルは、手の上の鍵と、言葉の理解に苦しんでいた。だが、それがいわゆるそういうことだ、と分かった瞬間、セルは自身の教育の失敗を悟った。
なぜなら一度も、性教育をしていなかったことに、今更気が付いたから。セルは床に突っ伏し、羞恥と恐怖と不安を込めて、「クソが!」と叫んだ。
集合時間ぴったり。ガタンッ、と乱暴にドアが開いて、小走りにデリザスタは入室した。
「デリザ、珍しいな。お前か約束通り来るなんて」
「まぁね。オレっちだって、約束くらいはちゃんと守るからさ」
「ん?何の話だ?」
「別にぃ~」
ティーカップを手に取る。一口啜ってから、酒と煙草が恋しくなってすぐにソーサーの上に戻した。
いつもなら勝手に懐から酒を取りだしてもおかしくないが、そうはしなかった。すべてが思惑通りに行き、
順当に行けば今頃自室で慣れぬ手つきで自身を解す男がいるであろうことに、いつにない満足感を得ていたからだ。約束はちゃんと守る。でも少しだけ早く帰ってきて、焦るセルを眺めるのは絶対に外せない。あぁ、楽しみだ。
楽しみをとっておくというのは、こんなにも気分が良いのか。
その日、いつもよりやたら機嫌のいいデリザスタを、父兄達は不思議そうに眺めたらしい。
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