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◇◇◇◇◇
夕方まで続いた試験は、大きなトラブルもなく、予定通りに終了した。
閉会式に参加した学生たちは、学校ごとにまとめられ、体育館に並んでいた。
「……よう」
諏訪が隣の列からこっそりずれて右京の隣に並ぶ。
「……理科、どっち選択した?」
「生物」
右京が答えると、
「なんか今回の生物めちゃくちゃ難しかったらしいぞ」
「ああ、そんな気はしたな」
「そんな気はって。余裕だな、お前は」
諏訪が呆れたような羨ましそうな表情を作った。
「どうせ名前呼ばれるんだろ?お前は」
「いや、それはないと思うけど」
「謙遜すんなよ!学年1位が!」
諏訪が笑うが、右京は真顔で、
「マジで」
と答えただけだった。
『ええと。それでは皆様、お疲れさまでした!』
予備校の教師がマイクを握り、約800人の生徒を見つめた。
『本番のセンター試験では皆様重々ご承知の通り、2日間にわたって開催されるわけですが、今回は時間の兼ね合いもあり、1日に納めさせていただきました。
日々受験勉強に勤しんでいらっしゃる皆様と言えど、相当お疲れかと存じます』
これ見よがしに受験生の間から、疲労をアピールするため息が漏れる。
『さて。今回から試験的に初めて見たタブレット解答ですが、皆様いかがでしたでしょうか。
ええと、試験終了後にいただきましたアンケートと、各教室で担当させていただいたスタッフのフィードバックを踏まえ、今後の導入を検討させていただきたいと思います。
慣れぬ操作に戸惑った方もいらっしゃると思いますが、ご協力ありがとうございました』
言いながらそのタブレットを開いている。
『引率のスタッフからもご説明あったかと思いますが、試験終了と共にタブレットに送信された解答結果より、今回の合計800万点における点数と、本日ご参加いただきました811名の皆様のランキングも出ております。
ええと、それではお手元に準備いただいているタブレットに、今から反映致しますので、ご自身の合計点と番数をご確認ください』
そう言った瞬間、体育館がどよめきに包まれた。
「―――あー。600点行かなかった!」
諏訪が頭を抱える。
「右京、お前は?」
諏訪が聞くが、右京は答えず後方でタブレットを見つめる蜂谷を振り返っていた。
『それでは上位20人の方、お呼びしますので、登壇してください』
男が声を高くする。
『1位、798点 城西高校 西野あかりさん。2位 795点 城西高校 雨宮祐樹君。3位 720点、松が岬東高校 風見楓子さん。第4位……』
次々に名前が呼ばれていく。
右京は目を閉じた。
『いつまで私を見下ろす気なのかと聞いている!行儀の悪い!』
『蜂谷グループの次期社長が、そんな模試一つで名を残せないようなら、恥さらしもいいところだ』
『残りの学生生活など、捨てて良い』
蜂谷の父親の声が蘇る。
『―――あいつが……。あいつが今まで積み上げてきたものを、崩してやろうと思ったんだ』
『俺が生きてる限り、グループから離れられないし、無理やり逃げ出したところで、どこまでもあいつは追ってくる』
『右京、俺……。お前のことが、好きだよ……』
蜂谷の声も響いてくる。
頼む。
頼む、神様!
こいつが父親の束縛から、家庭の呪縛から、一歩踏み出すチャンスを―――!
『17位 695点。城西高校 菊地亮君。18位 690点。宮丘学園 蜂谷圭人君』
「―――は?」
隣に立っていた諏訪が口を開ける。
「―――はい!」
後ろから声が聞こえる。
皆が振り返る中、タブレットですでに順位を確認していたのであろう蜂谷は微笑を浮かべながら、生徒たちの間を歩き出した。
「―――蜂谷」
思わず声をかけると、蜂谷はこちらを見下ろし、ふっと笑った。
「――――!」
右京は目の端に涙を浮かべながら、彼が登壇していくのを見送った。
◆◆◆◆◆
―――おいおい。人の成績に驚いてる場合かよ。
諏訪はなぜか蜂谷のランクインに他の生徒のそれよりも感動しているらしい右京を睨んだ。
―――お前はどうしたよ、お前は!宮丘学園のトップの名前がまだ呼ばれてねーぞっ!
『19位 675点。宮丘学園 清野武治君』
「お……清野も呼ばれた」
右京が呟く。
―――いや、だからお前は?
ぼけーっと口を開いている右京のタブレットを横から奪う。
「あ、おい!」
「……………」
―――んん?570点?まさか、こいつが……?
スワイプしていく。
英語185点 国語200点 理科90点 社会95点
数学……。
「数学、12点?」
右京がきまり悪そうな顔でこちらを見上げる。
「タブレットだからマークに支障はなかったんだけど……。手の怪我、思いのほか酷くて、鉛筆を握れなくてさ」
「―――は?」
「式の展開はちょっと無理があ―――」
諏訪は慌てて右京の腕を上げた。
「ッ!痛っ!!」
右京が顔を歪める。
―――痛い……?
確かにこいつ、今、痛いって言ったよな……?
諏訪は目を見開いて彼の顔を見た。
片目を瞑り、眉間に皺をよせ、口が歪んでいる。
やっぱりだ。
バスの中でもおかしいと思った。
右京は痛みを感じないから怪我や傷に気づかない。
相当腫れたり熱をもったり、関節の動きに支障を期さない限りは気づかずにスルーし、やがて治ってしまう。
見たところ、手首だって腫れてなかった。普通に頬杖もついていた。
痛いから、気づいたんだ。
こいつに痛みの感覚が―――戻った?
「なあ、右京……」
「―――?」
言いかけた口に、自らの手が待ったをかける。
言ってどうする。
聞いてどうする。
自分がこいつの痛覚が機能していないことを知っているなんて、こいつは知らない。
それをバラすことはすなわち、俺が知っているもう一つのことについてもバラさなければいけない。
それは言えない。口が裂けても―――。
「どうした?」
右京な首を傾げる。
「あ……いや……」
『それではみなさん!栄えある20名の生徒たちに今一度拍手を!!』
体育館が半ばやけくそともいえる受験生たちの拍手で震える。
その中降壇してきた蜂谷が、また右京にアイコンタクトを送る。
―――なんだこいつら。
なんだこいつら……!
なんだあ?こいつらあ!!
諏訪は拳を握った。
こっちがこんなに気を使ってんのに!
こっちがこんなに心配してやってんのに!
こいつら夏期講習も出ないで、この1か月間、何をしていやがった?
痛みが戻ったこと、蜂谷は知ってるんだろうか。いや、そもそも痛みを戻したのはこいつなのか?それならそれで、どうするつもりなんだ。
諏訪は脇を通り過ぎる蜂谷を睨み落とした。
―――お前は、凡人に戻ったこいつを、どうするつもりなんだよ……!
◆◆◆◆◆
帰りのバスもなんだかんだ諏訪が隣に座った。
本当は蜂谷の功績を讃え、努力を労いたかったけど、仕方がない。
……それにこれから、いくらでも時間はあるんだし。
右京は一列席を挟んだ前に座った蜂谷の後ろ姿を見つめた。
それにしても―――。
「よかった……」
つい言葉が零れる。
「何がよかった、だよ」
隣の席で諏訪が睨むが気にならなかった。
実は昨日も、一昨日も、よく眠れなかった。
もし蜂谷が20位以内に入らなかったらと思うと、いてもたってもいられなくなり、初日に買い漁った参考書なんかを見て過ごしていた。
『―――賢吾』
そんな姿を見て誤解した雅江が悲しそうな顔をした。
『本当は大学さ行きたいんねの?』
誤解させたことに苦笑しながら右京は言った。
『んなわけねえべ、祖母ちゃん。俺が勉強な嫌いなの、一番知ってんの祖母ちゃんだべした』
『そうだけど……』
『それに俺は、父ちゃんと母ちゃんのとこさ帰んなねし』
シートに身を沈める。
眼を瞑ると一気に眠気が襲ってきた。
そう。俺は―――。
山形に帰らなければいけない。
両親との約束を、果たさなければいけない。
「―――寝てていいぞ。起こしてやるから」
諏訪の声はよく聞こえなかった。
右京はシートの中に溶けていくように眠りについた。
ガタガタン。
ガタガタガタン。
ガタガタン。
ガタガタガタン。
この音は――新幹線だ。
大きな窓には、見渡す限りの田園風景が広がっていた。
「東京じゃ、しばらくこんな景色も見れなくなんなよな?」
隣に座った雅江が寂しそうに言った。
「さすがに田んぼはねえべなぁ」
右京は笑ったが、雅江は笑わなかった。
「―――なあ、祖母ちゃん?山形で待っててけでもいいなだぞ?」
「ほだな今さら。荷物だってまとめてきたのに」
「荷物なの、ちいとばかしの服だけだべ」
右京はその小さな顔を覗き込んだ。
「父ちゃんと母ちゃんと一緒に待ってればいいべした。ちゃんと俺―――」
俺―――。
夏が終わったら―――。
「右京?」
温かい。
自分の腕に直接触れる体温が心地よい。
「右京……」
自分の名前を呼ぶ低い声も気持ちいい。
「もうすぐ着くぞ」
―――着く?……どこへ?
山形に?
いやだって……。
俺、まだやり残したことが……!
慌てて目を開けた。
6時を過ぎてもまだ明るい景色は、見覚えのあるものに変わっていた。
角を曲がり、昇降口までの坂道に差し掛かる。
「それに携帯鳴ってた。さっき」
隣に座る諏訪がぶっきらぼうに言い、右京が握りしめている携帯電話を指さした。
「あ、ああ。サンキュ……」
言いながら軽く座り直すと、右京は携帯電話のサイドボタンを押した。
「…………」
LANEが来ていた。蜂谷からだ。
【 話がある。解散した後会えるか?】
「……………」
別に話なら、明日家に行った時でもいいのに。
いや、待てよ。もしかしたら……。
今日の報告を改めて直接聞かせてくれるのだろうか。
【 わかった。じゃあ、生徒会室で】
ちょうど二学期が始まってすぐに開かれる生徒会総会の記録を確認したかったところだ。
右京は携帯電話をしまうと、ひと席開けて前に座っている蜂谷を見つめた。
彼も携帯電話をしまったのか座り直すと、あとはもう微動だにしなかった。