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生まれてはじめて囲み取材を受けたときに着ていた、オーダーメイドの濃い目の色したスーツに合わせて、えんじ色のネクタイを締めた陵は、いつも演説している駅前のとある場所で、マイクを片手に握りしめたまま立っていた。

その表情はとても硬いもので、周囲に控えている仲のいいスタッフすら声をかけられず、それぞれ心配そうな面持ちで眺めている状態だった。

ピンと張り詰めた空気を身にまとっている陵の視線の先には、多くの有権者だけじゃなく、テレビカメラを抱えた取材陣がいい絵を撮ろうとごった返していた。

大盛況なその様子を、後方で二階堂と一緒に眺める。


「陵との打ち合わせはどうだったんだ?」


選挙プランナーの二階堂なら、どんなトラブルにも対応できるように、マニュアルくらい作成しているだろうと考えて訊ねてみた。


「……まったく話になりませんでした」

「何だって?」

「僕が提案しても、頑なに拒否されてしまったんです。『はじめが俺を守りたい気持ちはわかるけど、それじゃあ駄目なんだ』の一点張りで」


悔しそうな顔をした二階堂の背中を、一回だけ強く叩いてやった。


「わっ!」


かけていたメガネがずり落ち、驚きの表情をありありと浮かべる姿は、普段見る落ち着き払った彼とはかけ離れたものに見えた。きっと陵を思って、緊張していることが要因かもしれない。


「君が支える葩御 稜という男は、一筋縄ではいかない相手だってことだ。俺も手に負えなくて、かなり苦労させられてる」


くすくす笑いだしたら、二階堂の顔がなにを言ってるんだという表情になる。


「秘書さんが苦労させられていることは、僕とは種類の違うものなんじゃないですか?」

「そんなことはないさ。俺が秘書という仕事している最中は、スケジュール通りに動くことがあまりない。陵のサービス精神が旺盛すぎて、気になったところにはすぐに寄り道するし、注意しても「相田さんならなんとかできるでしょ」なんて軽く言ってのけて、無理やり時間調整を頼む始末でね」

「確かに……。毎回じゃないけれど、時間が押していたときがありましたね」

「それに加えて、プライベートでは我儘放題。それが葩御 稜という男なんだ」


(俺が惹かれて止まない華のような君を、こんなふうに遠くから見つめることしかできないなんて――)


切なく思いながら陵を眺めたとき、遠くを見るように稜は首を伸ばしながら顔をしっかりと上げて、俺に視線を合わせた。ほんの僅かな時間、強い光を帯びる眼差しとしっかり絡む。

黙ったまま首を縦に振ると、三度瞬きをしたあとに口の端をちょっとだけ綻ばせた。

俺が決意の色をその表情で悟った瞬間、腰を屈めるなり左手に持っていたマイクを足元に置く。目の前で行われる陵の奇行に、ギャラリーがざわつきはじめた。

そんなことを気にせずに姿勢を正してから、数秒間きちんと頭を下げて、ふたたび顔を上げる。

盛大に息を吸った形のいい唇が、吸いとった空気を全部吐き出すように大きく動いた。俺の目には、それらの行動がスローモーションのように見えてしまったのは、どうしてだろう。


「革新党公認候補の葩御 稜です」


張りのあるテノールが、大勢がざわつく声を一瞬でかき消した。芸能人のときに行っていたボイストレーニングの効果が、未だに有効なことを思い知らされる。


「陵さん、いったいなにを言うつもりなんでしょうか。もしかして今回の選挙を、辞退するなんてことを……」

「それはありえない。これまで一緒に戦ってきたスタッフの苦労を無にしないようにと、どんなことがあっても歯を食いしばりながら、そこに立ち続ける男だから」


二階堂との話を中断するように、陵が話し出した。


「投票日まで残り3日となりました。こうやって皆さんの前に立たせていただくのも、もしかしたら今日が最後かもしれません」


(今日が最後って、それって二階堂の考えていたことが現実化するのか!?)

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