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瑞野が注いだお茶を飲みながら休憩している合唱部約30名の彼らは、顧問教師が連れてきた、髪の毛が明るく自分たちとは違う人種の妙にあか抜けた少年をチラチラと見ていた。
「あの、先生?その人は……?」
口を開いたのは2年で伴奏を担当している中島駿介(なかじましゅんすけ)だった。
「あー、ええと」
久次は顎を上げてポケーッと椅子に胡坐をかいて座っている瑞野を見下ろした。
「彼はその……雑用係だ」
「ちょ……!」
瑞野が大きな目を細める。
「それこそ雑じゃない?説明が……」
今度は久次が目を細める。
「詳細と経緯を、詳しくわかりやすく説明した方がいいか?」
口の端を吊り上げて笑う久次を睨みながら、
「……あんたらの顧問、良い性格してるな」
と部員向かって言った瑞野は、フンと鼻を鳴らして目を逸らした。
こうして見ると、本当にただの少年だ。それも年齢にしてはかなり幼い。
そんな彼が「幼い少年」とはかけ離れた行為をしていた背景を想う。
セックスが好き?
それともああいう獣のような男に好き勝手されている自分が好きなのだろうか。
「ところで先生?」
瑞野はこちらを挑発するような生意気な目つきに戻りながらこちらを見上げた。
「思いきり気持ちいいこと、してくれるんじゃなかったの?」
その言葉に初心な合唱部員たちががギョッとする。
久次はふっと鼻で笑うと、瑞野をまっすぐに見据えた。
「……ああ。思いきり、な」
そして生徒たちを振り返った。
「よし。みんな、整列だ」
「……え?今日はパート練習の予定じゃ……?」
女子生徒の1人が目を丸くしてこちらを見上げる。
「慈善事業だ。この哀れな迷える子羊に合唱の素晴らしさを教えてあげよう」
「はあ?」
瑞野が笑いながら語尾を吊り上げる。
「合唱はいいよ。俺、眠くなっちゃうから」
言いながら早くも欠伸をしている。
「合唱コンクールとかさ。毎年寝てるし」
「言っておくが……」
「……なんだよっ!」
ぐいと急に顔を寄せた久次に驚いたのか、彼の眼が大きく縦に開かれる。
マジマジとみると、睫毛も栗色をしている。
飴色に透き通った瞳が不安そうに久次を見つめる。
「合唱コンクールとはレベルが違うぞ」
「……は?」
「お前は興味なんかないかもわからんがな。春のコンクールで関東大会までいったし、今はそこから実力も伸びて、全国レベルだと俺は思っている」
「……へ、へえ。すごいすごい」
瑞野はだらしなくボタンを外した白シャツから、白い鎖骨を見せながら笑った。
「でも俺、ゲージュツはわかんねえからなー」
「まあ、聞けよ」
そう言うと久次は、グランドピアノの譜面台から指揮棒を取り出すと、椅子に座る中嶋に目配せをした。
中嶋は頷くと、譜面のコピーを捲りだした。
皆が整列し、姿勢を伸ばす。
「…………」
その空気の変化をも馬鹿にしたように笑った瑞野は、胡坐をやめ片脚を落とし、立てた膝に腕をついた。
前奏。
ピアノで音楽の道に進もうとしている中嶋の、繊細でダイナミックな音が、第二音楽室に反響する。
瑞野の顎が僅かに上がるのがわかる。
”前奏から歌は始まっている”
日ごろ、指導している言葉が、すでにこの生徒達には身に染みこんでいる。
30人の魂が合わさる。
歌という同じ船に乗り、風に髪を靡かせながら、大海原に静かに船出する。
混声三部。
女性パートであるソプラノとアルト、そして男性パートの三つに分かれる曲だ。
Aメロはメゾピアノでドルチェ(やさしく)。三部が同じ旋律で歌い切る。
言葉を大事に。一体感を忘れずに。
Bメロからメゾフォルテでレガート(流れるように)。
パートが別れる。
それでも進む方向は同じ。
受けている風も、同じだ。
それぞれのパートを無視せずに聞きながら尊重する。
そのまま一気にフォルテでサビ。
旋律を波のように重ねる。
合わさっては離れ、離れては合わさり、
大波のように、光るイルカのように、飛ぶトビウオのように、
一つにうねって、跳ねて、一気に大海原に――――。
そして船の姿は、やがて遠くに消えていった。
久次は指揮棒を上げたまま、瑞野を振り返った。
片膝を立てたふざけた体勢で、
顎を突き出したまま、
大きな目を見開いて、
口をポカンと開けて、
細く白い腕に鳥肌を立てながら、
彼はその小さい身体を固まらせていた。
「…………」
もし彼が、
合唱で眠くなり、
ゲージュツがわからないような人間で、
あんな野獣から暴力的なセックスをされることでしか快楽を見いだせないような奴なら、
(……こんな反応はしない)
久次は指揮棒を下ろすと一歩一歩彼に近づいた。
「……まずは、お前の声域を調べさせてもらう。異論は?」
そこでやっと久次の存在に気づいたようにこちらを見上げた瑞野は、慌てて照れ隠しをするようにふっと笑った。
「……精液?」
「バーカ」
小さな頭を軽く叩く。
よほど興奮したのか、少しだけ触れたその頭は、
まだ熱く火照っていた。