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紫雨が打ち合わせ室に入ると、各店舗のマネージャー、リーダー、そして工事課長と秋山がもうすでに席についていた。
空いていた手前の席に腰かけた。
と、右隣に座っていた篠崎が軽くこちらを振り返った。
「お疲れ」
その4文字で、身体がゾワリと波立つ。
「お疲れ様です」
静かに言葉を返した後、大げさな咳払いをして座る。
(なんだ今の。中学生かよ……)
この間のことがあった手前、気まずさを誤魔化そうとしたのがあからさまな自分の動作にうんざりする。
(まあ、篠崎さんはそんなの微塵も気にしてねぇだろうけど)
横目で盗み見ると、同じくこちらを盗み見ていた篠崎と目が合う。
「!!」
驚いて目を見開くと、篠崎は口元をフッと綻ばせた。
(……わ、笑った……?)
紫雨はまさか笑い返すわけにもいかず、クールビズで直すネクタイもないワイシャツのボタン辺りに指を漂わせながら、もう一度咳払いをした。
「全員、集まったかな」
秋山が視線を上げないまま言った。
「はい、皆さん、お忙しいところ集まっていただき、ありがとうございます。
今日、臨時で集まってもらったのは、もう皆さん周知しているとおり、吹越展示場の若草リーダーの現場で、火災が発生したためです」
(若草の現場だったのか)
紫雨はこの間と打って変わって、髪の毛を振り乱している若草を見上げた。
(……はは。いい気味)
ほくそ笑みそうになるのを必死で堪える。
しかし若草は紫雨どころではないらしく、怒りに目を血走らせながら、工事長である赤井を睨んでいる。
「こちら、現場の写真ね」
秋山がテーブルの上を滑らすように写真を配る。
紫雨はそれを手に眺めた。
玄関脇にポリバケツがあり、そこに無数の吸い殻が捨ててある。
真っ黒に焦げたそれらからは、ボヤと呼ぶ割には火の勢いが意外にも強かったことがわかった。
「警察と消防の現場検証では、ポリバケツには、当初から水が入れていなかったのか、ここ数日の日照りで干からびたのかはわからないが、事故当時は水分がなかったらしい。
消し方が中途半端だった煙草の吸殻から発火、延焼。ポリバケツの一部を溶かし、すぐそこに置いてあった検査シールが入っていた段ボールに引火。火柱が上がり、玄関の親子ドアあとは玄関の天井を焦がしたところで、近所の人の通報により駆けつけた消防により消火された、と」
秋山はそこまで一気に言うと、ため息をついた。
「まあ確認しておくけど、現場での喫煙は原則禁止。どうしてもという時は、携帯灰皿持参で、細心の注意を払いながら屋外でなら可、としています。現場にポリバケツを置き、その吸殻を放置しておくなど、言語道断」
ギギッと音を立てて赤井工事長が椅子を引き立ち上がる。
「現場監督の責任です。本当に、申し訳ありませんでした」
マネージャーたちから、大小のため息が漏れる。
篠崎は、というと写真を見ながら口元を抑え、何かを考えている。
そして横目で見ていた紫雨を振り返ると、唇だけで、「どう思う」と聞いてきた。
(どう?どうってなんだよ…?)
紫雨は首を傾げながら、再度自分の手の中にある写真を眺める。
(どうもこうもこれは………)
「ふざけんなよ」
紫雨が口を開こうとした瞬間、若草がテーブルを拳で叩いた。
「お客様は50代でやっと家を建てた夫婦なんだよ!30代のときも40代になっても、周りが家を建てていく中、“人様に借金だけはするな”って親の遺言を守って、こつこつと金を貯めてさ。
それでやっと現金がたまって、奥さんと子供たち連れて、ニコニコ展示場に来てさ。大事に、大事に、建ててもらいたかったのに!!」
その目は血走り、握られた拳には血管が浮かんでいる。
「うんうん。そうだよね」
秋山は小さな目を瞑りながら小さく頷いた。
「お客様もカンカンで、奥様なんか泣き出して――――俺は……俺は……この会社が情けなくて…」
若草が目元を擦る。
(…………)
紫雨はそのあからさますぎる演技を見て鼻を引くつかせた。
(秋山さんの前だからってアピールしてやがる、この男……)
一時期ではあるが、一緒に仕事をしてきたからこそわかる。
この男は客に簡単に頭を下げて甘える癖に、客のことなど1ミリも考えていない。
買ってくれるかくれないか、それだけだ。
「僕も、担当営業である若草君の気持ちを考えると、いたたまれないよ…」
秋山は今度は口元を拭っている。
(………あー。もう。こういう人情系、秋山さん好きなんだよなー。ころっと騙されてさ…)
「本当に、申し訳ありませんでした!」
若草の年齢の倍近くある赤井は、彼に向かって深々と頭を下げた。
紫雨は軽く背もたれに身体を預けて顎を上げた。
(とんだ茶番だ、全く…)
すると―――。
「ちょっとよろしいですか」
隣に座る篠崎が手を上げた。
一同は、篠崎を振り返った。
「聞きたいんだけど。お前は気づかなかったのか、若草?」
篠崎は若草を正面から見つめた。
「…………はい?」
若草はあらぬ方向からの指摘に、目を丸くした。
「自分の現場には月に何度足を運ぶ?」
「…………?」
意味が分からないらしく、若草の眉間に皺が寄る。
「紫雨」
篠崎が急にこちらを振り返った。
「お前の建築中の現場写真、持ってきてくれ」
「―――え、俺?いや私のですか?」
しどろもどろになって答える。
「引き渡し間近のでもいいし、最近上棟が終わったばかりのでもいいから」
「?はい。わかりました」
紫雨は篠崎の意図がわからないまま、席を立った。
急いで展示場を抜け事務所に入ると、林が一人、パソコンでツールづくりをしていた。
「お疲れ様です」
その声を無視して、デスクを開けると、作成中のアルバムを1つ掴み、また展示場に戻った。
打ち合わせ室で待っていた篠崎は紫雨からアルバムを受け取ると、それを全員に見えるようにデスクの上に立てて開いた。
「ほら、日付が入っているからよくわかると思うが、紫雨は自分の現場に、少なくても10日に一度は訪れている」
篠崎の言わんとしていることを理解したのか、若草の表情が曇る。
「現場に訪れ写真を撮りながら、乱雑になっていないかも点検できるし、今回みたいに規則違反をしていないかも確認できる」
「……まさかとは思いますけど、それって私が悪いという意味ですか?」
若草が食って掛かる。
他のマネージャーたちが雲行きの怪しくなった二人を交互に見つめるなか、若草が再び口を開いた。
「営業が現場に行くのも写真を撮るのも、アルバムにするのも、それは個々の自由でしょう。写真自体は工事課が日々撮ってるんだし、それをDVDにしてプレゼントはしますよ?でも現場の点検も確認も工事課の仕事だと思いますよ。違いますか?篠崎マネージャー」
若草はいよいよ篠崎を睨み上げると、口元を歪めて言った。
「私には私の価値観とやり方があるので。自分たちの営業スタイルを押し付けるのはどうかと思いますけどね」
しんと打ち合わせ室が静まり返る。
篠崎はその中でアルバムを閉じると、それを若草の前に置き、口を開いた。
「俺が言いたいのはただ一つ。もし紫雨の現場だったら、こんなアホらしい事故は起こらなかった。それだけだ」
そして若草を見下ろすと、吐き捨てるように言い放った。
「年間成績で紫雨の半分もいかない奴が、個々の営業スタイルだと言って並べるな!自分の現場も守れない奴が、お客様を哀れむふりをして安い涙を見せるな!目障りだ!」
「………!」
若草が無言で篠崎を睨みつけながら、肩で息を吸う。
その体が小刻みに震えている。
(……何言ってんの、この人)
横で聞いていた紫雨も、篠崎が発した怒気に彼が吐いたその言葉に、心臓ごと身体が震え出した。
顔が赤くなるのが、自分でもわかる。
一切目を逸らさずに若草を睨んでいる篠崎から目をそらし、紫雨はベルトの位置を直すふりをして俯いた。
若草をフォローしようとする人物も、篠崎の怒りを収められる人物もおらず、打ち合わせ室にはただ、静音クーラーのモーター音だけが響いていた。
「……どれどれ?僕も見せてもらっていいかな」
沈黙を破ったのは、秋山だった。
若草の前に置かれたアルバムをめくる。
「おお、部屋ごとにページを分けてあるのか。これだとわかりやすいし、何より家が出来上がっていく工程が楽しいね」
微笑みながら一通り見終えると、そのアルバムを篠崎に返した。
「もちろん、今回の責任は工事課の現場監督であり、その長である工事長だ。それに変わりはない。しかし、篠崎君が言う、営業が自分の現場を守るというのも、僕は大事な考え方だと思う」
言いながらマネージャー全員を見回し、秋山は微笑んだ。
「さっき若草君が涙ながらに語った通り、お客さんの家作りの夢をそして思い入れの深さを、一番理解しているのは営業だと思うからさ」
篠崎はその言葉を受けてやっと肩の力を抜いた。
そして紫雨に向き直ると、小さく「ありがとな」と言いながらアルバムを返した。
「さあ、今後二度とこんなことが起こらないよう、対策を考えよう。若草君も当事者だからこそ名案が出せると思うから、よろしくね!」
秋山が微笑むと若草は仕方なさそうに「はい」と言った。
秋山を中心に対策の話になっても、紫雨の胸はまだ高鳴っていた。
篠崎から返されたアルバムは、彼の熱が移って、まだわずかに温かかった。