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それからしばらくたったある日。
時庭展示場の正面玄関のチャイムが鳴った。
篠崎は小松とともに敷地調査に出かけ、日直であるはずの渡辺もなぜか事務所にいない。
しょうがなく由樹はドアを開け、展示場内に入っていった。
暗い廊下を抜け、洗面台を通り、和室を抜けて玄関へ向かうと、
「……げ」
「よお、新谷君」
そこには約一か月振りに会う、紫雨が立っていた。
「……何の用ですか」
「つれないなあ」
笑いながらシューズボックスにもたれ掛かっている。
「篠崎マネージャーは?」
「今、席を外してます」
嘘をついたのは、思い付きだった。
なぜか、直感で、篠崎の不在をこの男に知られないほうがいいと思った。
だが、
「あれー?今日は小松設計長と敷地調査でしょ?知ってんだよ?」
裏目に出た。
「そーんなに意識されると困っちゃうなあ。ちょっと立ち寄っただけなのに……」
言いながら高そうな革靴を脱いで、上がり框に足をかける。
「期待されてるなら応えないと。ねえ?」
逃げようとした由樹のネクタイを引っ張る。
「やめてくださいよ。この展示場、監視カメラ付いてんですよ」
負けてたまるかと由樹は睨む。
「確かに篠崎マネージャーはいませんけどね。日直の渡辺さんは直ぐに帰ってくるので。監視カメラで俺たちを見たら飛んできてくれますからね」
「へえ」
本当は、平日は閑古鳥が鳴いている時庭展示場では、平日は監視カメラを起動させていなかったが、ハッタリをかます。
「ナベもいないの」
……また裏目に出た。
睨む由樹に、笑いをこらえるように、クククと口元を隠している。
「ま、いいや。俺、実は新谷君にお願いがあって来たんだよ」
言いながらネクタイから手を離し、胸元から手帳を取り出した。
ヴィイルトンのジャイアントモノグラム。
ほんと、頭のてっぺんから足の先まで嫌味な奴だ。
「お願い、ですか…?」
顔を引きつらせながら聞くと、紫雨は手帳を開きながら言った。
「明後日、金曜日。お昼過ぎから空けといて」
「え?」
「地盤調査。同行ね」
「……地盤調査、ですか?」
「そ。俺たちの場合、みんな資格取得して、自分たちでしてるから」
言いながら紫雨は手帳からカードを取り出した。
『地盤調査員』と書かれた横に、今よりも少し若い紫雨の顔写真が貼ってある。
「通常、最低でも記録員一人、検査員二人以上と、三人以上での調査が義務づけられているんだけど、その日、俺と林しか参加できないんだよ。そういう時は、他の展示場に人員を借りることになってんの」
「……あ、でも、俺、資格持ってないし」
「だから荷物持ちを主にやってもらいたいんだよ。調査に使う機材、重いから」
言いながら紫雨はペンでこめかみを掻いた。どうやらその表情を見る限り、冗談とか悪戯ではなく、本当にその依頼で来たらしい。
「あ、篠崎さんの許可さえ出れば、俺は大丈夫ですけど」
紫雨は手帳から視線を上げ、由樹を見て目を細めた。
「飼い犬」
「…………」
カッと顔が熱くなる。
「あはは、冗談冗談。怒らないでよ。もちろん篠崎マネージャーの許可は取るよ。それでいいね?」
「はい」
なおも睨みつけている由樹を紫雨は楽しそうに見下ろした。
「じゃあね、楽しみにしてるよ。新谷君?」
そう言うと、軽く手を上げ、正面玄関の自動ドアから外へ消えていった。
カツンカツンカツンカツン。
紫雨の履いた革靴が、御影石の外階段を下りていく。
ふう、と由樹は短く息を吐くと、事務所に戻るべく、踵を返した。
紫雨は足を止め、人影のない時庭展示場を改めて見回した。
「末期だなぁー。死臭がするよ。このハウジングプラザ」
次々とメーカーが撤退した空き地を眺めてからセゾンエスペースを振り返った。
「地盤調査。楽しみだなぁ」
先ほどの露骨に嫌な顔をした由樹の顔を思い出し、紫雨はまた、クククと笑った。