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薄暗い建築現場に裸電球のライトをつけると、紫雨はスマートフォンを翳して寝室になる予定のむき出しの柱と断熱材を写真に収めた。
こうして部屋ごとに同じ角度で写真に残し、家が出来るまでのアルバムを制作するのだ。
会社からは引き渡し時に写真データを入れたCDROMがプレゼントされるが、検査記録用に工事課が撮った写真は無機質で、味気ない。
これから何十年と住むことになる住人にとって、自分の使う部屋の工程が記録に残っているのは意外と嬉しいものだ。
紫雨は週に1回以上、現場を訪れては、家が出来る工程を記録し、引き渡し時にアルバムにしてプレゼントをしている。
アルバム冊子代で3000円、写真の現像代は7000円を超えるが、高いと思ったことはない。
引き渡し時の満足度が、そのまま既存客の顧客紹介率に反映するからだ。
知り合いや親戚に紹介された客は、それだけで熱い。家に住んでいる生の声、しかも親戚や友人の言葉は、信憑性が高いのだ。
年間成績の実に2割以上が、この紹介によるものであるため、気は抜けない。
紫雨は一通り撮り終わった現場を振り返ると、ため息をついた。
と、まだビニールに覆われた玄関ドアから何やら物音がした。
カチャカチャと鍵を回す音。
「あれ?開かないな」
とぼけた声が聞こえてくる。
「……開いてんだよ、ボケ」
小さな声で毒づいたところで、ドアが開いた。
「……あ、お疲れ様です!」
そこには真新しい作業着を着た新谷が立っていた。
「明日?構造見学」
「そうです!大事な現場、お借りしますね」
新谷はニコニコ笑いながら、自分のスリッパを袋から出すと、現場に上がった。
「……自分の作業着買ってもらったの?」
言いながら篠崎の物を着ていた時とは違い、弛みのない作業着の腰当たりをぐいぐいと引っ張る。
「篠崎さんには“Mかよ、小せえな”って笑われました」
(……俺もMなんだけど)
こめかみあたりが突っ張る。
いや、篠崎よりも腹立たしいのは、現場と言えど二人きりの空間に何の躊躇もなく入ってくるこの男だ。
(あんな目に合わされたのに。怖くねえの?俺のこと)
口を開けた間抜け面で、現場を見まわしている新谷を見る。
(……ムカつくなぁ…)
思いながらその背後にそっと近づいた。
「……あっ」
新谷が間抜けな声を出す。
「え?」
「現場ではヘルメット。これ、必須だから」
言いながら彼の頭に被せた自分のヘルメットの顎ひもに手を掛けた。
「すみません。まだ実はメットが届いていなくて……。明日はマネージャーに借りることになってるんですが……」
その言葉に何だかカチンとくる。
「きつ。君、結構頭大きい?」
顎ひもを乱暴に緩める。
「いえ、紫雨さんの顔が小さいんだと思います」
ほとんど目線の変わらない新谷が微笑む。
(何それ、褒めてんの?)
「……君って、変な奴だよね」
言うと、彼は少しヘルメットの位置を調整しながら紫雨を見つめた。
「そうですか?リーダーも相当ですけど」
「はぁ?」
言い返そうとすると、彼はフフフと笑って、何やらバッグから取り出し、それを見ながら声を張り上げた。
「本日は構造現場見学会にお越しいただき、ありがとうございます」
突然始まったリハーサルに、紫雨は目を見開いた。
「お客様は、構造現場なんてご覧になったことはないかと思うので、簡単に、本日の見どころをご紹介したいと思います」
ちらちらと手の中のメモを見ている。まだ暗記はしていないようだ。
「まずご覧いただきたいのは、柱の太さ、柱の多さです。家というものは普段、ボード隠され、クロスで覆われています。
ぜひ家にとって重要な中身を、これを機会にとくとご覧ください。写真に撮ってもらっても構いません。
ネットにはいろんなメーカーの構造見学会の様子が載っていると思いますので、そういう写真と見比べていただくだけでも、セゾンの柱の太さと、多さが、わかると思います」
去るタイミングを逸した紫雨は、仕方なく大工が組んだ簡易的な作業台の上に腰を下ろし、ワンマンショーを見守ることにした。
「次にご覧いただきたいのが、断熱材です。従来の断熱材は、ウール製の綿のようなもので出来ているのが主流でした。ですが、これは定年劣化でへたってきますし、所によってはカビも生えてしまいます。
想像してみてください。壁の中には、カビた断熱材がびっしり…。これじゃあ体に良いわけはありませんよね」
言いながら断熱材を指さす。
「セゾンで採用しているのは、この発砲型の断熱材です。これは経年劣化によるへたりもなく、何より湿気に強いという特性があります。発泡スチロールで出来た船がプールに浮かぶのをご想像いただければ、お分かりいただけると思います」
言い終わると、メモを見ながら何か考えるように首を傾げている。
「……まさかとは思うけど」
紫雨は作業台に片膝を立てながら口を開いた。
「終わり?」
「あ、はい」
新谷が慌てて振り返る。
「誰に教えてもらったの?それ」
「えっと、渡辺さんに」
「……ナベか」
主任になり、拍が付いてきたと思ったが、彼もまだまだのようだ。
「本番では、会話を交えながら和気あいあいと……」
図らずもため息が出る。
「和気あいあい?」
そして睨み上げる。
「客の想像力に頼りすぎ。相手は素人なんだよ?」
言うと、紫雨は自分用に準備していたファイルを取り出した。
「柱の太さや数が、ネットの小さな写真でわかるもんか。ちゃんと今見せるんだよ、ほら!」
A3サイズに広げた現場の写真を見せる。
「……これって?」
「地元工務店の実際の現場。名前を出しちゃうと誹謗中傷になるから秘密だけど」
「すごい。全然違う……」
新谷は目を丸くした。
「昔からセゾンの家は、“向こう側が見えない”ってよく言われんの。それは、柱が太くて多く、筋交いもしっかり入ってるから。わかった?」
「はい、すごくわかりやすいです」
紫雨は呆れながらファイルを捲った。
「これ、実際に断熱材がカビてへたった壁」
「……うわ」
黄色い断熱材が、真っ黒く変色して下のほうに固まっているのを見て、新谷が思わず口に手を当てる。
「この写真は?」
「俺の客の解体現場。許可取って写真撮らせてもらったの」
「へえ」
食い入るようにそれを見ながら新谷が頷いた。
「こういう実例があると、説得力が違いますよね……」
紫雨はその純粋な反応にまたイラつきながらファイルを閉じると、それを新谷の腹あたりにぐいと押し付けた。
「え?」
「貸す。明日1日。終わったらこの作業台に置いといて。俺も午後からだから」
「……いいんですか?」
目を丸くする新谷を睨みながら、鞄を持ち上げる。
「メットも、な」
「あ、ありが……」
言い終わらないうちに、紫雨は振り返り、新谷を睨み上げた。
「これで、貸し借りナシだから」
そして包帯を巻いている右手を見下ろした。
「じゃあね、新谷君。怪我、お大事に」
言いながら紫雨はドアから出た。
(何やってんの、俺)
まだ凹凸のある整っていない土地に、足をとられながら歩き、道路にジャンプして着地すると、紫雨は顔を上げた。
と、路上に停めた自分のキャデラックの後ろに、新谷のコンパクトカーがぴったりつけて停まっているのが目に入った。
(……つまり俺がいるの初めから知っていて、単身乗り込んできたってこと?)
「やっぱムカつく奴……」
言いながら紫雨は現場を振り返って、舌打ちをした。