「ときに新谷君さあ」
室井マネージャーをはじめ、他の営業スタッフにも事情を説明し、一通り頭を下げてから帰したあと、紫雨と由樹と林は、坂月が力任せにこじ開けたため、調子が悪くなった自動ドアを修理していた。
「なんですか?」
「俺が本当に夫人を襲ったかもしれないとは思わなかったわけ?」
言いながら彼は、脚立に乗り、自動ドア上部のスイッチを入れたり切ったりしている。
「えっと。はい。まあ……」
「なんで?」
間髪入れずに紫雨が聞いてくる。
林も脇で工具箱を持ちながら由樹を見た。
「……同じ、なので」
「は?」
「紫雨リーダーは、俺と同じなので」
「…………?」
由樹は言葉を選ぼうとしたが、どうしても適切な言葉が出てこずに口をモゴモゴを動かした。
「うまく言えないんですけど、紫雨さん、俺と初めて会った時“俺にはわかる。君、コッチだろ”的なことを言ったじゃないですか。その感覚に近いと思うんですけど」
由樹は脚立の下から彼を見上げた。
「俺にもわかります。紫雨さんが女に興味ないこと。いや、というよりどっちかっていうと、嫌いなこと」
紫雨はスイッチを見上げていた視線を由樹に下げた。
「だから、紫雨さんが、女性を襲うなんてこと、天地がひっくり返ってもないなって思って。しかもお客様になんて、絶対する人じゃないってわかってたんで」
「………」
紫雨は小さく息を吐くと、降りて脚立をたたみ框に置いた。
「林、ちょっと立ってみて」
言われるがままに林が自動ドアの前に立つ。
すると先ほどまで変にゆっくり開いていたドアは通常のスピードで左右に分かれた。
「そのまま出てみて」
言われた通り林が出る。
外階段に足を掛けたところで、またゆっくりと戻り始めた。直ったようだ。
しかし紫雨は自動ドア脇のスイッチを押すと、電源を落とした。
林が慌ててドアに駆け寄るが間に合わず、彼の鼻先でドアは閉まった。
紫雨が笑いながら事務所の入り口を指さす。
林はうんざりしたようにため息をつくと、外から回り始めた。
「今の話、さ」
2人きりになった展示場で、紫雨は由樹を振り返った。
「全然、説得力ないんだけど。彼女がいる人に言われても」
「…………あ」
由樹は少し決まり悪く後頭部を掻きながら紫雨を見上げた。
「千晶は……彼女は特別なんで。千晶以外の女性の人には相変わらず興味ないです」
言うと、彼は数歩近づき、由樹と向かい合った。
「特別、ね」
紫雨は呆れたように由樹を見た。
「じゃあ、君にとって、篠崎さんは特別ではないの?」
「…………」
ぐっと胸の奥に痛みが走る。
「ゲイの君が愛することができた唯一の女性である彼女。それよりも好きな男がいるってどうよ?」
言いながら口の端で笑っている。
「………」
由樹が思わず黙ると、彼は呆れたように首を傾げた。
「今日のお礼にってわけじゃないけど、先輩として教えてやるよ。ハウスメーカーの先輩でも、ゲイの先輩としてでもないよ。人生の先輩として、ね」
いつになく真剣な彼の顔に、由樹は頷いた。
「1番がいるときは、2番とはうまくいかないよ。それは、どこかで1番との奇跡を期待している自分がいるから」
紫雨は由樹の心を見抜くような鋭い視線を送ってきた。
「……あと2週間」
紫雨はすっかり暗くなった外を見上げた。
「あと2週間で……」
紫雨はまた視線を由樹に戻した。
「…………」
由樹はなんだか、自分の気持ちを、胸ごと裏返しにされたような痛みを覚えた。
“はっきり告白して、キッパリフラれる”
そうしなきゃいけないことは、心のどこかでわかっていた。
しかし………。
篠崎の顔が浮かぶ。
今まで怖くて、できなかった。
本当に諦めなきゃいけない状態になるのが怖くて………どうしてもできなかった。
由樹は俯いた。
「……もしフラれたら」
紫雨が由樹に近づく。
その白い手が顔に伸びる。
しかし嫌な感じはしない。
危険な香りもしない。
その手は、自分とほとんど高さの変わらない由樹の頭に着地した。
「……フェラくらいはしてあげるよ?」
「…………」
由樹は目を細めて、これから上司となる男を睨んだ。
「また吐きますよ」
言うと彼はふっと吹き出した。
「覚えてんのかい!」
2人はまた声を揃えて笑った。
と、後ろで物音がした。
驚いて振り返る。
そこには顔を赤らめた林が立っていた。
「紫雨さん、あんたね…」
その握った拳が震えている。
「いい加減にしてくださいよ!!あんたには俺がいるでしょうが!!」
「…………」
「…………」
2人は思わず顔を見合わせた。
「ぷっ」
「ふはっ」
二人同時に笑い出した。
音楽も消して戸締りを終えた展示場で、2人の笑い声は妙に響いて聞こえて、それがまた面白くて、由樹は大声で笑い続けた。
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