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中央に大きな生簀があり、その中で伊勢海老がひげを上下左右に揺らしている。
座敷のテーブルに、お通しであるホタテの殻焼きと6つのジョッキが並ぶと、渡辺は立ち上がった。
「ええと、みなさん!新谷君の激励会にお集まりいただき、ありがとうございます!」
由樹は恐縮しながらペコリと頭を下げた。
「えー、数ヶ月という短い間ではございましたが、新谷君が来て、時庭展示場はパッと陽が差したように明るくなったと思います。ね、そうですよね、設計長」
「俺に振るなよ…」
急に話を振られた小松が眼鏡の奥の目を伏せる
「はいはい、そうですよ。新谷君は、時庭の太陽でしたよ」
ぼそぼそと言う。
「設計長……!」
由樹は潤んだ目で小松を見つめた。
「あ、そこまでは言ってませーん」
目の前で手を横に振った渡辺に、皆が笑う。
「冗談です。そうです!新谷君は時庭の太陽みたいな存在でした。
不器用ながらも一生懸命に切磋琢磨する新谷君の前向きな姿勢は、僕たちにも学ぶものが多くあり、彼を見ていると、ハウスメーカーに勤めることの楽しさ、すばらしさを再確認できる毎日でした。
ね、そうですよね、マネージャー」
奥に座っている篠崎がふっと笑って渡辺を見て、それから由樹に視線を移した。
(う…わ……)
途端に顔を真っ赤にした由樹に渡辺がマイクを向けるような素振りで右手を差し出す。
「はい!酔っ払う前に、新谷君から一言!!」
「あ……はい!」
「新谷君、ガンバー」
仲田の声援に、由樹は慌てて立ち上がった。
「今日は皆さん、お忙しいところ、そしてお疲れのところ、そしてお休みのところ、ありがとうございます」
休みだった猪尾が応えるように手を上げる。
「僕が時庭展示場に配属になったのは、もともと秋山支部長が僕に間違えて教えたのがきっかけで、偶然、配属になったんですけど。それでもみなさんに……本当に全員に、お世話になって、“お客様と家をつくる”という幸せを、教えていただいたと思っています」
一人一人の笑顔を見ているうちに、なんだか胸が熱くなってきた。
「間違いだったとしても、すごく幸運な間違いでした。きっとここに配属になってなくて、自分の信念も自信も、何もなく他の展示場に配属になっていたとしたら、本当に、あの、潰れていたと思います」
視界の隅に映った篠崎が俯くのがわかる。
「でも、皆さんに出会えて。……いろいろ教えてもらえて。お客様の視点に立って、一緒に幸せ作りをできるという喜びを知ったので……」
『家作りは対面じゃない』
篠崎の声が蘇る。
『同じ方向を見て、やるんだ。客も、営業も、設計も、工事課も』
記憶の中の篠崎の視線がこちらを向く。
『全員の視線の先にあるものは、もうわかるな?』
由樹は顔を上げた。
「お客様の幸せをつくれる職業についてよかったと思えるのは、皆さんの、そして篠崎マネージャーのおかげです!」
胡坐をかきながら、壁にもたれるようにして座っている篠崎を見つめる。
なんだか目頭が熱くなってきた。
「本当に、ありがとうございました!」
頭を下げると、誰からともなく拍手が起こった。
「……あ、マネージャー!感極まったのはわかりますけど、まだ飲まないでください!」
渡辺が慌てて叫んだ声に由樹が頭を上げると、篠崎はジョッキを持って半分ほど飲み干していた。
「皆さん、なんか泣きそうですけど、退社するわけじゃないですからね?車で10分の隣の展示場に移るだけ、ですからね?」
渡辺の言葉に篠崎を含めた皆が笑う。
「それでは湿っぽくなる前に始めますか!!かんぱーい!!」
全員のジョッキが掲げられる。
斜め前に座った篠崎のジョッキと由樹のジョッキが、力強い音を立てて合わさる。
「………っ」
由樹はなんだか本当に泣き出しそうになって、それを一気に飲み干した。
「……今日は主賓、潰れるな、こりゃ」
渡辺が笑うと、ジョッキを置いた皆は再度拍手をした。
目の前の空ジョッキが霞んで見える。
「お済みのグラス、お下げしていいですかー」
隣から響く声に、それを渡そうとして、
「あ、っとちょっと待ってねー」
と猪尾がそれを取り上げる。
「はい、渡辺さーん、カウントおなしゃーす!」
言うと渡辺が、炙りマグロの串刺し片手に、「はいはーい」とメモ用紙に書き足していく。
「5本目ー!」
自分の飲み終えたジョッキのことだとはわからず、由樹はボーッとした頭で隣に座る猪尾を見た。
「はい、新しいビールね」
言いながらジョッキを置いてくれる猪尾の腕の筋肉が隆起するのが見える。
硬くて、でも適度に弾力があって、触るのも触られるのも気持ちよさそうな筋肉が目の前にある。
「……………」
由樹は思わずその腕を掴んだ。
「えっ!?どうしたの新谷君?」
猪尾が驚いてこちらを振り返る。
「あ、ごめん。つい……」
「つい?!何?!」
笑いながら由樹を覗き込んでくる。
(あーやばい。これ、結構酔っ払ってるな……)
なぜ猪尾が制服ではなく私服なのか思い出せないまま、半袖パーカーの首元から見える鎖骨を見る。
「猪尾さんって元は色白なんですね…」
「へっ!?」
猪尾が何かとてつもなく不穏な由樹の空気に敏感に反応して、間隔を開ける。
「そ、そうね。工事課はどうしても炎天下で建て方するから黒くなっちゃうんだよねー」
「首、ほっそ………」
「いや、新谷君の方が白いし、細いよ?!」
「猪尾さん……って下の名前何て言うんでしたっけ」
やっと両目の焦点を猪尾に合わせると、由樹は猪尾の方を向いた。
「な、直久だけどぉ?!」
「ナオ……ヒサさん………?」
「……ちょちょちょちょ?!渡辺さーん、新谷君がおかしくなったー!」
「え?マジ?」
運ばれてきたホヤの刺身を頬張っていた渡辺がこちらを見上げる。
「あー、なんかヤバイね、目つきが」
渡辺が笑いながら、頬杖をつく。
「よし。ボロが出る前にもらうか。新谷君、こっちおいでー?」
渡辺が楽しそうに由樹を手招きする。
半分しか回らない頭で、頑張って立ち上がると、呼ばれるままに渡辺を目指して歩き出そうとした。
そのとき、
「……っ!!」
ぐいと腕を引かれ、その場に尻餅をついた。
「???」
強かに打ち付けた尻を撫でながら振り返ると、
「おい。酔っ払い」
そこにはいつの間にかネクタイを取り襟元のボタンを外した篠崎が座っていた。