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最初見た時「え!?どゆこと!!?」ってなったんですけど前まで書いてた作品を旧作にしたんですね!!クズの本懐と旧の方になった君ノ声ヲ聴カセテも後で拝見させていただきますね!!
……あの時繋いでくださった、あなたの優しさを、私はこれからも忘れることはありません。
白河知成
時は大正。長月の頃。
白河繊維商社白河繊維商社と云えば、ここ最近繁盛している大変人気な繊維商社である。 その商社の敏腕若手社長である白河知成白河知成は、今とある喫茶にて、商談を行う。…… はずなのだが、一、二、三、……約束の時間をとうに過ぎている。 時間を数えてみると、約束の時間から、もう四十八分も経過していた。 さすが遅すぎではないだろうか。 お相手はたしか大手企業に勤める五十近くの男性であったはず。 大の大人が約束の時間通りに来られないとは、まったく信じがたいことだ。 たとえば、五分、十分程度の遅刻であれば、不都合な出来事が生じたのだと思えるが、約五十分の遅刻はなめられているとしか思えない。
年でしか、価値を測ることしかできないだなんて、まったくもってかわいそうな輩だ。
おおかた、若くして起業した者は、社会を知らぬからバカにしても気が付かないとでも思っているのだろう。なんてお門違いだ。
知成は笑顔を絶やさず、優雅に珈琲を飲む。
だが内心では会ったこともない男に対して、あまり口に出してはいけないような罵詈雑言を浴びせていた。
(あれが、白河か……?)
ふと、そんなくぐもった声が聞こえてきた。
ようやく来たのか、と怒りが頭に上り、沸騰しそうになりながらも、平然とした態度でまた珈琲を飲んだ。
喫茶の入口の方から、粋がって似合わない背広を着た不格好な小太りの男が、ぽてぽてと汗を拭いながらやって来た。
「いやあ、まいった、まいった。どうも待たせてしまって申し訳ない。先ほど、あちらで人混みにもまれていたものですから……」
(適当に誤魔化しておけばよいだろう。まあ、実際は娘に会うかんざしや着物を見繕っていただけだが。)
知成の耳がぴくりと動く。
「そうでしたか。それはさぞかし大変だったでしょう。どうぞお掛けになってください。」
男は知成の向かいにかっこつけたようにどっしりと座る。そして、煙管煙管をキザに吸った。その男の姿を見て、知成は、どうかこの男の似合わない背広がはち切れて恥をかいてくれないかな、と思うばかりだった。
男が名刺を知成に差し出す。知成も自身の名刺を差し出す。しばらくニコニコとしていると、男がウェイトレスに珈琲を注文した。
「それでは、取引のことなのですが……」
「いやはや、人は変わる。世も変わる。時代も変わっていく。だが、生糸の需要は何があっても高いですから、良いところに目をつけて商売なさるなあ!」
知成の言葉を遮り、男は自惚れるように話し始める。イライラと頭の血管が切れてしまいそうだ。
「それはどうもありがとうございます」
「羨ましい限りですよ。うちは最近、第三子が産まれたんですけどね。大手に勤めていましても、妻子に食わすのに精一ぱい、精一ぱい。」
(赤ん坊はすぐ大きくなるからな。一刻でも早く金をかき集めておかないと。……帰りに、どこか良さそうな店に入って、買えなかったかんざしでも見繕ろう)
「……素敵なお父上様だ。たしかに子供はすぐに大きくなる。その為に、お父上様は身を子にして働いていらっしゃるなんて、ご家族の方はとても誇らしく思っておられることでしょうね。」
ニコニコと笑う知成に、男はわかってくれるのか、とでも言いたげに、身を乗り出した。
「よくわかっていらっしゃる! ですからね、私は決めましたよ。お宅の商品、買い取ることにしましょう。もちろん、取引は相場にならった額ということで、ね。」
(おいしい商売だなあ、若造。まさかこれほどまでに上等な絹を扱っているだなんて思いもしなかった。本来なら普通の絹の相場以上の価値になるな)
知成は男の態度がおかしくて、つい笑いを抑えられず、ふんと鼻で笑った。
「よくわかっていらっしゃる! さすが、大手にお勤めになされる方は目利きが確かだ。私はすっかり感銘を受けましたよ! ですから特別に、この絹は相場以上の価値でご提供しましょう! ……これは、特別、ですよ。」
男は目を見開いた。知成はその顔をしかと目で見て、その後、何事もなかったかのようなそぶりで立ち上がる。
「それでは、私はこれで。そちらの者が契約書をお渡しするので、記入の方、どうぞよろしくお願いいたします。」
帽子を深く被る。
知成の隣に腰をかけていた、眼鏡をかけている知的そうな男が、すっと、契約書を取り出す。そしてその紙を向かいにいる男へ差し出した。
「……あ、そうそう。ここから少しばかり南側に歩いて、五軒目に柴田店という店があります。そこには種類が豊富なかんざしがございますから、お嬢さんにぴったりなかんざしが見つかるかもしれませんよ」
声を上げて笑いたくなる衝動を抑えて、爽やかに喫茶を出る。呆気に取られていたあの男の顔を思い出すたびに腹の痙攣がおさまらない。無性におかしくておもしろくて仕方がない。
大手に勤めているからとバカにしやがって。知成は心の中で静かに毒を吐いた。