思いっきり口を縄で縛られた。
いつもならそんなに痛くはないと思うが、何故か痛かった。
ただ涙が溢れ出る。
「ん”ん…っ」
「黙って」
上から冷たい声でそう言われ、口を塞がれた。
人に対して初めて怖い…そう思った。
急に動きが止まった。
それでさえも苦しくて、次何をされるか分からない恐怖に包み込まれた。
心臓を締め付けられているような感覚。
すると、女は発狂し始めた。
「な、んで…っなんでなんでなんで!!」
結構な時間その場に倒れ込んでいて、少し安堵していたところ、
左手の薬指に激痛が走った。
「ゔっ…⁈」
「公子様は私のもの!!なのにアンタが…!アンタのせいで…!」
公子殿に想いを寄せている者は少なからず見てきたが、
「あぁああぁあぁ!!!!」
ここまでしてくるとは思いもしなかった。
暗闇の中少し光っているものがあった。
痛みに耐えながら、よく見てみると
少し前俺に買ってくれた結婚指輪だった。
恐怖が微量に無くなっている気がした。
公子殿は、今どこに居るんだろうか…
確か、私のもの…だったか
嫉妬や独占欲からきて、指輪を取って関係を終わらせようと、しているのだろうか。
未だに傷つけられているがなんだかもう、痛覚も無くなってきた気がする。
ただこの時間が早く終わるようにと目を瞑った。
目を覚ましたら相変わらず暗い部屋の中に閉じ込められているままだった。
「んん、ん…」
彼の名を呼んでも来る訳もなく、涙が溢れ出るだけ。
すると部屋の扉が開いた。
また昨日の様に殴られ、包丁でかすめられる。
そう思うと反射的に目を閉じてしまった。
床には血が結構な量溜まっている。
血生臭くて息をするのが気持ち悪い。
「ねぇ、目開けてよ」
女性とは思えない程の声色でそう言った。
女を見ると恐怖で息がしづらくなってしまうため、出来るだけ目を開けたくないが、それ以上の事をされたら困るので恐る恐る目を開けた。
左目に血が入り、視界がぼやけている。
女は俺の目を見て
「きたな…」
「っ…」
聞こえるくらいの小さな声でそう呟いた。
これは自身がやった事なのに。
「私、タルタリヤさんと結ばれたんだ、どう?悔しい?」
記憶がないのだろうか。
人の指輪を取って結ばれた、と言っているのが狂気の沙汰でただ怯える事しか出来なかった。
「でも腹たつんだよね、だからもっかいね」
また悪夢がくる。
目からまた涙が溢れ出す。
左目からは赤黒い涙が出ているのが分かった。
痛い、苦しい…
痛みも無くなってきた頃、涙ももう出てきていない。
ここで終わりなのか
そう思った時、女の手が止まった。
命拾いしたと思い、また血が流れて下に溜まっていくのを見ながら目を閉じた。
それから何時間経ったのだろうか。
女の気配はなく、安心した拍子に涙が出る。
公子殿、早く助けてくれ…
声にならず、部屋には悲しい音が鳴るだけ。
出来たら、彼の人生を見送りたかった。
ただ真っ直ぐに夢に向かって進む隣を歩きたかった。
そんな事、今の状況では夢のまた夢。
夢でも、叶ったらいいものを…
するとバンっと扉が開いた。
また殴られると思い目を瞑ったままでいると
「鍾離、先生…?」
聞き慣れた青年の声が上から降ってきた。
前を向くと、公子は心配そうなまだこちらを見つめている。
「そんなに見たかったの?ちょっと意外だなあ、どう?面白いでしょ?」
と、女が愉快そうに笑う。
女が居ることの恐怖の涙なのか助けてくれて嬉しい涙なのかよく分からなくなっていた。
「動かないでね、公子様の御命令だから。」
公子の部下も相当な量居る。
数人がここに来て、1人は縄を全て解いてくれた。
3人は傷を治してくれている。
夢、なのだろうか…それなら、ずっとこのままがいい…
「も、もう、ドッキリ仕込みすぎ!そんな、部下まで集めないでよ〜」
公子の肩を軽く叩きながら、冷や汗を流した女が言った。
「まだ自惚れてんの、それ先生のだから返してよ。」
聞いた事のないくらいに冷たい声だった。
こんなに怒っている姿は見たことがないので鍾離も少し息を呑んだ。
「ちょ、ちょっと、冗談きついって、返してよそれ…」
流石にもう気づいたかと思い、これまでの事を少し思い出していた。
人から大切な物も人も奪い、さらには傷つける…
そんな人は見かけない訳ではないが、自身がやられると思っていなかったのは少し反省点なのだろうか。
すると女が暴れ始めた。
ひゅっと喉から情けない音がなる。
また、殴られるのだろうか。
異変に気づいたのか、公子と部活等が落ち着かせるように声をかけてくれた。
「なんでよ!どうして!私のなのに‼︎お前なんかに私の旦那が合うはずない‼︎」
鋭い声が脳に焼きついていて苦しい。
過呼吸気味になりながらも、なんとか耐えられる。
急に公子が抱きついてきて、
「ごめん…1人にさせて…っ、でも、よかった…」
と、泣きながら不器用に笑っていた。
嗚呼、まるで救世主のようだ。
俺は彼のこういう所に惹かれたのかもしれない。
今度は間違いなくわかる。
今流しているのは恐怖からでも痛みからでもない。
深淵に堕ちた、俺の旦那が救ってくれたからだ。
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