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お前、ハマるなよ。
それからも紫雨は、林と肌を合わせるたびに、その言葉を呪文のように口にした。
それは行為のたびに反応してしまう自分への言い訳なのか、それとも林に対する牽制なのかわからなかったが、それでも自分の好意が相手に伝わっていないことだけは分かった。
「紫雨さん。好きですよ」
「…………」
「俺は、あなたのことが、好きなんです」
後ろから彼に覆いかぶさり、渾身の勇気を込めて言うと、彼は目じりに涙を浮かべながら、それでも鼻で笑った。
「俺、行為前と途中と行為後の告白は、信じねぇことにしてるんだ」
「……………」
「お前も勘違いするなよ。セックスは快楽でしかない。そこに感情は存在しない」
言うと彼は枕に顔を埋め、“声を我慢する姿勢”を取った。
「やるならやるで、黙って腰振れよ。萎えるだろ」
何度腰を打ち付けても、彼には何も刺さらない。
身体の中心は繋がっても、心はどこまでも離れたままだ。
林は彼を抱けば抱くほど、行為を重ねれば重ねるほど、遠くなっていくような紫雨の身体を捕まえようと、必死で行為に及んだ。
あっという間に5日が経とうとしていた。
その間、岩瀬と名乗る男は現れず、あと2日何もなければ、試行的にではあるが、紫雨はマンションに戻ることになった。
「世話になったな」
5日目の行為後、紫雨は笑った。
「下の世話まで頼んでねぇけど」
「………」
林は黙って障子を閉めた。
結局、この5日間で林が手に入れたものは、気持ちの伝わらない虚しさと、紫雨という男の殻の厚さを認識し得た絶望だった。
翌日二人が出勤すると、不穏な空気が漂っていた。
「なんかあったんすか?」
紫雨が元マネージャーである室井に聞くと、彼は眉間に皺を寄せて頷いた。
「吹越の建築現場でボヤ騒ぎがあったらしい」
「ボヤ?」
「すぐに消防が駆けつけたんだけど、玄関の一部が燃えたって」
「客は?」
「もちろんカンカンに怒って、“そんな縁起の悪い家はもう要らない”って騒いでいるらしい」
「はい。……わかりました。じゃあ、そのように」
携帯電話を片手に青ざめた顔をしながら、秋山が事務所に入ってきた。
「今日午後2時からマネージャー会議。ここの展示場を使うから。飯川君、林君、打ち合わせ室、準備しておいて」
「あ、はい!」
飯川が慌てて立ち上がる。
林も彼に続いて展示場の中に入った。
マネージャー会議。
……マネージャー会議か。
ということは―――。
(篠崎さんも、来る……)
林はチークの無垢材で出来た階段を駆け上がりながら、ドスドスと下品な音を立てて前を走っていく飯川の向こうに見えるシャンデリアを睨んだ。
紫雨は腕時計を見下ろした。
あと15分で14時になる。
展示場の駐車場には、これ見よがしにセゾンエスペースのマネージャーたちの高級車が並び始めた。
「け。嫌味くせえな」
自分の車を棚に上げて紫雨は煙草を咥えると、それに火を点け青空に向けて吹かした。
慢性的に腰が痛い。
25歳の若く漲る性欲を毎日ぶつけられ、紫雨の身体はここ最近ずっとプールで長距離を泳いだ後のように重かった。
「ああ、もう。だりいなぁ」
今までの恨みを払拭するかのように、自分を求めてくる部下を思う。
(そんなに嫌だったら、我慢しないで新谷みたいに抵抗するか、ナベみたいに誰かに助けを求めればよかったのに)
まるで復讐のような欲望を、毎日身体に刻み込まれるのは辛い。
しかし何よりも耐えがたいのは、そのセックスが今までどの相手としたそれよりも、快楽に満ちているところだ。
(……なんであいつ、あんなに上手いんだろ。いや、上手いのとは違うか。でも、すげー気持ちいいんだよな…)
その快感を知ってしまったがために断れない。抵抗できない。
“年下の部下に好き勝手に犯されている”
その事実のせいで、確実に自尊心は削られていくのに。
(……あと2日。あと2日の辛抱だ。あの家を出たら今後一切、あいつとはセックスしない…!)
揺るぎない決心を固めるとほぼ同時に、駐車場にすごい勢いでアウディが入ってきた。
その黒光りするボディを見て、紫雨は管理棟の陰に隠れた。
「ヤクザかよ……」
紫雨はゴミ捨て場脇の壁に背中を凭れ、ため息をついた。
バタン。
バタン。
開閉音が2つ響いた。
「二人?」
陰からこっそり覗いてみると、
「あ、紫雨マネージャー!!」
管理棟に飛び込もうとしていた新谷に見つかった。
「お前、何でいるんだよ」
「あ、えっとこれにはわけが!あ、でもその前にトイレ行っていいですか!!」
言いながら男子トイレに駆け込んでいく。
「…………」
あっけにとられながら振り返ると、セゾンエスペースの事務所に向けて歩いていく篠崎が見えた。
「ボヤごときで1日潰してご苦労なこった」
紫雨はその場でしゃがむと、煙草をアスファルトに押し付けた。
しばらくして出てきた新谷はハンカチで手を拭きながら笑った。
「いやー、八尾首でるときからずっと我慢していたんですけど、遅れそうだからって篠崎さん、全然サービスエリアにもコンビニにも寄ってくれないから、はちきれるかと思いましたよ」
「それさ。もしかしてそういうプレイなんじゃねえの?」
目を細めて言うと、あながち外してもいないのか、新谷は真っ赤な顔をしてそっぽを向いた。
「それで?お前は今日なんでこっちにきたの?」
「あ、えっと。俺の引き渡し終わったばかりのお客様、床暖房のボイラーでトラブルがあったんです。もちろん保証で直ったんですけど、引き渡したばかりなのに、悪いなと思って」
新谷はポリポリと頬をかきながら言った。
「俺も異動してしまいましたし、お客様不安じゃないかと思って心配してたら、篠崎さんが“営業の顔を見せとくだけで、客は安心するもんだ”とおっしゃるので、それを信じて会いに来ました!」
「……へえ。なるほどね」
一理あるかもしれない。
営業だとか、担当だとかの話を抜きにしても、新谷の能天気な顔を見ていると、自分の置かれた状況の深刻さがなんだか消えていくような気がした。
「……お前ってすごいよな…」
笑いながら2本目の煙草に手を伸ばす。
「あれ、紫雨さんって煙草吸いましたっけ?」
「まあ……最近な」
紫雨はその煙を肺に満たすようにゆっくり長く吸い込むと、展示場の打ち合わせ室に電気が灯るのを見て、ため息をついた。