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車は天賀谷展示場についた。
面接のときには特に感じなかったが、時庭展示場に見慣れた今見ると全然違う。
県内最大のハウジングプラザということで、約20のメーカーが軒を連ねるその光景は、圧巻だった。
各メーカーが自慢のモデルハウスをこれででもかと着飾らせているため、まず色合いが華やかだし、大きなバルーンアートで門が作られていたり、子供に人気のウサギのキャラクターが置いてあったり、そこはどこかのテーマパークのように見える。
「全然違いますね」
キョロキョロとあたりを見ながら言うと、林は「そうですか?」とまた小さな声に戻って、中央にある平屋の建物を指さした。
「あれが管理事務所ですので、あそこで挨拶してくださいね」
「あ、はい」
林も一緒についてきてくれるもんだと思っていた由樹は、少し戸惑って返事をした。
だが林はこちらをちらりとも見ずに、由樹が面接を行ったセゾンエスペースへと走って行ってしまった。
(もしかしてお客様と約束でもあったのかもしれない。悪いことをしたな。甘えてなんかいられないよな)
由樹は小さく頷くと、モデルハウスに埋もれてしまいそうな地味な管理事務所の中に入っていった。
(なんか、たくさんご馳走になっちゃったな)
膨れたお腹を撫でながらセゾンエスペースに向かう。
管理事務所で待っていたのは、母親くらいの年代の女性で、
「平日は暇なのよー」
と言いながら、ハウスメーカーからお裾分けでもらったというお菓子を次から次へと出しては、コーヒーと紅茶と緑茶を入れ替えた。
「またかわいい子が入ってきてくれて、嬉しいわー」
そう笑う人の良さそうな女性に、断ることもできずに、かれこれ30分近く長居してしまった。
(林さん、心配して待ってくれているかもしれない。急がなきゃ)
セゾンエスペースの正面玄関から入っていくと、勝手にベルが鳴り、奥から営業と思しき男が出てきた。
年は篠崎と同じくらいだろうか。
訝し気にこちらを見ている。
「あ、すみません。僕、時庭展示場に配属になりました、新谷と言います。今日はご挨拶に伺いました。よろしくお願いします」
頭を下げると、なぜかもっと訝し気に睨んできた。
(あれ?ここ、セゾンエスペースで合ってる?よな?)
キョロキョロと吹き抜けの玄関を見回していると、男はやっとシューズクロークからスリッパを出した。
「どーも飯川(いいかわ)です営業です」
点も丸もないような話し方だ。
「あ、宜しくお願い……」
「また来たよ変なやつ」
ボソッと、しかし十分に聞こえる声で男が呟く。
(また?変なやつ?)
聞こえなかったふりをして、スリッパを履き、顔を上げると、男は一転、変にニヤついた顔をしていた。
「ええと僕、なんか変なこと言いましたか?」
今度はこちらが訝し気に見上げる。
「いや?それより挨拶にに来たんだろ?マネージャーは不在。リーダーなら展示場にいると思うけど?」
相当せっかちなのか続けて話すしゃべり方がひどく聞き取りにくい。
「リーダーって……あ、紫雨リーダーですか?」
男がますますにやつく。
「そうそうもしかして知ってる?」
「?何をですか?」
「何をって……」
男が吹き抜けから見える2階の廊下を見る。
「あ、注意事項。うちのリーダー展示場のフローリング踏み鳴らす人間嫌いだから足音は極力立てないで行ってね?」
「わかりました」
飯川のこの反応の意味が分からなかったが、由樹は鞄を持ち直すと、ホールに続く螺旋階段に足をかけた。
階段を上りきる。
同じメーカーとは言えど、間取が全然違う天賀谷展示場の2階に行くのは初めてで、迷ってしまう。
二世帯住宅をイメージしているのか、2階にもバスルームやトイレ、キッチンにリビングもある。
展示場の中には何かピアノの音色でクラシックが流れていて、優雅な気分だ。
気持ちよく廊下を歩いていると、子供部屋が見えてきた。
隣には備え付けの本棚とその下にデスクと椅子。勉強スペースだろうか。
と廊下の奥にある部屋から何か声が聞こえた。
(残るは主寝室か)
途端に昨日の記憶がまた蘇る。
(篠崎さんの手、大きくて温かかったな)
もう少しで、唇に触れられたのに……。
(いやいやいやいや!!)
首をブンブンと左右に振る。
(だから!俺には彼女がいるだろって!)
思わず立ち止まる。
(おいこらてめえ…)
自分で股間についてる自分を見下ろす。
昨日のことを思いだしただけで、下半身が反応していた。
(バカヤロウ!)
由樹は、意志とは関係なく反応する自分にがっかりしながら、鞄を腹の前で抱えて歩き出した。
(ん?)
寝室から何かが軋むようなギシギシと音がする。
「はっ、……はっ、んッ……!」
漏れる吐息。
否。
喘ぎ声。
(……嘘。マジ?)
由樹はスリッパを脱ぎ、壁に張り付いた。
そのまま開け放たれた主寝室に一歩、また一歩と近づいていく。
「ふ。ふっ、ん…」
(これはもしかして。いや、もしかしなくても………林さんの声だ!)
だがさっきとは比べ物にならない色を含んだ声を出している。
(え。俺は飯川さんから、“リーダー”がここにいるって聞いてきたんだけど。じゃあ、もしかして、相手はそのリーダー?)
入り口から少しずつ、少しずつ顔を覗かせる。
と、時庭展示場と同じく、大きなテレビがあり、ソファがあるその奥で、ベッドのボードに両手をつき、後ろから抱きかかえられるような形で揺れている林の姿があった。
後ろの男は遠くて顔は良く見えないが、林より頭一つ分くらい背が高い細身の男で、林と同じ髪色に染めていた。
(………な、仲のよろしいことで…)
そういうことか。
全てに合点がいく。
秋山が紫雨リーダーを気をつけろと言っていた意味も、リーダーのことを聞かれたときに真っ赤になった林の反応も。
(付き合ってんのね。ご馳走様でした)
また壁に張り付いて、お暇することにした。
少しずつ廊下を滑るように移動すると……。
「……!もう、やめ、て下さいッ……!」
林の声が聞こえた。
「も……、う、こんなこと、いやです……!」
聞き捨てならない言葉に由樹は振り返った。
(……なにこれ。もしかして……合意じゃねえの?)