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「あれ?」


西日が差す事務所に戻ってきた渡辺は、デスクに腰かけ、ディスプレイを見上げている篠崎を見て首を傾げた。

「今日からアプローチでも商談でも、新谷君の接客に混ざるんじゃなかったですか?」

篠崎は画面を見上げたまま、口の端を上げて笑っている。

「見てみろよ。面白いぞ」

渡辺は篠崎の隣に並ぶと、和室に座った新谷と、向かい合って座る髪の長い女の後ろ姿を見た。


『何なんですか!!その元旦那は!!ファックですよ!ファック!!』


新谷が興奮気味に、バシバシと黒檀の高級テーブルを叩く。


『ね!ひどいでしょう?悪いのは全部私!自分は東京で他に女作って。お金だって当初の半分しか送らなくて!』


『それもDVですから!お金を送らないのも立派なDVですからぁ!!』


『東京勤務が終わってやっと帰ってきたと思ったら、思春期の娘の態度が悪いのは、全部、私のせいだっていうのよ!』


『あんたのせいだよ!!あんたが父親らしいことをしないから、娘だって愛想を尽かしたんだよ!』


写真でもあるのだろうか、新谷はテーブルの上の何かに向かって人差し指を突き刺した。


そして女性の顔を見上げると、前髪を上げて額を出して見せた。


『わかりました、奥さん!!その男をここに連れてきてください。俺が頭突きしますよ。ガンって!ガンって!!昔から頭だけは硬いんです!』


「なんで2回言った」

渡辺が一歩引いて笑った。

「うちの展示場はいつから大衆居酒屋のカウンターになったんですか?」

「な、おもしれーだろ?あの状態で、すでに2時間だぞ」

篠崎も笑いながら、デスクに座ったまま長い足を組んだ。



『問題は、長男が…。夫の側についたってことなのよ……』


『えっ!!なんでですか?そんな最低な男なのに!』


『一人にしたら、父ちゃんがかわいそうだって』


『…………』


『母ちゃんは1人で生きられるけど、父ちゃんは無理だからって』


テーブルの上で拳を握りしめた新谷は唇を噛んだ。


『……奥さん!!いい男に育てましたね!!息子さん、しっかり成長してますね!ここが!ここが!!』


自分の胸を叩いている。


「だからなんで2回言うんだよ」

渡辺はその必死な顔を見てまた笑った。


「……でも篠崎さん、いいんですか?このまま新谷君に接客任せて」

横目で上司を見る。

「気づいたか?」

篠崎も同じ視線を返す。

「まあ、あんなにあからさまだと、ね」


言いながらディスプレイに映る女の服装に目を戻す。


「あのシャネルのスカート、本物ですかね?」


遠目から見るとよくわからないが、無造作に着たモノクロのロングスカートには、特徴的なアイコンがこれでもかと散りばめられていた。


「本物だろ。刺繍に光沢があったし、スカート自体張りがあって、シルクで出来ている」


篠崎が目を細めた。


「エルメスのアンクルブーツも本物だ。親が金持ちなのか、それとも自分が高給取りなのか。あの女性、相当金は持ってるぞ」


渡辺がため息交じりに言った。


「建ちますね、家」


「建つだろうなぁ、家」


画面から目を放そうとしない篠崎を渡辺は再度見上げた。


「なら、なおさら商談混ざって決めないと。逃げられたら勿体ないですよ」


言うと、篠崎はまだ笑いながら首を傾げた。


「……逃げねぇだろ。もう」



『大丈夫です!息子さんだって、奥さんの気持ちも、愛情も、ちゃんとわかってます!』


新谷がぶんぶんと頷く。


『そうかしら。息子は昔からお父さん子だったから、私のことなんて……』


『んなわけないでしょう!いいですか、奥さん!父親を嫌いな娘はいるかもしれない!でも!母親を嫌いな息子ってのは一人もいないんですよ!世の中に一人も!!』


「はは。適当なこと言いやがって」

篠崎が苦笑しながらデスクから降りて腕を組む。

「篠崎さん~。早くしないとー!」

事務所から出て行こうとしない篠崎を渡辺はもどかしそうに見つめた。


「あいつがすごいのはさ」

篠崎は見上げすぎて痛くなってきた首を軽く回した。

「十中八九、今の時点で、目の前の相手が金持ちだってことわかってねえんだよ。ただ、夫と離婚した失意の中にいる、かわいそうな女ってしか思ってない。なのに、さ」


ディスプレイの荒い画面に映し出される新谷の一生懸命な顔を見つめる。


「あんなに必死で客の話を聞いてるんだよな。気持ちに寄り添うようにさ」


「…………」

渡辺は改めて和室を移しているディスプレイを見上げた。



『奥さんが安心して暮らせる家、お嬢さんがいつでも友達を呼べる家、息子さんが好きな時に泊まりに来れる家を、建てましょう!』


新谷が女性の痩せた手を握る。


『…………っ』


女性が声に詰まる。

新谷は慌てて手を離した。


『あ、俺、すみません。手なんか握ったりして……』


『いえ……』


一気に湿っぽくなった大衆居酒屋を見上げて、篠崎は目を細めた。


「はい、落ちた」


女性は新谷の手を握り直すと、前のめりに彼を見つめた。


『新谷さん、これから時間あります??』


『あ、えっとそれはアフター的な話でしょうか……?』


何か勘違いしたらしい新谷の顔が青くなる。

すると女性はフェルト生地の手提げから、何かを取り出した。


『先ほどコーラルハウスで結んできた契約書です』


ヒュウッと渡辺が口笛を吹く。

セゾンの非ではない。おそらく国内では一番高い住宅メーカーだ。


『今から、契約解除してくるので、待っていてください』


女性はおもむろに立ち上がると、呆然と口を開けて見上げている新谷に、ガッツポーズを作って見せた。

新谷がポカンと口を開けたまま、同じく右手でガッツポーズを作る。


玄関の自動ドアが開閉するベルが鳴る。



「初受注、だな」


まだ拳を握ったまま呆然と静止している新谷を画面越しに見ながら篠崎は笑った。


「今夜は祝杯だ」


一度でいいので…

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