敷地調査から事務所に戻ってきた篠崎は、帰ってくるなり背後から由樹の首根っこを掴んだ。
「!!」
襟元を裏返して覗き込む。
「な、なんですか?!」
首が締まる苦しさと、息のかかるほどの至近距離に、悲鳴のような声が出る。
「書いてねえな」
言うと篠崎はため息をつきながら、やっと由樹を解放した。
「しょうがねえ」
言うなり今度は由樹の二の腕を掴み、展示場へ続くドアを開けた。
「し、篠崎マネージャー?!」
すごい力に危うく階段に躓きそうになりながら、必死でついていくと、2階の主寝室についた。
ウォークインクローゼットに押し込められ、後ろ手に折れ戸を閉められる。
途端に、展示場内に流れていた、モーツァルトのピアノソナタは聞こえなくなった。
窓から漏れていた光も入らず、落ち着いたオレンジ色のダウンライトに包まれた篠崎と由樹は、畳二畳のクローゼットで二人きりになった。
「……あ、あの?」
わけが分からず篠崎を見上げると、彼は、おもむろに着ていた作業着のボタンに手をかけた。
「え」
するすると滑るようにボタンが外れていく。
由樹よりもずっと太い首、くっきりと浮き上がる鎖骨が露わになる。
(……が、眼福!!………いや、違う!なんで脱いでるのこの人!)
だがここでいきなり目を逸らすのもおかしいかと思い、できるだけ平常心を保ちながらそれを眺める。
(あ……)
左側の鎖骨の下あたりにホクロがある。
当たり前だが、篠崎が生身の人間であることを再認識し、由樹は生唾を飲み込んだ。
「何、ボーッとしてんだよ」
「えっ?」
ボタンを外し終わった篠崎が由樹のネクタイに手をかける。
「は?え?な……」
結び目に指をかけられ、シュルシュルと一気に緩められてしまう。
「……何を?!」
長く熱い指に首元の第一ボタンを外され、由樹は思わず篠崎を見上げた。
第二、第三と、自分でやるより何倍も速く篠崎の指が由樹のボタンを外していく。
「し、篠崎、さん……!」
「おい」
下のボタンを外すために、もう片方の手を軽く肩に置かれる。
「変な声だすなって」
妙に掠れた声がすぐ上から降ってくる。
ボタンを全部外し終わると、篠崎は由樹のワイシャツを脱がせ、それをクローゼットの棚の上に置いた。
そして、ゆっくりとこちらを振り返った。
その視線が由樹の華奢な首元から臍の下まで、まるでインナーシャツを透過するように上下に走る。
「ほっせえな。飯食ってんのか」
言いながらその手が、露わになった由樹の肩を掴む。
「…………!」
普段服に包まれている部分に触られているというだけで、意識してしまう。
思わず目を逸らすと、篠崎は数日前と同様、顎を掴んだ。
「だから、俺から目を逸らすなっての」
(そんな無茶な……)
「ところで、お前さぁ」
至近距離で篠崎がこちらを睨む。
「は、はい……」
「普段のサイズ、どれくらい?」
(さ、サイズ!?普段!?通常時ってこと?)
「な、何の、ですか?」
「決まってんだろ…」
篠崎の視線が下に下がる。
(………まさか!)
「服の」
「……はい?」
「だから、服のサイズだよ」
(……いや。俺、馬鹿?)
身体中から力が抜けた。
身長が3cmくらい縮んだ気がする。
「普段着はMとか着てて、ものによってはLを着たりしますけど」
心を無にして答えると、
「お前、明後日、地盤調査に行くんだろ」
「あ……。紫雨リーダーから聞いたんですか?」
「ああ。さっき電話がきた」
「そう、ですか」
少しだけガッカリした。
篠崎なら、紫雨の依頼を突っぱねてくれるかと、どこかで楽しみにしていた自分もいた。
(いや、仕事だろ。紫雨リーダーも。何を考えてんだか)
由樹は淡く幼い甘えと期待を振り払うように首を左右に振った。
「お前、よく考えれば作業着持ってないんだよなーと思って」
そんな由樹に気づくわけもなく、篠崎は先ほどまで自分が来ていた作業着を由樹に羽織らせた。
「これ、LLだけど。でかいか?」
(う……わ……)
今まで幾度と至近距離になったことはあるが、その非ではない。
少し前まで肌に触れていた温度と、篠崎のつけているコロンの匂いを感じる。
(やばい、これ………)
軽くボタンを留めながら篠崎が首を捻る。
「やっぱりでかいな。まあでもまずは明後日一日だけだしな」
声がウォークインクローゼットの密室の中で響く。
(まるで、後ろから抱きしめられているみたいだ…)
いい加減、心臓がしんどくなって目を瞑る。
(……ある意味拷問だって、こんなのっ…!)
「よし。明後日は俺の貸してやる。しっかり学んで来いよ!」
由樹の葛藤など露知らず、篠崎は思い切り背中を叩くと、由樹から作業着を脱がし、自分が着直した。
(数秒前まで俺の体を包んでいた作業着に篠崎さんが……って、なんて変態的な考え方……)
由樹は赤く染まった顔をごまかすように、自分のワイシャツに袖を通した。
展示場内が寒いわけはないのに、さっき脱いだばかりのワイシャツは、やけに冷たく感じた。