この作品はいかがでしたか?
4
この作品はいかがでしたか?
4
高原からまさかの告白をされたあの日から、ひと月ほどがたっていた。
彼は無事に研修生となり、順調に業務に取り組んでいる様子だった。
高原は、私が言ったように、また彼も自分からそう言ったように、「仕事は仕事」として取るべき態度を守っているようだった。ただ、完全に私情抜きかというと、そうとも思えなかった。なぜなら、何かしら相談事を持って会社にやって来ると、彼は必ずと言っていいほど私を名指しして対応を求めたからだ。
その度に、私は内心でため息をついていた。高原がやって来た日に対応したのが私だと知ると、大木の風当たりが、なぜかいつも以上に強まることが多かったからだ。それだから、高原の対応を誰か他の者に任せたい、と思っていた。
しかし、私の手が空いていない場合に久美子か戸田が対応すると、そういう時の高原の顔には不服そうな色が滲んだ。それを目にして呆れはしたが、私と言葉を交わしたいと思ってくれたのかしら、と嬉しいような気持ちになっている自分に気づいてもいた。認めたくはないけれど、私は確かに彼を意識し始めていた。
その日、午後になって高原がやって来た。
カウンター近くにいた戸田の声が聞こえる。
「いらっしゃいませ」
高原は、出迎えた戸田に向かって薄い微笑を浮かべて挨拶した。そのまま目を上げて席にいた私の姿を捉えると、彼はいつものように私の名前を口にした。
「早瀬さんをお願いできますか」
「はい、ただ今」
そう言って振り返った戸田が、私を意味ありげな目で見て口元を動かした。
―― ご指名ですよ。
私は心の中で苦笑しながらノートとペンを持って立ち上がり、戸田と入れ違いに高原の前まで行くと彼に会釈した。
「いらっしゃいませ」
そのまま彼を、パーテーションで区切った簡易的な来客用スペースへと案内する。
高原は、個人契約の書類を何件か持参してきていた。登録してからまだ日が浅いというのに、契約を取り付けて来るその早いペースに驚く。
高原は私の前に書類を置くと言った。
「チェック、お願いできますか」
私は頷くと、書類を手に取った。目を皿のようにしながら内容を確認する。隅々までチェックが終わると、私は書面を指さして高原に言った。
「こことここが記入漏れです。ここのサインも抜けています」
「ああ、本当だ。失礼しました」
高原はペンを持つと、私が指摘した場所を埋めるため顔を伏せた。
間違いはないか確認するように、私はその手元を眺めていた。書き終わってふっと顔を上げた高原と目が合ってしまい、不覚にもどきっとしてしまう。
高原は口元に小さく笑みを刻むと、私だけに聞こえるくらいの囁き声で言った。
「今夜、空いてる?」
私は動揺を悟られないように慌てて目を伏せると、同じく小声で返した。
「空いてません」
彼はメモを取るふりをしながら続けた。
「何度もメッセージ入れたのに、返事くれないんだな」
「忙しかったので」
「そう簡単にいかないことは覚悟してるけどね」
そう言うと、高原は目元を緩めて私を見つめた。
その表情に胸の中がざわめいたが、私は平静を装いながら書類をまとめる。
「……それでは書類はお預かりします。何かあれば、またご連絡しますので、その時はご対応などよろしくお願いします」
大木の声がしたのはその時だ。
「高原さん、いらしてたんですね。お疲れ様です」
顔を上げると、外出先から戻って来たばかりと思われる大木が立っていた。パーテーションの脇から覗き込むようにして、私と高原を笑顔で見ている。大木は高原に目を向けると、にこやかに言った。
「たくさんの契約成立、ありがとうございます。さすがマルヨシ様ですね」
私ははっとした。
その言い方は、まるで高原が親の力を利用してでもいるかのように聞こえてしまう。自分が失礼な発言をしたことに、大木は気づいていないのだろうか。
私ははらはらしながら高原の横顔を見た。しかし、彼は穏やかな顔をしている。大木の言葉などまったく気にしていないと言った様子で、高原はさらりと言った。
「えぇ、おかげさまで」
高原の余裕ある態度が、癇に触ったのだろうか。大木の笑顔がぴくりと引きつった。それをごまかすためか大木の笑顔がさらに大きくなり、不自然なほど明るすぎる声で言った。
「ぜひその調子で、今後もよろしくお願いします」
「はい。頑張ります」
高原がそう言って頭を下げたその一瞬、大木が私を見た。その目の奥に、探るような疑うような、嫌らしい光がちらついたような気がした。
あぁ、また何か言ってくる……。
そう思った途端、胸苦しさを感じて気が重くなった。
高原が帰って行った後、私は大木から別室に呼ばれた。
二人きりになるのは嫌だな――。
ここ最近、高原が来る、または来たと知ると、大木の嫌味は粘着度を増していた。今度は何を言われるのかと緊張しながら入室すると、大木は私を立たせたままで、早速口を開き低い声で言った。
「早瀬さん、ずいぶんと高原さんと親しげな雰囲気だったねぇ。まさかとは思うけど、彼と何かあったんじゃないだろうね。――例えば、寝た、とかさ。彼、どことなく色気あるしねぇ」
「何をっ……!」
いきなりの侮辱発言に、私は全身がカッと熱くなった。大木得意の嫌味と言いがかりだと分かってはいたが、私だけではなく、遠回しに高原のことまでも貶めるような言葉に、私は怒りでめまいを起こしそうになった。しかしそれを必死に抑え込みながら、私は声を絞り出した。
「そんなことはしていませんし、ありえません。それに、今の課長の発言は、高原さんに対しても失礼だと思います」
「ふぅん……」
大木は腕を組むと、疑いのまなざしを私に向けて、じとっとした口調で続けた。
「失礼、ねぇ……。本当にそうかな。どうも私の目には、そう見えなかったからさ。まぁねぇ、高原さんはほんと、いい男だからね。早瀬さんが好きになる気持ちは分からないでもないな。ああいうのが好みなんだったら、私のことなんか確かに眼中にないよなぁ。まぁ、とにかくだ。高原さんだって、あんまり変な噂が立ったりしたら迷惑だろう。彼はマルヨシの跡取りなんだろうからさ。そんなわけで一応ね、確認させてもらった」
「……」
いつも以上に執拗な棘のある大木の言葉に、私ははらわたが煮え繰り返りそうだった。しかし、ここで怒りを露わにしたり涙ぐんだりするのは大木を喜ばせるだけだと思い、私は拳をぎゅっと握りしめて大木の勝手な暴言に耐えた。
「……以後、周りに誤解を与えないよう、十分に気を付けます」
悔しいけれど私はそう言って頭を下げた。
大木はふふんと鼻で嗤うと、顎でドアの方を示して言った。
「あぁ、そうした方がいい。……仕事に戻っていいよ」
「はい、失礼します」
部屋を出て、私は下唇を噛みながら思った。
―― 大木がいなくなるまでのあと半年、それまで我慢してなんとか乗り切ればいい。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!