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そして今は、この部屋……王宮の寝室……
あの日のキラキラとした海の輝きは、今と同じだった。
僕は、とらえられたのだ。
強引に、薬まで打たれて。
それから、ずっと眠っていたのだろうか……
窓辺に肘をついたまま、彼は問う。
「ねえ、いま、何月何日ですか?」
「7月20日。王妃タカコ様のお誕生日でございます」
女性は待ってましたと言わんばかりに背後からはっきりと答えた。
7月? 王妃タカコ? 誕生日?
タクヤは思考をあきらめた。そして「ほら、この海」と、手振りで窓の外を指す。
女性もカーテンをよけて顔を出した。
「海、ですか?」
「そう。海の輝きで、思い出したよ。祭りの日の記憶。あれは春だった。正確には、たしか4月14日。午前にいやな演奏試験があったからよく憶えている。気晴らしに街に出て、フィッシュフライサンド買って食べた。美味しかったな」
「お一人で?」
「いや、悪友と二人。あいつ、いつも夜中にゲームばっかやってて寝不足なんだ。名前は、たしか、ゼン。そうだ。ゼンじゃそっけないから、ゼンちゃんって呼んだら、あいつ『悲しくなるからやめろ』って。まあ、べつに、タクヤって名前が華(はな)があるわけでもないけどね」
「やっぱり、タクヤ様ですね」
タクヤは目をふせて、頬杖をついた。
「つまり、あの日から、僕はずっと眠らされていたってことなのかな。3カ月間も?」
「そうですね」
「そうか……だから点滴されていたのか」
「無事に目覚めること、それが何より、大切なことでございました」
「ねえ、そうすると、もしかして、あなたは、僕をとらえている、悪いいちみの人?」
タクヤはまるで他人のことのように質問した。
女性も今までの優しい雰囲気のまま、並んで窓辺に肘をついて言った。
「私は、メリル。タクヤ様の第一秘書でございます。悪い仲間などではございません。どうぞ、ご安心を」
「ご安心を、ていったって、話のつじつまが合わない気がする。僕は強引に連れ去られたんだよね?」
「お連れする方法に問題があったかどうかは、私にはわかりません。ただ、『降霊祭』の関係者は、なにかと配慮に欠けるきらいはあるかも。世間離れした人たちですから、許してあげて」
「えー、配慮に欠けるなんてもんじゃないよ。黒スーツの男達に囲まれて、グワッと腕をとられて、どでかい注射をぶちゅーって」
メリルはほがらかな笑みを浮かべた。
「俳優でも雇ったのかもしれませんね。あとで『行方不明』で警察に届け出されると、いろいろ迷惑をかけてしまうし。はっきりと『連れ去られた』としておいた方が楽だと判断したのでしょう」
「いや、そういう問題ですか……」
「でもね、なによりちゃんとお目覚めになっていること。これが大切なのでございます。本当によかった」
メリルは愛のこもった目で彼を見つめた。
しかし彼はまだ納得できない。
「それ、よかったって言うやつかな」
「言うやつですわ。私、この日を、心から待ち望んでおりました。タクヤ様の目覚め。タカコ様のお誕生日。ちょうど重なっておきるなんてね、まさにスーサ神のたまものですわ」
「それ、タカコ様って、まさか、僕の母親、とか、言いませんよね?」
「記憶がございませんか?」
「はい、ございません、これっぽっちも」
「なら、悲しいけど、少し、よかった」
「よかったって?」
「すばらしい方でしたわ。亡くなられてしまいましたが」
彼女は、遠くまでまっすぐ届くボールのように、優しい笑みを崩さなかった。
それが逆に、彼には、痛々しく感じられた。
「なんで、思い出さないことが、いいことなのかな」
「思い出せると、痛みが走るのです、心に、強く、えぐられるように」
「……ねえ、もう一度、あなたの名前を教えてもらっていい?」
「メリル。タクヤ様の第一秘書のメリルでございます」
「メリルさん……僕は、あなたを信じていいの?」
するとメリルは、窓辺から肘を離し、サッと方膝を床に着けて、うやうやしくタクヤの手をとった。
「私メリルは、スーサリア王子タクヤ様に、この命を捧げてつくすことを、誓います」
ピンと張った空気。
彼には、その言葉が冗談ではないことがわかった。
メリルの「命をかけて」という誓いに、ウソはない。
いや、むしろ、すでに死の覚悟は済ませている、と感じられるほどに、その言葉の深い重みが彼の心に突き刺さってきた。
しかし、重いだけではない。
メリルの誓いの言葉は、同時に、とても温かかった。
彼は、ひざまづく彼女の手を握りしめた。
「ありがとうございます。僕には、王宮の王子という実感はまだないけど、もし本当にその立場なら、メリルさんのもとで目覚められたことを、心から感謝します」
「もったいないお言葉です」
「僕がよく読んでいた小説には、転生や、異世界のストーリーが多かった気がする。目覚めたらべつの時代にいたとか、死んでしまったら別の世界に飛ばされたとか。そういうのを読み過ぎて、こうなっているわけではなく、これは、マジで、本当の現実なんですね」
「はい、タクヤ様。これは小説などではございません。まごうことなき現実でございます」
「なんか、少し恐いな……」
「怖がらず、強くなってください。王子の成人は、名前だけの祝い事ではありません。厳しい真の試練がひかえています」
「勉強とか?」
「そんなことではありません。あなた自身が、内側から変わるのです」
「はあ?」
「私が支えます」
「いつまでも?」
「もちろんでございます。たとえ私が死んだとしても、なお、あなたを支えていくことでしょう」
「おばけですか?」
「そうです、王子」
メリルは真顔のまま、強く断じた。
微笑むことすらなく。