※ご本人様方には一切の関係がありません
※スクショ、拡散等々、他方にご迷惑になることは止めてください。
「最悪だ…」
下校時刻をとうに過ぎた、人気の無い昇降口にて。服と髪の先を少しばかり湿らせた剣持は、恨みを込めたように空を睨み鬱々しく独りごちていた。
課題の調べ物があるから、と友人達と別れ、図書室で一時間ほど過ごし。満足のいく成果が得られた頃には窓越しの空模様は怪しく、朝に夕方頃からゲリラ豪雨、と予報されていたことを思い出し慌てて荷物を纏めて。小走りで階段を下り昇降口で履き慣れたローファーに踵を通し、さあいざ帰らん、と踏み出した途端だった。
ポツンと生ぬるい雨粒が頬を叩いて、それにつられて空を見上げれば、次の瞬間には薄暗く分厚い雨雲から馬鹿みたいな量の雨が降り注ぎ、慌てて昇降口に後戻りしたというわけで。
バケツを引っくり返したかの如く、外は正しくゲリラ豪雨だ。自他ともに認める優等生故、通学鞄に折り畳み傘が鎮座しているが…こんな異常気象ではどんなに立派な傘でも吹き飛ばされるであろう中、下位互換の折り畳み傘で乗り込めばどうなるかなぞ容易に想像がつく。愛用傘を今日で失いたくはない。
となると帰る手が無く、また図書室に戻るのも気分が乗らず、諦めて青ザラ板の上に座り込みガラスの向こうの地獄絵図を眺めることにした。昇降口は開けられているため、時折湿った風と雨の匂いが入ってくるが思ったよりも嫌ではない。…あとどのくらいで止むだろうか。
特段することも無く、鞄を脇によけ片膝を抱えながらぼぅ、と地面に打付け溜まりを作る様子を眺める。
この豪雨じゃ外部活は大変だろうな、だとか、家でお母さんが慌てて洗濯物取り込んでるんだろうな、とか、取り留めもないことを思っては消えて。
どのくらい時間が経ったのか、激しい雨音に耳が慣れ、座っていた青ザラ板が体温を吸ってぬるくなってきた頃。
「あれ、刀也さん?」
「…がっくん?」
ふと、家族と同じくらい聞きなれた声が後ろから降り掛かる 。
剣持が頭を傾けると、幼馴染である伏見ガクが珍しく制服をきっちり着こなし立っていた。まさかいるとは思わなかった、なんて分かりやすく目をまん丸にして、それからすぐに嬉しそうに屈託なく笑いすぐ傍まで小走りでやってくる。外は雨なのにここだけ太陽が咲いたみたい、なんて。
「とやさんも今帰り?」
「いや、ちょっと前に帰ろうと思ったらアレで」
「あ〜、急に降り出したっすもんね…あれ、でもとやさん傘は?いつも持ってるだろ?」
「折り畳みならあるけど、あの中じゃ死にに行くようなもんでしょ。別に用事も無いし、止むまで待ってもいいかなって」
伏見は納得したように頷いているが、視線を下ろせば彼の手にはしかと長傘が握られている。朝一緒に来た時持っていたか、と首を傾げた剣持に、伏見は結構前に学校に忘れてったやつ、と頬をかきながら答えた。そういえばそんなこともあったか。
「いや〜こういう時のために置き忘れたんだよな」
「嘘つけ、忘れたァ!!って道端で叫んでたろ」
「そぉれは言わない約束だろぉ!?もー…じゃあとやさんも一緒に入ってくか?」
「お断りします」
「なんれぇ!?」
伏見が百パーセント善意の笑みを向けて言い放った言葉を剣持が即座に拒否すれば、面白いくらい反応してくれる。それにくふくふと笑いながらもそりゃそうでしょ、と肩を竦めて返した。
「そんな媚びの塊みてぇなことしねぇわ」
「善意なのにぃ?この雨だし誰か見てるわけでもないですって」
「僕が媚びだと思うからやだね。それに、普通の傘でもあの中を二人で帰るのはキツいって」
「それは…確かに」
「んふっ、納得すんのかい」
んぁ〜、となんだか気の抜ける返事のようなものをしながら、とすんと隣に座った伏見に剣持は目を瞬かせる。当の本人はスマホ片手にあと三十分くらいで止みそうっすね、とレーダー予報を確認していた。
ゲリラ豪雨とはいいつつ、少し時間の経った雨模様は最初よりも幾分かマシだ。故にてっきり、すぐに帰るものかと思ったのだけど。
「いや、別にがっくんは先帰っていいんだよ?」
「流石に刀也さん置いてじゃあ、なんてしないっすよ。久しぶりに一緒に帰りたいしな!」
「……、そう…」
「ていうかとやさん濡れてるじゃないっすか!?確か鞄にタオルが…はい、これで拭いて!」
「え、いや、いいよ大したことないし、」
「いーから、ほら!」
「ぅわっ」
一緒に帰りたい、だなんてあっさりと言い退ける伏見に一拍言葉に詰まり、しかし次には目敏く制服やら髪やらが湿っていることに気が付かれ早急にタオルを被せられた。ふわりと伏見が使っている柔軟剤が香って体温が上がるのを感じるが、それを悟られまいと顔を背けて拭いてくれようとする伏見の手から逃れる。
そんな剣持の心情もお見通しみたいに伏見は緩く笑って、それ以上は手を出さずほんのり色付く首筋を見ていた。
「いい、自分でやるから…ありがとうございます」
「いいんだぜ、とやさんすーぐ体調崩すんだからなぁ」
「うるさ。…ていうか、がっくんにしては珍しくちゃんと制服着てるけど、そういえば二者面談だったんだっけ?」
「あー、そうなんだよ。面談だから着直したけど、ちゃんと制服着ると似合わないんだよなぁ…」
痛いところを突かれたくなくて強引に気になっていることへ話題を変えた剣持だが、伏見は特に気にすることなく自分の風体を見下ろした。
それから少し恥ずかしそうに眉を下げ、第一ボタンまでキッチリ閉められていたシャツを全て外す。下の赤インナーとネックレスまで見えるようになると、袖を肘下まで捲りズボンにしまっていた裾も引き出して、いつも通りの伏見ガクにまで着崩していた。
伏見は剣持のひとつ上である三年生で、もうあと半年後には受験が控えている。それに向けての大切な二者面談だったのだろう、根が真面目な彼はいつもの服装だと駄目だと思ったらしく、急遽校則に合わせて真面目風に見せようとしたわけだ。
…そんなことしても普段の伏見を見ている担任ならば建前だとわかるはずなのだけど、面白いから指摘してやらなくていいかと剣持はひとつ笑った。
「別にいいと思うけどね、真面目伏見」
「どうにもカッチリ着るのは合わなくてさぁ…刀也さんみたいな優等生!って感じだったら似合うかもだけど」
「んふ、がっくんが優等生とか想像出来ない」
「はァ!?失礼な!!ちゃんと優等生してますぅ〜、勉強だってとやさんに教えて貰いながらやってるし!」
「毎回思うけど、なんで高二の僕が高三のがっくんに教えてんだよ。逆だろ」
「いやぁとやさんの授業分かりやすいもんで…いつもありがとぉな」
別にいいけどね、と言う己の顔が緩んでいるのが分かる。実際テスト前には必ず僕か伏見の家に二人集まるし、休憩を挟みつつも朝から夜まで、高頻度で泊まることも多々。家が近い上幼馴染だから互いの両親とも仲が良く、第二の家族と言って差し支えないほど。
…けれどそれも、あと数ヶ月で終わってしまう。だって伏見は、大学に行ってしまったら少し遠くに一人暮らししてしまうから。こんなに気軽に会えなくなってしまうから。
朝、いつもの曲がり角で待ち合わせすることも、同じ学校内で鉢合わせることも、恒例のテスト勉強だって、あと少しで無くなってしまう。
「勉強しなきゃなら尚更、帰った方が良かったんじゃないですか?」
あと少し、なんて脳裏によぎってしまえば、意図せず冷たい言葉を投げかけてしまった。
間違ったことは言っていないと思うけれど、でも、折角の二人の時間を自ら手放してしまうような提案をしたいわけじゃなかった。ただ、冷たく固まる胸の奥から目を逸らしたいだけ。
今までの日常が突然変わってしまうことがずっと怖くて、伏見がいなくても大丈夫だと思いたくて、彼の顔が見れないまま、肩に落ちたタオルで髪を拭く振りをする。
「このくらいの雨なら、一人でも帰れそうだし。受験生の貴重な時間でしょ、こんなとこで浪費してる場合じゃ」
「……刀也さんは、俺といるの嫌?」
捲し立てるような剣持の声に、優しく被さるのは一人だけ。
いつの間にか大きくて温かい手のひらが僕の手を覆っていて、握りしめて冷たくなっていたそこがほどけていくような感覚がした。思わず彼を見上げるように顔を向けると、眉を下げ、しかし真っ直ぐに剣持を見据える琥珀色があって。
ここ、学校、だなんて思考が現実逃避のように浮かんで消えた。すぐにその手を振り解けなかった時点で、僕の敗北は決まったようなものなのに。
「、そういうわけじゃ…なくて」
「うん」
「ただ、……だって、」
らしくもなく言葉に詰まり、幼い子供のように中身のない言葉を吐いては視線を彷徨わせる。きっと伏見には全てを見透かされていて、その上で、待っていてくれている。
雨の音が一層強くなった。上手く紡げない声が、このまま雨音に呑まれて聞こえなくなればいいのにと。ぐちゃぐちゃな頭の隅でそう願った。
「…………」
「……俺ね、今すげー頑張って勉強してるんすよ。それは一番近くで見てきてくれたとやさんが、一番知ってると思う」
とうとう口を閉ざし目を逸らしたままの剣持に、それでも優しく微笑んだまま、伏見は重ねた手に力を込めた。
「俺の目指してるトコ、ちょぉーっと今の俺じゃあ頭が足りないけど、それでも行きたい。…なんでか分かる?」
「…、?」
「あのな、……とやさんが、行きたいって言ってたとこだから」
再び剣持が視線を戻せば、今度は照れたように頬を赤く染め剣持を見返す姿が映った。一つ二つと目を瞬かせ呆けていれば、慌てたように片手で大きく言葉を続ける伏見。
「やっ、モチロン俺が学びたいこと学べる学科に行くぜ!?それがあるから選んだってのもあるけど、その、やっぱさ、一番の理由って考えると、刀也さんの第一希望だから~ってなっちまうなぁ、て……いうのでぇ…」
しどろもどろに顔を真っ赤にさせながら弁解のような言い訳のような言葉を並べる伏見に、剣持はいつの間にか張っていた心が解けていくように思えて。
「……自分の意思、もてよ」
「そ、れはそうかもだけどぉ、俺の意思で選んだんですぅ!だってそしたら、また刀也さんと同じとこ通えるだろ?時間によったら一緒に通学できるかもだし、勉強会だってできるし、あっ、なんなら俺ん家の方が大学近いから、一緒に住めるぜ!」
「、ふっ、早とちり、しすぎだろ…まだどっちも受かってすらないのに、」
「ヴッ、でも想像するのは自由だろぉ!絶対楽しいだろうなぁ、しかも大学生になったら今じゃ出来ないことも出来るんだぜ!そんなん、とやさんと一緒の方がずっとずっと楽しいだろ?」
さも当たり前みたいな顔で、こいつは。
つまりは、なんだ。僕の第一希望の大学だから自分もそこを選んだのか。また今までみたいに一緒にいれるからって。……そんな、そんな理由でさぁ。
太陽みたいな笑顔で楽しげに‘二人での未来’を語る伏見に対し、ぼすりと片腕枕に顔を埋める。タオルも被っていてよかった、横から見たら高熱を持った耳が丸見えになるところだった。
「…もし、僕が受ける大学変えてたらどうすんだよ…」
「え”っ、それはちょっと困るけろ……か、変えるんすか?」
「……変えない、けど」
「じゃあ大丈夫だぜ!あの大学、剣道強いって有名だもんなぁ、試合があったら見に行けるな!」
何も信じて止まない声色に、いっそこのうるさい鼓動のままに殴って走り去ってしまおうかとも考えた。大事な人生の帰路を、僕を理由に決めてしまうなんて、重すぎるってば。
雨で冷えていた体が途端に熱を持っていることなんて、ずっと手を握り続けている伏見にとったらもう分かっているんだろう。その上で、もっと優しく握ってくれる。それにゆっくりと体の力が抜けて。
ねぇ、君の人生にまだ、僕がいていいの。
「…ほんとに、いいの、そんなんで決めて」
顔も見せずにぶっきらぼうに言えば、迷う隙もなくいいのだと肯定が返ってくる。
「俺が決めたことだからいいんだぜ。刀也さんとこの先も一緒にいたいから。……あとっ、俺の希望する学科もあったしぃ、」
「んふっ、後付け感すごいな」
「そこは目を瞑ってもらって…な、だから絶対合格しなきゃなんないんすよ!その為にまだまだ刀也さんには勉強付き合ってもらうっすよ!」
「だから立場逆だって。……しょうがないですねぇ、僕と同期にならないために頑張って貰わないと」
「うぅ、ガチでそうなりそうでやだよぉ…」
「急に弱気になんなよ。その為に勉強するんでしょ。…今日は、うちで勉強会します、?」
しょもしょもと想像で落ち込む伏見に笑ってから、恐る恐る剣持から話を持ちかけてみる。そうすればパァっと分かりやすく顔を輝かせるものだから、またくすくすと笑った。
「でも、まだすぐには帰れそうにないよなぁ」
「雨、結構降ってますしね。…相合傘はしませんよ」
「もぉ〜、強情なんすから…でも、雨が止むまではこのままでいれるってことっすよね」
傍から見ればだらしない顔で剣持を見つめる伏見に、今度は反論せず顔を背けるだけに留めた。未だ顔周りも体も暑いけれど、…別に嫌ではない。
覆い被さる手から少しだけ逃れた親指で、すぐ傍にある彼の小指を握ってみる。素直でない剣持の精一杯の甘えに、機敏に気が付いた伏見は表情を甘く綻ばせた。それから半ば無理やり彼の指の隙間に自分の指を入れ込み、離れまいとギュッと繋いで。
驚いたように伏見を見やる剣持の視線を見て見ぬふりし、なんでもないように思いつくまま今日のことを話し始めた。誰がいつ来るかも分からぬ昇降口だが、人の気配はまだ無い。普段なら恥ずかしがってすぐに振りほどかれてしまうが、今日は珍しく控えめに握り返す感覚が伝わった。
ちらりと伏見が剣持の方に視線だけ向ければ、いつの間に肩に落ちたタオルのおかげで、隠れていた彼の顔がよく見えて。ほんのりと紅付いた肌と、きゅ、と結ばれた唇に、堪らなく胸が高鳴った。
「あー…とぉ……雨、止まねぇといいなぁ……」
「何言ってんの。止まないと帰れないでしょ」
不自然に会話を途切れさせた上、更に己の願望まで吐露してしまったが、彼はくふりと笑ってくれる。
あぁ、いつまでもこの時間が続けばいいのに。触れ合えば可愛らしく色付きながら受け入れてくれる姿が好きだ。…でも、早く帰って彼と二人で勉強会もしたい。ノートに向かう真剣な顔を眺めるのも大好きなのだ。じっと見つめていれば困り眉で笑いながら、見すぎだとか集中しろとか言ってくれるんだよな。
そんなことをいくつも考えては、それでもやっぱり、目の前にいる今の彼が一番大好きなんだと再認識する。今だって会話の度に可愛く笑う顔も、握れば照れたようにそっと握り返してくれる手も、全部全部。
「…、?がっくん?」
「刀也さん」
「なに、」
「キスしていい?」
次の瞬間には視界が真っ白になり、べちんと顔にタオルが叩きつけられた。
「イデッ、何するんすかぁ!」
「おめーがだ馬鹿!場所弁えろ変態!」
「へ、変態は言い過ぎだろぉ…」
「うるさい!変な事言うがっくんが悪い!」
流石に空気に流されてはくれず、キスまでは許されじまいだった。投げられたタオルを弄びつつスミマセン、と謝ってみる。
別に伏見自身はこの関係がバレてもいいと思っているのだが、剣持はそうもいかないらしい。
本日何度目かの真っ赤な頬を横目に、そっぽを向いてしまっても離されない手をギュッと握った。ぴく、と小さく彼の体が跳ねる。
「じゃあ、帰ったらしてもいい?」
「……勉強しろ、ばか狐」
「はて?じゃなくて、お願いとやさん!一回でいいから!ご褒美として!!お願いします!!」
「声でかいってば!……そんなに、?」
「だって…ここ最近は、刀也さんは大会で俺も面談とかオリエンテーションとかバタバタしてて、登校くらいしか一緒にいなかったろ、?とやさんちいくのも久しぶりだし…」
「たかが一ヶ月程度じゃん」
「一ヶ月は久しぶりだろぉ!?ずっと刀也さんに触れないし抱きしめられないしキスも出来ないなんて、拷問だったんすよ!?やっと落ち着いてきて連絡しようとしたら、今日会えてさ、奇跡だ!って思って…」
しょもしょもと萎んでいく伏見に、剣持の方がなんだか悪い事をした気分になってくる。それでも素直でない剣持は、いいよ、だなんて今更言えることもなく、視線を右往左往に彷徨わせ。恐る恐ると、口を開いた。
「……、ちゃんと勉強したあとなら、…考えなくもない、けど」
恥ずかしさ故、雨音に消えてしまいそうな程ポツポツと零された言葉。けれどもそれ聞き逃すほど廃れてはいない。
伏見は途端に飛び上がらんばかりに表情を明るくし、剣持の手を両手で握り締めやったぁ!!と叫んだ。
「声でかい!手も痛い!!」
「あっ、ごめんとやさん…でも嬉しくてぇ」
咎めれば惜しげも無くへにゃりとした情けない表情を晒しながら、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌さで手の力を緩めてくれる。それでも離されることはなく、元のように繋がれたまま甘ったるい雰囲気で笑っているものだから、もう 。
「おっ、だいぶ雨が弱まってきたな!そろそろ帰れそうっすよ、とやさん!」
「……そうだね」
ぐるりと渦巻く剣持の心情なぞいざ知らず。
ようやっと晴れの兆しを見せ始める空模様は、あと数分もすれば止むようなものへと急速に変化していた。
それによって、長らく座っていたような青ザラ板から腰を浮かそうとする伏見の手を、剣持が強く引いて止める。
「、?刀也さ、」
どうしたのかと伏見が顔を向けようとして。
ふに、と頬に当たった柔らかさと温もりに、思考は停止せざるを得なかった。
「…………へ、」
「もう止んだも同然ですし帰りますよ」
視界に揺れる藤の髪は近く。
辛うじて零れ落ちたか細い声と、それを遮るように早口でそう告げた剣持は、早々に繋がれていた手を抜けて立ち上がっていた。
何か伏見が声をかける間もなく、隣に置いていたカバンを引っ掴むと最早逃げるように昇降口へ向かう。
「…ア”っ、ま、待ってとぉやさん!!もう一回!!」
「するわけねぇだろバァカ!!」
何拍か遅れて漸く事を理解した伏見は、慌てて自分も鞄を掴み取り、真っ赤な耳をした彼の背を追う。
だって、滅多に自分から触れようとしない君が、今。
どうしたって上がる口角も緩む表情筋も、抑える気はない。大股でほぼ走りながら、昇降口を越えようとしていた彼に追い付くと、先程のようにするりと指を絡め強く握った。そうすれば耳が赤いまま驚いたように彼が顔を上げ、焦った表情で手を解こうとしてくるから無理くり押さえ込んだ。
「ねぇ、ここ外、!」
「人が来るまで、だめ?」
知ってる。君が俺の顔に弱いこと。
至極申し訳なさそうに眉を下げ、効果音をつけるならきゅるん、と目を潤ませて、こてりと首を傾げる。
ほら、何か言いかけた口ははくりと空気のみを含んで、せめてもの抵抗か睨んできても赤い顔じゃ全く怖くもない。
数秒の間お願い、とじっと彼を見つめていれば、ふぃ、と視線が逸らされ抗っていた手の力が抜けた。これは、折れてくれた。
「…人来たらすぐ離すよ」
「モチロン!さっ、早くとやさんち行こぉ!」
「くそ、調子いいなこの狐…」
はて、なんて言う間もなく手を引いて、まだ誰もいない帰り道を二人で歩き出す。
空は雨が上がり、雲間から薄らと差し込む光と透き通るような青が覗いていた。
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まってやばいすきです😭😭😭😭心臓バックバクです