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二時間外を駆け回った先に、表通りのパトカーが目についた。並ぶ社内を数えて十二人の怪我人を乗せた白黒の車に、嫌な予感が脳を過る。携帯電話で白さんに連絡を取ろうとすれば、絶妙なタイミングで電話が鳴る。慌てて電話口に出れば、白さんが「狼森さん、赤荻さんが」と話し出す。
「白さん、カズちゃんがどうしたの?」
「赤荻さんが、路地裏で襲われて」
「カズちゃんが襲われた!?」
「ああっ、いえっ、違うんです!赤荻さんが路地裏で襲われた御兄妹を助けてくださったんです。お兄さんと妹さんは軽傷で、赤荻さんは無傷です」
白さんの連絡に安堵の溜息を吐いてしまいそうになるのをぐっと堪える。カズちゃんが無事だからと言って、他の人が傷ついているのに「良かった」なんて口にするのは間違っている。だが、取り敢えず追いかけるめぼしは定まった。カズちゃんが人助けをしたのならば、その後その人達と行動を共にしている可能性が高いからだ。プライバシーの問題もあるだろう、と思いつつも、とりあえず白さんにカズちゃんが助けたという兄妹の話を聞く。
「御兄妹はプランツェイリアンの方で……加害者はこのあたりでプランツェイリアン狩りと称される暴行事件を繰り返している集団でした。お兄さんが妹さんを守る為に攻撃を受けていたところに、赤荻さんが割って入って助けてくださったようです。事情聴取が終わった後、三人は近くのファミリーレストランへ向かわれたようです」
三人が向かったファミリーレストランを教えてくれた白さんに「ありがとう」と感謝を向けて、俺はその方向へと駆け出した。仕事帰り、カズちゃんとよくパフェやコーヒーを味わいに行く店の系列店であるその場所で、彼らがきっと言葉を交わしている。そして、兄妹と言われた被害者の兄は、どうしてか確信に近い思いで「彼だ」と理解出来た。
「カズちゃん、尖ノ森……!」
思っていたよりも簡単に辿り着いてしまったファミリーレストランに、先ほどまでの焦りはどこへやら立ち止まってしまう。今、この扉を開けたところで、自分に出来ることがあるのだろうか。温厚なカズちゃんを怒らせて、カズちゃんの為に何も出来ない俺が、一体どのような言葉を口にすれば良いのか。考えなしの自分を恨めしく思いながら、立ち竦んでしまう自分を叱咤しながら、動けない俺の前に、優しい琥珀色が現れる。
「……マコ」
何時も好んで飲んでいるコーヒーの香りがした。見れば、カズちゃんの腰辺りまでの身長しかない女の子が、不思議そうに俺の顔を覗き込んでいる。その愛らしい表情には見憶えがあって、彼女が確かに彼の兄妹なのだと理解出来た。少し遅れて、美しい顔を暴力に汚された彼が俺の前に現れる。
「柚季、おまけの玩具忘れて……狼森、お前」
酷い顔をしているな、と。瞼や頬を腫らして鼻には鼻血止めの脱脂綿を詰めた男に言われるとは思ってなくて、俺は思わず力が抜けてしまった。へなへなとへたり込む俺に、小さな女の子は怖がっているのか心配しているのか、俺とカズちゃんと尖ノ森をおろおろと見まわしていた。カズちゃんは女の子の頭を撫でて「大丈夫だよ」と微笑み、そっと俺の両脇に腕を入れて抱き上げた。
「ここだとお店の人に、迷惑かけちゃうからね」
「……そうだね、出入り口からは避けなくちゃ」
「そうだな、場所を変えよう」
俺達の言葉に、小さな女の子も真剣な顔をしてコクリと頷いた。その反応がなんだか微笑ましくて、俺の心に場所を変えてから言うべき言葉をするりと零させた。
「カズちゃん、ごめんね、愛しているんだ」
場所を人気のない公園に変えて、俺の愛の言葉に真っ赤になったカズちゃんを前に、俺は土下座をするままに「ごめんなさい」を口にした。尖ノ森は妹、柚季ちゃんの前で大人のアレソレを見せるわけにはいかないと思っているのか、柚季ちゃんの目をそっと掌で覆っている。柚季ちゃん自身は俺が何か悪いことをして謝っているのだろうということを理解しているらしく、大人しく尖ノ森の膝の上に座って事の終わりを待っている。
「ま、マコ。柚季ちゃんもいるから、もう土下座はやめようか……」
「いや、俺の気持ちはこれだけじゃ治まらない。俺はカズちゃんを傷つけたし、カズちゃんに甘えてたんだ」
頭を上げないままに俺は言う。愛を同情と甘えたことを言う俺に、自分さえいなければとカズちゃんの感情をないがしろにした俺に、謝罪するべきことは山のように積もっていた。すると、ふと。柚季ちゃんが何か動きを見せたのか、尖ノ森が「柚季!?」と慌てたような声を上げる。トトトッ、と軽い足音が俺に近づいてきて、小さな掌が俺の頭に触れた。俺に前を向かせようというのか、一生懸命に頭を引っ張るか弱い力を呼び水に、俺はふっと頭を上げる。見れば、柚季ちゃんは俺を真っ直ぐに見て、それから真剣な目をしてカズちゃんを指差した。声の無い彼女の唇が、俺に確かな言葉を向けた。
(目を見て話して。花は見つめられて、愛を感じるのだから)
大きな傷の残る喉が、声を取り戻すことはあるのだろうか。だがそれを憐れむほど、俺は愚かな男ではない。柚季ちゃんは声を持たずとも、その瞳には確かに言葉が宿っていた。強くて優しくて美しくて、そういえばこの子はカズちゃんによく似ていると思った。柚季ちゃんに頷いて、俺はカズちゃんへ視線を向けた。
「カズちゃん、どうか聞いて欲しい。俺は君が好きだ。愛しているんだ。そして……尖ノ森」
視線を向けた尖ノ森には、最早俺達人間に対する嘲りはなかった。そもそも、彼は人間を嘲っていたのではないのだろう。怯えていて、恐れていて、それは。愛すべき誰かを守る為に、必要な威嚇の構えだったのだと思う。例えば、同胞であるカズちゃんを。例えば、大切な家族である柚季ちゃんを。
「尖ノ森、俺はお前に、カズちゃんを渡せない。カズちゃんは俺の恋人で、いつか悲しませることになろうとも……俺はそれまで、カズちゃんを幸せにしたい」
弱っちくて馬鹿で卑怯な人間だけれども、俺はカズちゃんを愛しているんだ。どうしてか鼻の奥がツンとして泣きそうになりながら、俺は叫んだ。
「カズちゃん、俺と一緒に生きてください」
「……決まっているじゃないか、マコ」
僕は君と生きると決めているんだ。幼い頃、君が僕の花嫁衣装を見たいと言ってくれた、あの時から。
カズちゃんの言葉に、柚季ちゃんは驚いたように目をぱちくりさせて、そして心から祝福するように大きく手を叩いてくれた。幼い彼女の手拍子が気恥ずかしくて俯く俺達に、尖ノ森は大袈裟なくらい溜息を吐いて「勝てるわけもないな」と笑った。
「勿論、恋愛は勝ち負けではないが。それでも、此処に私が入り込む余地はない。狼森真。お前の愛が勝ち残ったんだ」
どうあっても幸せにしろよ。尖ノ森はそう言って、俺の体を抱き上げた。立ち上がらせた俺に、彼は少しの間視線を彷徨わせて、それから小さく「ごめん」と口にした。何に対しての謝罪なのかははっきり分かっていたから、俺は「なんのことだよ」なんて有耶無耶にしようとして彼の傷を指摘した。
「それより、お前も気を付けろよ。折角の美人な顔が台無しだぜ。お前のファンが泣くぞ」
「ふん。私はファンサービスなどしない男だからな。柚季が守れればそれだけで良い」
「それでも、だ。お前の事、本当に好きになる奴だって、そんな顔見たら悲しむんだからよ」
自分を大事にしろよ。そう言うと、尖ノ森はびっくりしたように目を丸くして、それから少し間をおいて「お前を」と俺に問うた。
「お前のことを、真と呼んでも良いか」
「別に、良いぜ。俺もお前のこと、鳳仙って呼ぶから」
こうしてこの日、俺は恋人と仲直りをして、二人の友達を手に入れた。次の休みには四人でどっかに遊びに行こうなんて、約束まで取り付けた。素直であることは幸福を運ぶのだなぁと、馬鹿な俺はようやく理解したし、もう二度と「俺はいない方が良い」なんて馬鹿な話で、カズちゃんを悲しませないと決めた。