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「悪い、遅れて!」
同じバスから降りてきたはずの右京は、15分後に生徒会室に飛び込んできた。
「サッカー部が部活終わったのと被っちゃって。まあそのおかげで部室棟から校内に忍び込めたってのもあるんだけど……」
言いながら右京は頭を掻いた。
「つまり、永月に掴まってたってことね?」
「あ、いや……。別に」
困ったように眉を下げる。
ついふた月前までは、彼に夢中で仕方がなかったくせに。
「それより!お前!すごいじゃん!」
言いながら駆け寄ってくる。
「ギリギリセーフだけどな……」
「ギリギリでもセーフはセーフだ!よくやったよ」
その興奮した小学生のような顔に蜂谷は鼻で笑い、鞄から1枚の紙を取り出した。
「はいこれ。賞状」
「―――おおお」
右京は、簡易的ではあるが、ちゃんと名前が筆ペンで書かれ、順位と合計点数まで書いてある賞状を見つめている。
「それは、お前にやるよ。お前のおかげでとれたわけだから」
微笑んで彼を見下ろすと、
「―――いや」
言いながら右京は包帯の巻かれた右腕で顔を隠した。
「まずは、あれだ!お父さんに見せなきゃだろ!ちゃんと20位に入りましたよって。証拠だ証拠!」
「―――なんで顔隠すの?」
蜂谷は包帯に触れないように右京の指先をつまむと、それを下に下ろした。
「―――!」
右京の、ゆでだこのように赤く染まった顔が露になる。
「……おやおや…」
「あ、赤く……!」
右京が言う。
「赤くなりたくねえのに、勝手になるんだよ。お前と話してると!」
―――ああ。もう……!
蜂谷は右京を抱きしめた。
なんで俺は、
あんな家に生まれてきてしまったんだろう。
なんで俺は、
変な奴らと絡んでしまったんだろう。
なんで俺は、
こいつをここまで巻き込んでしまったんだろう。
あのとき――
こいつが髪の毛を黒くしろって言ってきたときに、大人しく今日みたいに染めてくれば、俺とこいつの関係もそこで終わったのに。
でも、こいつが―――
『高校生活、残り1年しかないんだ…!さっさと更生して、最高の1年にしようぜ!』
『お前さ。文化祭、出ろよ。楽しそうじゃんか。出ないなんてもったいねえよ』
『お前とこういうことすると、なんかおかしくなるんだよ……』
こいつが俺の冷めた心を、乾いた感情を、刺激してくるから―――!
『俺は、お前と生きていきたい』
『お前がどうやったら納得できるのか。どうやったらこれからの人生を幸せに過ごせるのか、一緒に考えたい』
『俺、お前のこと、いつのまにかこんなに、好きだ……!蜂谷……!』
こいつが言うように、こいつと生きていけたらどんなに幸せだろうと思う。
でも―――。
『これは俺にとって弱みじゃなくて、強みだ…』
『謝らなくていい。俺が、始末し忘れたのが悪かったんだ』
『親から受け継いだ苗字と、親がつけてくれた名前だ。次バカにしたら即殺す』
『ここは宮丘学園高等学校だ。これ以上は俺が許さない…!』
正義感が強く、曲がったことが大嫌いな彼が、蜂谷グループに取り込まれていく自分を傍観できるはずがない。
父が言うようには簡単に手を切れないだろう尾沢やその後ろから手を引いている多川にも、こいつは臆せず向かっていく。
そんなんじゃ――。
蜂谷は右京の右手の包帯を見つめた。
いつかこの華奢な身体は、
この穢れを知らない綺麗な魂は、
薄汚い誰かの手で、壊されてしまう。
それなら今―――。
俺が、壊してやる。
「はい!こんなとこでいいかな」
言いながら右京の軽い体をトンと押した。
「―――え?」
「満足?会長さん。結構楽しかったでしょ?」
「―――?」
右京の目が真ん丸に見開かれる。
「どうだった?恋人ごっこは」
◇◇◇◇◇
言葉の意味が理解できなかった。
恋人ごっこ。
ごっこ?
俺と蜂谷って―――。
遊んでたんだっけ?
「ただ勉強を習うだけじゃつまんねえなーって思ってさ。でも会長、簡単にやらせてくれなそうだし?もしラブラブな感じになったら、最後までさせてくれるかなーって思ってさ」
蜂谷は出会ったときと同じように右京を見下ろし、首を少し傾げて、馬鹿にするように微笑んだ。
「会長も楽しかったでしょ?好きな人に勉強教えて、そのあとセックスして。自分の指導で生徒の成績が伸びていくのは見ていて楽しかったですかー?」
蜂谷の笑顔が滲んでいく。
発する言葉の輪郭がぼやけていく。
「俺も自分の手で開発して感度上がって、日に日に悶えていく会長見てんの、すげえ楽しかったよ」
クククと胸を震わせて笑っている。
「蜂谷家の不幸話も楽しかった?あれ、大体嘘だから。そういう刹那的な不幸さがあった方が、同情心が刺激されて燃え上がるかと思ってさ」
「――――!」
一度ぼやけたはずの言葉の輪郭が、聞こえてきた。
「隆之介は俺がやれと言えば断らない従順な奴だから。あることないこと話の組み立てが上手だっただろ?」
蜂谷の笑顔もはっきり見えてきた。
「お互い母親の脳みそは残念だけど、頭のいい父親の遺伝子を受け継いだんだな。これぞ蜂谷クオリティー!!」
「…………!」
ツカツカと蜂谷によると、その胸倉を掴み上げた。
「―――何?」
蜂谷が首を傾げる。
「お母さんの話も全部嘘か?」
「―――嘘だよ?」
蜂谷は微笑んだ。
「俺が物心つく前に、若い男と消えて蒸発。その後、親父が一緒になって子供を成したのが、隆之介の母親である小間使いの依子」
楽しそうに肩を震わせて笑っている。
「…………」
右京は、掴み上げた手から力を抜くと、静かにそれを離した。
「あれ、怒んないの?」
蜂谷は自分のシャツを捲りあげた。
雑誌や漫画が、腹をぐるっと囲むようにベルトで固定されている。
「今日は甘んじてやられた振りしてようと思ったのに……」
右京は俯いた。
「―――あれ、会長?泣いちゃうの?」
蜂谷が寄ってくる。
「泣かないでよ。さすがに心傷むだろー?」
言いながら抱きしめる。
頭を優しく撫でられる。
「―――そんなに悲しいなら、週1くらいで相手してやるよ?な?」
唇を耳に寄せる。
「でももしかしたら、女の子と3Pの日もあるかもしれないけど、それでもいい?」
「――――」
右京は視線を上げた。
「お前が―――」
「ん?」
蜂谷が首を傾げる。
「お前が、あの家にいるのが辛くないなら。べつにいい」
「―――へ」
蜂谷の唇から空気が漏れる。
「お前が不幸じゃないなら、別にいい」
「――許してくれるの?永月の時みたいに」
蜂谷が微笑む。
許す?
違う。
俺は、怒ってない。
ただ。
ただこいつが、ろくでもない奴で。
高飛車で、人を踏み台としか思っていなくて。
義弟をうまく使い、
女を器用に侍らせて、
父親にバレずにのらりくらりと。
これからものうのうと生きていけるなら―――。
それならそれで―――。
右京は鞄を拾い上げた。
本棚を開き、昨年度の生徒会総会の記録をそれに入れる。
一昨年のも。
その前のも。
鞄が生徒会の資料で重くなると、右京はやっと蜂谷を振り返った。
「話はわかった。この1ヶ月のことは忘れろよ」
「―――ええ?忘れられるかな。アレのときの会長、すっげえかわいかったし―――」
「俺は」
右京は蜂谷が言い終わる前にはっきりと言った。
「俺は、忘れる」
「――――」
言い方がよほど癪に障ったのか、一瞬、蜂谷の唇がブルブルと震えた。
右京はすっかり重たくなった鞄を肩にかけると、生徒会室のドアに手をかけた。
いいんだ、これで。
良かったんだ、これで。
これで自分は―――
何の未練もなく、山形に帰ることができる。
右京は迷いを吹き飛ばすかのように勢いよくドアを開けると、暗くなった廊下を歩き出した。