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手が……。
手が、迫ってくる。
布団を捲り上げる、黄色人種にしてはやけに色の濃い手が……。
自分の身体を見下ろす。
パジャマではなく、ジャージを着ている。
そうか。
これは中学生ではなくて、高校生の時の記憶。
伯母は、にやついた口元から垂れる涎を拭おうともせず、紫雨の上に乗る。
背も伸び、筋肉もつき、いつでもこんな小さな女、突き飛ばすことができる。蹴り落すことができる。
それでも、紫雨の身体は動かない。
ジャージが捲られる。
その身体に舌が這う。
伯母の匂いがする。
年齢を重ねた特有の臭いが、汗の匂いと化粧水の香りと、そして欲望の酸っぱい匂いに溶け込んでいる。
吐き気を抑えながら紫雨は目を瞑る。
口を覆う。
大草原を襲う嵐が過ぎ去るまでーーー。
紫雨はいつ吹き飛ばされるかもわからない、古くて小さな山小屋で、膝を抱えながらそれが通り過ぎるのを待つ。
若く、美しく、異国の血が混じる紫雨の身体を堪能するように、せっかくシャワーで流した紫雨の綺麗な身体を、伯母はその臭い舌で穢していく。
生理的な刺激を加え、若い反応を勘違いし、興奮し荒い息を吐きながら、その身体を嘗めつくす。
そして彼の股間にたどり着くと、その硬度に満足したように頬ずりをする。
「……っ」
いくら目を瞑っても、他のことに思考を逸らしても、毎日繰り返されるその行為に、伯母がどんな顔をしてそれをしているのかわかってしまう。
その頃の紫雨にあったのは、“恐怖”ではなかった。
自分にはこの女を突き飛ばしてボコボコにする筋力があった。
この女の行為を警察なり、市役所なり、学校の教師なりに相談して、訴えることができるという知識もあった。
それでもーーー。
紫雨は薄く瞼を開けて、隣の部屋を見た。
伯母に懐いている妹が―――。
血の繋がった兄に対しては、一丁前に反抗期に入ったくせに、伯母とは楽しそうに過ごしている妹が―――。
せめて高校を卒業するまでは、波風を立てたくない……。
しかし、その行為は突如終わりを迎える。
紫雨と妹にとって一番残酷な形で――――。
紫雨はまだ暗いリビングで目を覚ました。
壁時計を見上げる。
6時前。
そろそろ新谷が起き出す時間だ。
ここにきてから、1週間が経つ。
相変わらず篠崎も新谷も腫物に触るように態度がおかしい。
電話口の林の、どこか取り繕ったような声もおかしい。
紫雨は身体を起こすと頭を掻きながら、起き上がった。
疑問は疑惑に変わり、疑惑は猜疑に変わる。
何かを隠されている。
そしてそれはおそらくは、紫雨のためにーーー。
自分のために何かを動こうとしているのはわかる。
そして危険が及ばないように自分に隠されているのもわかる。
しかし問題は……。
紫雨に危険が及ばない代わりに、他の誰かに危険が及ぶのではないかということ。
そしてその誰かが――――。
自分の手を握りながら泣いていた男の顔を思い出す。
『……世界で一番、あなたのことが、好きです』
紫雨は小さくため息をつきながら、トイレに向かうべく立ち上がった。
「—————、………、-————」
誰かの声が聞こえてきた。
「————で、-——も――――ですし」
寝室で新谷と篠崎が会話をしているらしい。
(……朝の情事か?若いねー)
笑いながら通り過ぎようとしたとき、言葉の断片が聞こえてきた。
「そう言われました。林さんに」
思わず足が止まる。
紫雨の足音は響かない。彼らは気が付いていない。
そっとドアに耳をつける。
「お前の今日のスケジュールは?」
篠崎の低い声が聞こえる。
「それが俺、入居宅訪問なんですよ。集合は10時で、1件行った後、飯食べて、2件目なんで…」
「紫雨も連れて行けよ」
自分の名前が出たことで飛び跳ねそうになる身体を抑える。
「いいじゃねえかよ。運転手に」
「ご夫婦とお子さんもいるんで、乗れないです。俺の車じゃ……」
「そっか」
篠崎のため息が漏れる。
「篠崎さんは……?」
「俺はダメなんだよ逆に。今日、天賀谷の既存客の3年点検なんだ」
(……なんだ逆にって)
紫雨はドアから耳を離した。
(今日天賀谷で、何かが起こるのか?)