2週間……。
由樹は時庭展示場の駐車場から事務所まで、紫雨の言葉を思い出していた。
2週間。
それはもちろん、由樹が時庭展示場にいられる期間を指す。
つまり紫雨は、時庭にいるうちに告白して、キッパリ振られてから天賀谷に来いと言っているのだろう。
由樹は顔を上げた。
展示場は真っ暗に静まり返っており、事務所の灯りだけが曇りガラスから漏れている。
窓際に座っている篠崎の影がなんとなくだがわかる。
「…………」
これは、いいチャンスかもしれない。
きっと今、言わなければ、一生言う勇気なんてない。
そして今、振られなければ、一生諦めきれない。
これから先、ずっとこの気持ちに苦しんで生きていくくらいなら。
一度だけ。
たった一度、振られるだけで、この切なさから解放されるなら。
「……絶好のタイミングだ」
由樹は自分を納得させるように声に出して言うと、事務所のドアを開け放った。
「……お疲れ」
篠崎が顔を上げた。
今日は余程疲れたのか、ネクタイを外して、第二ボタンまで開けている。
「お疲れ様です……」
普段見えない鎖骨が目に入るだけで、身体を硬直させるてしまう、自分の視神経を呪いたくなる。
由樹はバレないようにため息をつきながら靴を脱ぐと、スリッパに足を入れた。
平日夜の事務所には、他に人はいなかった。
二人きりの空間に緊張しながら、コーヒーメーカーの前に立つ。
コップを入れたところで、下から篠崎の長い指が伸びてきた。
そのまま【レギュラー】のボタンを押すと、椅子に座ったままシンクに肘を付き、こちらを見上げてくる。
「……同じ過ちは犯しませんよ」
苦笑して見せると、
「そ?ならいーけど」
と笑って自分の席まで、椅子に座ったままスライドしていった。
「…………」
由樹は視線を戻すと、コーヒーが溜まっていくのを見ながら小さく項垂れた。
(……こんなんで心臓壊れそうなのに。俺、告白とか、できんの…?)
「しかし……」
篠崎が書類に目を通しながら口を開いた。
「火傷に始まり、親指の怪我に、今日は殴られて。紫雨ってお前の疫病神なんじゃねぇの?」
「え……」
猛禽類のように鋭い目が由樹を射抜く。
「さっき、紫雨から電話が来た。『可愛い部下を巻き込んで申し訳ありませんでした』だとよ」
「リーダーが……」
篠崎から目を離し、溜まったコーヒーを見た。
「あいつ、なんか悪いものでも食ったのか?そんな律儀な奴じゃなかったんだけど」
篠崎は半分笑いながら、今度はキーボードを叩き始めた。
「……いえ、紫雨リーダーは意外と律儀な人だと思います。なんだかんだ、面倒見もいいですし」
言いながらメーカーからカップを取り、口に近づけながら、篠崎の隣にある自分の席に座る。
「そうかー?無駄にいつも偉そうにふんぞり返りやがってよ。怖いもんはありません、って生意気な顔をしてるけどな」
「…………」
『怖かったああああああああ!!』
螺旋階段にひっくり返ったまま叫んだ紫雨の顔を思い出した。
「プッ」
由樹は思わず吹き出し、デスクの上に黒い液体が飛び散った。
「汚ねーな、おい!」
篠崎が渡辺のデスクに置いてあったティッシュ箱を滑らせてくる。
「あ、すみません…」
「何してんだよ、もう」
「あの、だって」
またクククと喉の奥から笑いが込み上げてくる。
「……なんだよ?」
篠崎の眉毛が歪む。
「紫雨さんの顔、思い出したら………あはははは!」
由樹はこらえきれずに大口を開けて笑った。
さっきから何度もさんざん笑っているため、ストッパーがうまく効かない。
「篠崎さんにも見せたかったなぁ!!あの顔!!」
由樹は上司がすぐ隣にいるのに、ケラケラとデスクに突っ伏して笑った。
その後頭部に、穴が開くほどの視線を注がれていることに、そのとき由樹は気がつかなかった。
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