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右京には「別に一人でいい」と言われたが、22クラスの学級委員が一気に押し寄せた生徒会室はごった返していて、やはり一応来てみて正解だったと諏訪は思った。
あらかじめ人数分に分けたそれを1クラスずつ渡し終えて、概要を説明し質疑応答しているうちに、あっという間に30分ほどかかってしまった。
学級委員たちが帰った生徒会室の長テーブルと椅子を整えると、いつもだったら窓際かテーブルに凭れてグダグダしている右京は、さっと学生バッグを手にした。
「ーー帰んの?」
「まあな」
言いながら携帯電話を眺めている。
「…………」
「どーした」
こちらを視線だけで見上げる。
放課後、生徒会室に入った時から、なんか雰囲気が違うと思っていた。
何だろう。
表向きは変わらないのに、触れたらスパッと切れてしまいそうな、まるでナイフのような……。
「そういえば。蜂谷、今日ちゃんと登校してたな」
「――――」
やはりだ。
その異様な気配が、彼の名前を出したことで一瞬波のように強くなった。
「朝、会ったんだよ。坂のところで。あまりに酒臭いから注意したら、昼までサボるとか言ってたけど。午後はちゃんと来てたよ。ほぼ机に突っ伏して寝てたけど」
「………ホントろくでもない奴だな」
右京はにこりとも笑わずにバッグを肩に掛け直した。
視線をまた携帯電話に戻し、彼は歩き出した。
ーーーこのままだと帰ってしまう。
なんかわからないが、このまま校外に出してはいけない気がした。
「なあ、右京」
右京がさすが迷惑そうな顔で振り返る。
「は、蜂谷にはOK出したのかよ…?」
必死に話題を探そうとするが、そんなどうでもいい話しか浮かんでこなかった。
「―――あんなの、あっちだって本気じゃないだろ」
右京は呆れたように目を細め、俯いた。
「それに―――」
「それに……?」
足先を廊下に向けながら右京は再度諏訪を見上げた。
「俺、永月と付き合ってるから」
「――――っ!」
それだけ言い残すと、右京はさっさと長机と黒板の間を抜け、扉に手をかけた。
「おい……!」
ガラリと扉を開け、廊下に出ていってしまう。
―――永月だと…?
慌てすぎて椅子を蹴飛ばす。
―――あいつは、ダメだろ…!
机が諏訪の長い脚に縺れる。
―――根拠もない。理由もない。だけど……!
黒板の粉受がスラックスのポケットに引っ掛かる。
―――あいつはダメだ……!!
諏訪が廊下に到達すると、ほんの数秒前に出ていったはずの右京の姿は、すでにどこにもなかった。
◆◆◆◆◆
待ち合わせ場所であるコンビニに現れた右京は、一瞬彼とわからなかった。
「よう、お待たせ」
低い声を聞いて初めて右京だとわかった。
なんでだろう。
髪型か?
いつもは長めの前髪を垂らし、大人しそうな顔をしているが、今日はそれがなんだか左右に流れている気がする。
「―――ていうか、顔色悪……!」
蜂谷は右京の顔を覗き込んだ。
「いつもに増して白い…っていうか、今日、青くない?会長」
言うと顔の青さに反比例するように充血した目が蜂谷を睨む。
「お前は?お前の体調はどうなんだよ。酔っ払い」
「――――」
そうか今朝諏訪に会ったから、あいつから聞いたのか。
『あいつ、酒臭くてさー』
そう言いながら笑っている大男の顔は容易に想像ができた。
「ちょっと飲みすぎちゃってね」
鼻で笑いながら言うと、
「未成年の飲酒は犯罪だぞ。やめとけよ」
やけに張りのない声が返ってきた。
「それじゃ……行く?」
雑誌を閉じてラックに入れると、右京はちらりと蜂谷の通学バッグを睨んだ。
「―――ん?何?」
言うと、彼はバッグから目を逸らし、
「いや、いい。行こう」
と言って踵を返した。
「…………!」
その首元ーーー。
ちょうど襟に隠れるくらいの高さに、発赤があった。
思わず手を伸ばし、後ろから襟を引く。
「―――うぐっ」
右京が驚いて振り返る。
「おい…!何だよ…!」
ひとつじゃない。
いくつも、いくつも。
まるで―――。
――こいつは自分のものだ、と主張してくるかのように。
自分も女と経験がないわけじゃないからわかる。
後ろから激しく突きながら、
逃げないように抱きかかえながら、
興奮と快感で赤く染まる首に、舌を這わせ、
たまらなくなって、軽く噛みつく。強く吸い付く。
何度も。
何度も、何度も、何度も――――。
こんなことをこの男にできる奴は、自分の他には、もう1人しか思いつかない。
―――あいつ……。
右京をあんな目に合わせておきながら、その気持ちを利用して、右京を犯したのか…?
昨日の放課後はこんなのついてなかった。
じゃあ、昨日の夜か?
サッカー部が帰った後に?
生徒会が終わった後に?
俺が―――。
多川たちに拉致られた後に―――?
「……離せ!」
自分がそんな痕を付けられているとはどうやらわかっていない右京は、パチンと蜂谷の腕を振り払った。
「何すんだよ…!」
こちらを睨み上げている表情には、さきほどまでの違和感はなかった。
でも―――。
そうか。永月に昨日抱かれたからーーー。
だから、顔色が悪いのか。
だから、目が赤いのか。
だから、自分から誘ったんだな。
俺と決別するために―――。
「――いや。行こうぜ」
蜂谷は右京の細い腕を掴んだ。
―――させるかよ。
あいつの思い通りになんてさせない。
こいつを。
この男を。
力づくでも取り戻してやる―――。
つい数分前まで右京と関係を断つ気でいたのに、180度目的が変わった蜂谷は、コンビニの窓ガラスから見えるホテル街を睨んだ。
◇◇◇◇◇
ホテル街の入り口まで来ると、さすがに気づいたのか右京は足を止めた。
「―――おい、ここって」
振り返った蜂谷は右京の顔を見た。
「嫌なら帰ってもいいけど?」
「――――」
もちろんNOとは言わないのを見越して言う。
「いや。行こう」
右京は無表情で言うと、蜂谷を追い越して、色とりどりの看板が光るその道を歩き出した。
「―――おい」
どこまでもぐんぐんと歩いていこうとする、そのその細い腕を掴む。
「ああ?」
「ここ」
言いながら蜂谷は、クローバーを模したピンク色のネオンを指さした。
「緩いから」
「緩い?」
「だから。こんな格好でも入れてくれるってこと」
言いながら蜂谷は自分と右京の制服を指さした。
「―――あっそ。詳しいんだな」
右京はそう言いながらもう一度ピンク色のクローバーと建物を見比べた。
「ーーーじゃあ、行く?」
蜂谷が言うと、右京はふうと軽く息をついてから、先に建物に入っていった。
部屋を選び、ボタンを押して鍵をとると、右京はキョロキョロしながら廊下を歩いた。
「こっち」
その頭を優しく包むと、抱き寄せるようにして蜂谷はキーに書かれた部屋番号まで彼を連れて行った。
「ーーーー」
首につけられている痕を、改めて見つめる。
こんなの、今から全部上書きしてやる。
視線を右京の首筋から背中に滑らせる。
この薄い肩に手をついて、
細い腰を抱きしめながら、
小さい尻に、
狭い中に、
ーー何度でも何度でも打ち込んでやる。
昨日の情事が思い出せなくなるほど、強く、激しく、痛く、そして―――。
最高に気持ちよくしてやるーーー。
蜂谷は銀色のプレートに掘られた部屋番号を確認すると、鍵を差し込みドアを開けた。
◇◇◇◇◇
ウォーミングアップが終わり、シュート練習を前にベンチで休憩をとっていた永月は、携帯電話を見つめてフッと笑った。
「なになに?彼女ー?」
副部長の今井が覗き込んでくる。
その声に驚いた後輩たちが、永月を取り囲む。
「え、部長、ついに?」
「彼女作ったすか?」
口々に言う。
「………いやー?」
永月はベンチに腰掛けながら足を組んで足首を回した。
「なんか振られたっぽい」
「はあ?」
今井を含めた部員たちが目を見開く。
「“今夜も会いたい”って誘ったんだけど、“今日は無理”って返事が来てた」
「―――今夜もって!?」
部員たちがニヤニヤと顔を見合わせる。
「うわー。永月ファンが泣くわ」
後輩の1人が笑う。
「でも、こんなにかっこいい永月さんが今まで彼女作らなかったことの方が、不思議だったんだって!」
後輩たちが揃って頷く。
「うおー!!でもなんか、悔しいぞ!」
後輩の1人が立ち上がる。
「俺たちの方が永月さんのことよく知ってるのに!」
「そうだそうだ!」
他の後輩も立ち上がる。
「永月さんを思う気持ちなら、絶対そこらの女に負けないぞ!」
その言葉に、永月は背もたれに腕をついて笑った。
「よし!その気持ちを込めてグラウンドダッシュだ!行ってこい!」
言うと彼ははじけ飛ぶように我先にと駆けていった。
「……愛されてるねえ」
今井が笑いながら、まぶしそうに手で太陽の光を遮る。
ピロン♪
LANEの通知音が鳴った。
開くと、あの女からだった。
『どう?あれ、役に立った?』
永月は口元だけ綻ばせると、すぐさま返信を打った。
『まあ、吉とでるか凶と出るか、今のとこ半々かな』
短く送ると、返信はその2倍の速さでかえってきた。
『今夜、いつものところで待ってるから』
ーーー今夜、か。
右京も会えないと言ってるし、ちょうどいいか。
お会計というやつだ。
「まーた、彼女ちゃんからメールかよ?」
今井がからかう。
「愛だねぇ」
永月は携帯のディスプレイをオフにすると、
「可愛いよ。ホントに……」
スポーツバックに投げ入れた。
◆◆◆◆◆
――――何が起こったのかわからなかった。
だが気が付くとローテーブルが目の前にあって、その下に溜まった埃が、部屋のブラックライトに照らされキラキラと輝いていた。
ここはラブホテルの一室。
目の前に見えるのはガラスでできたローテーブル。
それはわかる。
しかし―――。
どうして自分は息もできずに、そこに這いつくばっている―――?
「ーーー2023年8月21日……」
聞き覚えのある声が頭上から降ってくる。
「辻直正。5000円」
この声は―――。
右京?
「2023年9月1日 袴田優愛 3500円。2023年9月3日 今野猛 3000円」
「……うぐっ!」
背中を踏まれ蜂谷は鈍い声を出した。
「辻直正ってうちの学園の辻先生で合ってるか?金額が個々で違うのは、年齢と職業に寄るのか?それとも―――」
背中を踏まれたまま無理やりぐいと顎を掴み上げられる。
「お前が握ってる“情報”の重さに寄るのか?」
部屋に入るなり振り向きざまに腹に膝蹴りを入れられた。
前のめったところで右フックが飛んできて、よろけたところで左ストレートが入った。
四つん這いに倒れたところで中段蹴りが飛んできて、10秒もしないうちに、自分の身体は、ラブホテルの床に転がされた。
ーーー血の味がする。
ゴロゴロと違和感があって吐き出してみたら、それは真っ赤に染まった折れた歯だった。
殴られた顎が息を吸うだけで痛い。
蹴られた腹が、息を吐くだけで痛い。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
「ーーー2023年9月15日 芦田洋一 3000円。2023年9月21日 岡崎庸明 6000円」
右京はいつの間に取ったのか、蜂谷のバックの中に入っていた黒いリングノートを読み上げていた。
その刺すような視線が自分を見下ろす。
「そういえばお前、俺と出会った頃に言ってたよな。“俺はお前の弱みを握ってるんだぞ”……だったか?」
言いながらページをおざなりに捲っている。
「人の弱みば握って金を脅し取り、それをこの“出納帳”に記し、ほくそ笑んでいる。いい趣味だな?蜂谷圭人」
―――出納帳……?
蜂谷は床に突っ伏しながら目を見開いた。
なんでこいつそれを知っている……?
今まで、偶然右京がこれを目にする機会はあったかもしれない。
しかし、“出納帳”と呼んでいることは、自分しか知らない。
知らないはずだ。
『なあに?それ』
女の甘ったるい声を思い出す。
『すいとう?なんか飲むの―――?』
ーーー響子だ。
響子の前でしか出納帳と口を滑らせていない。
あの女が右京に――――?
いや、二人におそらく交流はない。
響子が右京に直接それを教えるメリットもない。
じゃあ誰が………。
蜂谷の脳裏に青色のユニフォームを着て微笑む彼の顔が浮かんだ。
あいつか……。
永月が響子の本命だったんだ……。
俺が響子を使ってあいつを新体操部Mをあぶり出そうとしていた同じとき、あいつは響子を使って俺を嵌めようと企んでいた―――。
「おい。何も言えねなが?」
キレた時にしか山形弁は出ないと言っていた彼は、踏んでいた足を外して蜂谷を転がし、襟元を掴み上げ無理やり起こした。
「俺、お前みたいなやつが一番嫌いだよ。人の弱みさ付け込んで、人間ば骨の髄からしゃぶっていく蛆虫みたいなやつが―――」
その目には光がなく、闇の穴が広がるばかりだ。
「初めから排除しておけばよがったんにな」
「――――」
「お前のこと、少しでもいいやつだと思った俺が馬鹿だった」
右手をかざし、蜂谷に見えるようにそれを握る。
先ほど自分を殴った時に負傷したのか、関節が腫れている。
それでも彼はミシミシと音を立てるほど強くそれを握りしめていく。
「弁明があるなら聞いてける」
腰を捻り、それを引き絞る。
「お前が死んだ後にな」
左頬からゴキッと何かが折れる音がして、蜂谷は再び床に倒れた。