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通学バスに乗り遅れた弟の彩矢斗を、市営バスの駐車場まで送っていたら遅くなってしまった。
諏訪はショートカットするために、公園の垣根を飛び越えると、ブランコと滑り台の間を突っ切った。
麦わら帽子をかぶり、2~3歳の子供を連れていた母親たちが全速力で朝の公園を駆け抜けていく大柄な諏訪を睨む。
「危ないわねー」
「ちょーっと回るくらい、何十秒もかからないのにね」
―――わってますよ。ごめんなさいね!
諏訪は心の中でつぶやきながら苦笑した。
ーーーその数十秒で遅刻するかどうかが決まっちゃうんですよ、こっちは!
普通の生徒ならいい。
でも生徒会副会長が遅刻してはダメだ。
―――チッ。だから生徒会なんてガラじゃねえんだって!
諏訪はため息をつくと、通学バックを肩にかけなおして、学園へ続く坂道に挑むべく、勢いを付けて角を曲がった。
曲がった直後、何かにぶつかりそうになり、その拍子に勢い余って前につんのめって倒れた。
「いててててて」
起き上がりながら見上げると、そこには赤茶色の頭を朝陽にきらきらと反射させた蜂谷が立っていた。
「あー、びっくりした」
言いながらも全く驚いていない様子の彼はこちらをつまらなそうに一瞥すると、また歩き始めた。
「―――あ、おい……!」
慌てて起き上がり、横に並ぶ。
「なんだお前。さんざん騒がせといて。何食わぬ顔で登校してきやがって」
話しかけるが、蜂谷は無表情のまま急ぐでもなく坂道を上がっていく。
「騒がせた?」
「そーだよ。お前の親が、お前が帰ってこないって騒ぎ立てるから、おそらく3年全員の家に電話かかってきてるぞ」
「―――へえ。そう」
言いながら蜂谷は軽く右によろけた。
「………?」
「それはそれは、とんだお騒がせを」
しかしよろけたのは一瞬で、また真っ直ぐ歩き出した。
「―――説明とか無しかよ?」
「お前はどんだけ健全な毎日を送ってんのか知らねえけどな」
蜂谷がやっとこちらを向く。
「高3の男子がちょっと帰りが遅くなったからって、大騒ぎする方もどうかと思うけどね」
「今まではそう言うことがなかったから、親も騒いだんだろ?」
諏訪は呆れて目を細めた。
「ったく」
蜂谷が大きく息をつく。
「―――おい」
諏訪は蜂谷を睨んだ。
「なんだよ」
「お前、そのまま学校に行くのか?」
蜂谷は今度はハッキリと迷惑そうにこちらを振り返った。
「悪いか」
「悪くはないけど」
諏訪は足を止めた。
数歩前に進んだ蜂谷が諏訪を振り返る。
「……ヤバいだろ」
「?」
「酒臭い。ものすごく」
言うと、蜂谷はうんざりしたように空を見上げた。
「いーわ。昼まで
サボる」
言いながら元来た坂道を下り始める。
「―――!」
その顔を見て、諏訪は思わずその腕を掴んだ。
「――なんだよ?」
顔の神経を引きつらせながら蜂谷が睨み上げる。
「口になんか突っ込まれたか?」
「―――は?」
「裂けてる。口の端……」
左側から見たときはわからなかったが、折り返してきた彼を右側から見るとわかる。
口角炎?口唇炎?ーー違う。内側から裂けてる。
顔全体がいつもより浮腫んでいて気づかなかったが、よく見れば右側の頬も腫れている。
「―――」
蜂谷はこれ見よがしの大きなため息をついて、諏訪を睨んだ。
「お節介は右京だけで十分だ」
「――――」
諏訪はその名前に、小さく息を吸い込んだ。
「いや、違うな」
蜂谷はとろんと流れる目を諏訪から逸らした。
「あいつももう、うんざりだ」
言うと彼は、だるそうにベタンベタンと足をつきながら坂道を下っていった。
「――何なんだ…?」
この間右京に告白したんじゃなかったのか、お前。
あんなに楽しそうに2人で話していたくせに。
この数日で何があった―――?
諏訪は首を傾げた。
―――まあ俺は、あいつが無事なら何でもいいけど。
キーンコーンカーンコーン
坂の上の校舎で、予鈴が鳴った。
「あ、やべ!!」
諏訪は通学バックを脇に抱えると、坂道を全速力で駆けだした。
◆◆◆◆◆
「会長?」
席につくなり教室に入ってきた結城が、右京の机の前にしゃがみこんだ。
「これ、昨日話したミヤコンの投票用紙、クラス編」
「ああ」
それを受け取ったまま、右京は固まった。
「―――?いいんだよね?まずクラス投票して2人選抜して、その後44人を全校生徒から“MYO44総選挙“にするってことで」
「うん。いーんだよ」
やっと口を開くと、右京はそれを結城に返した。
「あとは辻先生に言えば、刷ってくれるから、俺が持ってく。結城は、各学級委員に放課後生徒会室に取りに来るようグループLANEで流しといて」
言いながら席に座ると、バッグを机脇に掛けた。
「あ、うん……りょーかい……」
結城が覗き込んでくる。
「―――何?」
視線を上げた右京に結城が後退る。
「なんか、今日の会長、怖い……」
「はあ?」
「機嫌悪いすか?俺なんかしたすか?」
「――――」
右京は椅子に深く座り直すと結城を見上げた。
「そんなことねえよ」
「そうかな!体調悪いとかですか?」
「何も俺は―――」
「え、体調悪いの?」
振り返ると永月が朝練を終えて教室に入ってきた。
「大丈夫?右京」
言いながら背中に軽く手を置く。
「―――大丈夫だって。何でもないよ」
「昨日、無理させたから、大丈夫かなってずっと心配だったんだ」
「ーー!!そんな、無理なんか……」
「ちゃんとあの後、帰ってゆっくり寝た?」
「……寝たって!」
思わず顔が赤くなる右京を見て、結城が2人を見比べる。
「なんか、すっかり仲良しって感じだね」
その言葉に永月が嬉しそうに右京と肩を組む。
「そう。俺たち、親友なんだ…!」
窓際で遠目に見ていた女子たちが、こちらを見てにわかに騒ぎ出す。
「尊い…!」
「宮丘のベストカップル誕生ね」
「このクラスでよかった。神様ありがとう…!」
その反応を見ながら結城がにんまりと笑ったところで予鈴が鳴った。
「ほら、結城!鐘がなったから教室戻れよ」
右京は言うが、結城は構わず机に顎を乗せたまま2人を見上げた。
「今月、ミヤコンじゃないすかー」
「あ?ああ」
右京が頷く。
「会報のトップもそれにするんですけど、その脇の特集、会長と永月君にしちゃおうかなー」
「え?」
永月が目を見開く。
「ほら、今をときめく2人って言うんですか?
なんか下級生たちからも決起会のキス以降、“永京一択”とか言われて騒がれてるみたいなんだよね?」
「なんだそりゃ」
呆れる右京とは対照的に永月はニコニコと笑った。
「俺たちでよければいいよ、別に。ね、右京?」
「―――え」
「やったあ!今回のは売れそうだなー!」
「無料配布だろうが…!」
右京が言うと、結城はぺろりと舌を出した。
「1部はね?」
「…………」
「―――てへ」
「売るなよお前!2部だろうが3部だろうが、欲しがる奴がいても売るなよ!」
叫ぶ右京から逃げるようにして結城がダッシュで廊下に逃げる。
と、それにぶつかりそうになりながら諏訪が廊下を駆けていくのが見えた。
「ったくあいつらは、生徒会の風上にも置けん奴らだ」
右京が廊下を睨んでいると、永月はふっと吹き出した。
「ねえ、右京。今夜も俺の部屋に来れる?」
誰が聞いているのかわからないのに、堂々とそんなことを言う。
「え、まだ何か話あったっけ?」
右京がパチクリと瞬きをすると、永月はふっと笑った。
「ないけど。会いたいと思っちゃった。ダメ?」
本鈴が鳴った。
「考えといてー」
永月は緩くそう言うと、自分の席に戻っていった。
「――――」
右京は机に肘をつくと、結城が置いていった宮丘コンテストのクラス投票用紙を眺め、小さく息を吐いた。
◆◆◆◆◆
蜂谷は、学校手前の坂道で回れ右をし、漫画喫茶でひたすらアイスコーヒーを飲みまくって、アルコールが抜けるのを待った。
学校を休んではいけない。
出席簿に“欠”を付けるわけにはいかない。
個室のリクライニングチェアから、自らを奮い立たせると、漫画喫茶を出た。
時間を確認しようと携帯電話を取り出すと、右京からのLANEが入っていた。
『今日の放課後、会えるか?』
「――――?」
目を擦ってもう一度見返す。
見間違いじゃない。
あっちの方から誘ってくるなんて初めてだ。
もしかして昨日交わした約束を覚えているのだろうか。
―――こいつ、わかってんのか?
蜂谷は眉をひそめた。
―――次は俺、お前とセックスするって言ったんだぞ…?
それでも会おうってことは―――。
『会えるけど』
わざと素っ気なく送ってみると、
『じゃあ、会おう。どこか2人きりになれるところがいいんだけど』
「―――ヤラれる気満々ってことか……」
蜂谷は鼻で笑った。
どうやら欲望に従順に育てすぎたかもしれない。
好きでもない男に自ら抱かれに来るなんて、出会った頃の右京からは想像もできなかったことだ。
肩にかけていたバッグに手を突っ込み、そのポケットに指を入れた。
一応、コンドームのストックはある。
問題は場所だ。
自分の家はあの母親がいるから到底無理だ。
右京の家はどうだろう。
『会長の家は?』
送るとすぐに返信が来た。
『祖母ちゃんがいるし、壁が薄いから音が響く』
「―――音じゃなくて声だろ」
その返信に笑う。
しかし、となるとやはりホテルが無難か。
『駅裏のコンビニで待ってる』
駅裏のホテル街の入り口にあるコンビニを指定することで少しは察するかと思ったが、
『わかった。少しだけ生徒会の仕事があるから、終わり次第向かう』
どうやらぴんと来ていないような淡白な返事がかえってきた。
―――それでも。
きっと右京は拒まない。
今度こそ、自分に最後までさせるだろう。
そうしたら―――。
「……サヨナラだ。右京賢吾」
自分はあの男の前から去る。
全ての関係を断ち、話もしない。もちろん触れもしない。
元の他人の関係に戻る。
彼を―――。
これ以上巻き込むことはできない。
だってあいつは、他の誰でもなく―――。
「俺の、玩具なんだから」
蜂谷は呟くと、まだ僅かに揺らめいて見える宮丘学園への道を歩き始めた。