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それでもいいから…

24 - 第24話 存在しない選択肢

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2024年10月16日

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マネージャーである紫雨がいないというだけで、当たり前の如く朝礼は始まっていなかった。


紫雨は遅れたことを簡単に詫びると、鞄を脇に置き背筋を伸ばした。


「朝礼始めます」


言うと、全員が椅子を軋ませながら立ち上がった。


慌てて林も事務所に入ってくる。


「各部署より連絡事項と今日のスケジュールの報告。工事課から」


「はい。—————、————、————————」


工事課の報告が続く中、いそいそと靴を履き替える林の姿を秋山が小さな目で振り返った。


「続いて設計課」


「はい。————、—————————、————」


秋山の視線は、林が無事に皆の輪の中に入ると、そのまま紫雨に注がれた。


思わず顔を逸らす。


「最後に営業課です。11時から私のお客様で御子柴様、図面打ち合わせで来場します。2階打ち合わせ室②を使用します。よろしくお願いします。

3時から室井マネージャーの赤羽様、構造現場見学予定です。いらっしゃったらまずは展示場リビングに通してよろしいですか?」


室井が大きく頷く。その横にいる秋山の目がまだ、紫雨を刺すように光っている。


(……なんだ……?)


いつもは感じない威圧感があるのは、自分に負い目があるからだろうか。

紫雨の背中を冷たい汗が一筋流れていった。


「他に全体連絡がある方はいらっしゃいませんね。はい、それでは一日よろしくお願いします」


朝礼は終わった。紫雨は他の社員と同じように、席についた。


「秋山支部長」


まだ紫雨のことを見ていた秋山の前に、誰かが駆け寄った。


「ん?」


「お話が。お時間よろしいですか?」


(……おいおい。早速かよ…)


秋山の前に立っていたのは、林だった。


「いいよ、何?」


秋山が小さな目を見開いて、林を見上げた。

もしかしたら林が自分から秋山に話しかけたのは、これが初めてかもしれない。その珍しさから室井も飯川も顔を上げている。


「ここではちょっと」


林が気まずそうに視線を逸らす。


(あいつ……!)


紫雨は彼の少し盛り上がった胸元を睨んだ。


(金を受け取っておきながら…!)


秋山はもう一度こちらを振り返った。


慌てて視線を逸らすと、彼は林を見上げ微笑んだ。


「いいよ。和室でいい?」


「あ、はい」


小柄な秋山は立ち上がっても、林と比べて頭一個分、身長が低かった。

それでも秋山の方がなんだか大きく見えるのは、彼のオーラのせいだろう。


二人は事務所のドアを開け、展示場に消えていった。


「なんだなんだ?」


飯川が口の端を歪めながら言った。


「辞めるすか?あいつ」


うだつの上がらないペナルティー寸前の営業マンが、わざわざマネージャーが出社するのを駐車場で待っていて、その後、支部長を呼び出す。


確かにそう見えてもおかしくない。


しかし――――。


「辞めるのは、俺かもな……」


紫雨はふっと笑うとノートパソコンを開いた。


「は?」


わけのわからない飯川は首を傾げると、もう顔を上げないマネージャーと展示場へのドアをしばらく見比べていた。




それからきっかり15分後、なぜか秋山一人で事務所に戻ってきた。


しかし自席に戻ろうとはせず、顔だけ覗かせると、営業席を見た。


「紫雨君」


その静かな声からは感情は聞き取れなかった。


「ちょっといいか」


来たか。

こういうのを何と言うんだっけ。


身から出たさび?

年貢の納め時?

万事休す?

一貫の終わり?


何にしろ――。


(――あっけない最後だな……)



「それから飯川君、キミもいいかい?」


「!?」


その言葉に、当の飯川よりも紫雨の方が驚いた。


(……飯川?なんで?)


二人が同時に立ち上がるのを見ると、秋山はさっさと展示場に戻ってしまった。


ぱたんとドアが閉まる。


「………やっぱり、林、辞めるんですかね?」


飯川が薄い髪の毛を整えながら狭い机の間を身を細めて移動している。


「……まさか」


そう。まさか。


でも――――。


(嘘だろ……?)


紫雨は自分が辞めるかもしれないという予感よりも、飯川が口にしたその可能性に、背筋が凍り付いた。




和室に入ると、林は掘り炬燵に座ってこちらを静かに見上げた。


「まあ、座って」


秋山が林の隣に座り、紫雨と飯川は目配せをした後、その正面に並んで座った。


「えーと、林君から聞いたんだけど」


秋山がテーブルの上で両手を合わせ、紫雨と飯川を交互に見る。

そして紫雨に視線を固定すると、小さな、しかし鋭い目で見つめた。


「紫雨君。どうしてすぐに報告をくれなかったの」


報告。

……報告?


「本来こういうことは林君からではなく、紫雨君、君本人から言ってくれないと」


「――――?」


何のことを言っている?

紫雨は顔を秋山に固定したまま、視線を林に走らせた。


「………すみません、勝手なことをして」


林が表情を変えないまま、申し訳なさそうな声だけ出した。


「————?」


まだわからず眉間に皺を寄せながら秋山を見る。


すると、その薄い唇がやっと動いた。


「変な客につけまわされているんだって?」


「……ああ!」


紫雨の代わりに飯川が隣で呟く。


「昨日の………」


言いながら紫雨を振り返る。


紫雨は林を睨んだ。


(――こいつ、どういうつもりだ…?)


「この岩瀬という客だね」


来場者名簿を見ながら秋山がため息をついた。


本来、氏名、住所、電話番号を書き込む欄があるのだが、秋山が指さしたそこには、『岩瀬』の文字が乱暴に氏名欄に殴り書きされていただけだった。


「そうです」


飯川が頷く。


「展示場につくなり、紫雨マネージャーはいますかって」


言いながらこちらを再度見つめる。


「そして昨夜、林君が紫雨君の忘れ物を届けにマンションに寄ったところ、君が走って逃げてくるところだったと……」


「————」


答えない紫雨を無視して秋山は続けた。


「展示場に訪ねてくるだけじゃなくて、自宅マンションにまで現れて追いかけまわすなんて、普通のことじゃないよ」


組まれていた両手がドンとテーブルを叩く。


「警察に相談すべき案件だと思うけど、紫雨君はどう思う?」


三人の視線が自分に注がれる。


予想していなかった展開にめまいがする。


(そもそもあいつ、客じゃねえし)


今この時点で警察が絡んだら、展示場カメラの記録から、あの男が客じゃないことがバレてしまう。


セフレの一人でした、なんて言えない。


しかも自分から電話を掛けた発信履歴が残っている。

半ば無理やりとは言え、男の家に行き、身体の関係を結んだこともバレる。


言えない。警察には――――。


「私は………」


「そこまで話を大きくしたくないんですよね?」


言い淀んだ紫雨のかわりに言葉を発したのは林だった。


「今のところ何か相手が手を出してきたわけじゃないから、マネージャーは警察や弁護士に相談するのを戸惑っているんです」


秋山にもっともらしい顔をして言う林を、紫雨は睨んだ。


(こいつ………何を考えている?)


「まあ、わからないわけでもないけど」


秋山は首を捻りながら言った。


「でも君の身に何かあってからでは遅いから」


「そうですよね。マネージャーが心配です」


林は顔を上げ、紫雨を正面から見つめた。


「ですから、どうでしょう。当分の間、紫雨マネージャーには、私か、もしくは飯川さんの家に泊まってもらうというのは」


「……はあ?」


また紫雨よりも先に飯川が言った。


「……あ、いえ。嫌とかじゃなくて。俺の家なんかとてもとても狭くて汚くて、紫雨さんに悪いと思うんで」


慌てて弁解を始める。


秋山が林を見る。


「君の家は大丈夫なの?実家だよね?」


「大丈夫です。家は無駄に広いですし、客間もたくさんありますので」


(おいおいおいおい、待てよ。待ってくれよ…!)


紫雨は秋山と林に視線を往復させた。


(俺がこいつの家に?冗談じゃない!)


「いや、そんなことはいくら何でも。ホテルに泊まりますよ」


感情とは裏腹に微笑みながら言うと、


「展示場から車で尾行されることもあり得ます」


林がぴしゃりと言った。


「ホテルのエレベーターに無理やり乗ってきて、ナイフなんかで脅されて部屋に入ってきたらどうするんですか!」


「—————」


(……こいつ…!)


「林君のご両親がいいと言うなら、だけど」


秋山が勝手に話を進める。


「それは大丈夫です。私から説明します」


秋山がこちらを見る。


「どうだい?紫雨君。私としては、今すぐ警察に相談するのが一番だと思うんだが。一応観察期間をおくかい?」


「—————」


紫雨のこめかみから汗が滴り落ちる。


「どうする?紫雨君」


秋山の小さな目が俯いた紫雨の額を刺す。


(こんなの……選択肢はねぇじゃないか…!)


「…………っ」


紫雨は小さく息を吐いた。


「………林に、甘えることにします」


彼を見上げる。


その口元は、わずかに上がっていた。



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