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最近、ふと気づくと何も考えずに彼方ばかり見つめていることが多くなった。声をかけられても反応できないこともしばしばで、心ここにあらずと言われるような状態が続いている。
そんな風になってしまった原因なんて明確すぎて、言葉にすることだって憂鬱だが。
机の前に座りながらエドアルドのことを思い浮かべると、溜息が勝手に零れた。
「エド……」
エドアルドの屋敷から戻って十日ほど。その間、彼とは一度も会っていないし、今後も会うことを許されていない。進めていた仕事もヴィートの決定どおりに担当者が代えられ、今は別の人間がエドアルドのパートナーとなって動いているそうだ。
あの新事業は仕事としても面白いものだったから、できることなら最後までやり遂げたかった。それに――――仕事だけではなく、エドアルド自身ともずっと離れずにいたかった。セイは込み上げた切なさとともに、眉根を寄せながら目を閉じる。思い出されるのは、エドアルドの屋敷で過ごしたあの日々だった。
『いつか本場の桜並木を、セイと二人で眺めたいです』
彼はセイの母の国である日本を心の底から愛していて、セイが母と一緒に見た景色を語ったら、たちまち目を輝かせてそう願ってくれた。勿論、ヴィートのことを考えるとそれは不可能なことなのだと分かっていたが、それでもエドアルドと一緒に、とセイ自身も思い描いてしまったぐらいだ。
他にも二人で夕暮れ時の海を眺めたり、ワインを飲みながらお気に入りの映画を見たりと、許される限りともにしたあの時間は、まるで本当の家族になったかのような気持ちになれて幸せだった。
失ってしまったものを思うと、胸がギュッと絞まって苦しさを覚える。こんなに辛いならいっそすべてを忘れたほうが楽になるのではとも思ったが、結局一つも断ち切ることができなかった。
本当に、もうエドアルドと会えないのだろうか。
最初は運命である彼を警戒し、あれだけ顔を合わさないようにしていたのに、今は会えないことが辛くて堪らない。
優しく包み込んでくれる腕に甘い言葉、そして時折見せてくる獣のように熱い瞳。思い出すだけで全身が震え、本能が会いたいと訴えてくる。けれど――――。
連動するように脳裏を過ぎったヴィートの冷たい視線に、すぐさま背筋が凍った。
冷静にならなければ。ここで思いを募らせ感情を乱したところで、何も変わらない。セイは一度心を落ち着かせようと、次の仕事だとヴィートから渡された資料に目を向ける。と、不意に机の端に置かれた郵便物の束が視界に入った。
そういえば今日到着した分の手紙の確認が、まだ済んでいなかった。思い出したセイは郵便物を手に取り、個人用と仕事用に分ける。
その手がふと止まった。
束の中にあった目に痛いほど真っ白な封筒。宛名は書かれているが、裏に差出人の名が書かれていないそれは、何故だか数ある手紙の中で一番目を引いて、セイは引かれるままペーパーカッターを封筒に宛てた。
ピリピリという紙が裂かれる音が止んだ後、ゆっくりと中を覗く。
「え……?」
驚くことに封筒の中には手紙が一枚も入っていなかった。その代わりに同封されていたのは、ピンク色のリボンが一本。
セイは首を傾げながらリボンを指で摘み、中からスルスルと抜き出す。
「これ……っ」
一目で見て、それが何なのかすぐに分かった。端の方に一度結んだ跡が残る絹の細紐。これはエドアルドの屋敷でイヴァンに攫われた時、手首に結ばれたリボンだ。
――――この手紙は、エドからのものだ。
確信のある直感が降りてくる。そして同時に彼がこのリボンに託したメッセージの意味も掴み取った。
――――エドも会えないことを辛いと思ってくれている。会いたいと願ってくれている。
セイは五十センチほどのリボンを握りしめ、胸元に引き寄せた。その時、ふわりと香るはずのない彼のフェロモンが鼻を擽ったような気がして。
「エドっ」
セイはとうとう湧き上がる感情を抑えきれず、衝動のままに席を立った。
彼に会いたい。
そのまま机の引き出しを漁り、中から車の鍵を取り出すと、リボンだけを手に自室を飛び出した。
しかし――――。
「どこにいくの? セイ」
屋敷の廊下を走り抜け、もう少しで玄関の扉を潜り抜けられるというところで、あたかも待ちかまえていた冷たい声に止められる。
「ヴィー……」
セイの足はたちまち地に縫いつけられ、歩みを止めた。
「確か、今日は一日屋敷で仕事だったはずだよね? 別に外に出ちゃ駄目なんて言わないけど、出るなら俺に一言欲しいな?」
ドンとしてファミリーの人間の行動を把握しておきたいなどと尤もなことをいうが、真意は別のところにあることにすぐ気づく。
「で、どこに行くの?」
「それ、は……」
「何? 俺には言えない場所? もしかしてエドアルドのところだったりして」
「っ……」
「やっぱりね。まったく、彼に会うのは駄目だって言ったじゃないか」
「でも、エドは……」
「エドは? 何?」
被せるように問われ、言葉を奪われてしまう。
「ねぇ、セイ、俺言ったよね? 俺のそばから絶対に離れないで、って。じゃないと何をしてしまうか分からないって。セイは頭がいいから一度言えば分かってくれると思ったんだけど、そうじゃないってことは、エドアルドを……いや、マイゼッティーファミリーを潰されてもいいってことなのかな?」
狂気を孕んだ目がこちらを射抜く。怯んでしまいそうになったが、こればかりは、とセイは声を荒げた。
「やめてっ! エドのファミリーを潰すなんて、いくらヴィーでもそんなことしたら許さないよ!」
あの温かなファミリーを、そしてその家族を守るエドアルドに危害を加えようとするなんて、あってはならないことだ。
「だったらあの男と会うのは諦めるんだ。セイさえ変な気を起こさなければ、俺は何もしないんだから」
にべもなく言い切られ、部屋に戻るよう言われる。これにはさすがのセイも頭がカァっと熱くなった