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翌日の朝。すでに俺の心はぽっきりと折れていた。
昨夕の山田涼香からの電話はなかなか苛烈なものだった。
あまりにも激しくまくしたてられるものだから、いったいなんて言われたのか覚えていないのだけれど、なかなか酷い言葉でののしられたような記憶だけが漠然とあった。
おかげで昨夜もろくに眠ることができず、身体が出社することを拒否している。
とはいえ、二日も続けて仕事を休むなんてこと、俺にはできない。なにより、会社に迷惑をかけることになってしまう。山田がどうとかいう話以前に、自分にはやるべき仕事が山のように積んであるのだ。
けれど、重い。足が重い。頭が重い。
意識がどこかに飛ばされそうなほどぼんやりしている気がする。
ただバス停まで歩くだけの数十メートルが、やたらと長く感じられる。
これは相当なストレスを抱え込んでしまっているらしい。
仕事に対するストレスならまだ良い。
けれどこのストレスは、どう考えたって山田以外には考えられなかった。
不意に電話がかかってきて、俺はポケットから携帯電話を取り出し、耳に当てた。
「――もしもし?」
「おはよう、渋谷」
下拂だった。こんな朝から、何の用だろうか。
「おはよう。昨日は急に休んで悪かった」
「いや、いいよ。気にしないで」
「今日はちゃんと出勤するから、昨日の引継ぎよろしくな」
「あぁ、いや、それなんだけど……」
「どうした? もしかして、俺、またなんかやらかしてたか?」
「いや、渋谷は大丈夫。代わりにやっといた仕事も問題ない」
「なら、何が?」
「……山田だよ」
「……あいつがどうした?」
「昨夜、山田から電話があってさ。お前について、散々愚痴を聞かされた」
「マジか」
「三時間くらい、ずっと。辛かった」
「なんか、ごめんな、俺のせいで」
「いや、渋谷は悪くない。ミスくらい誰でもあるし、そもそも渋谷のミスは山田が言うほど大したことはない。問題があるとすれば、山田の中にある渋谷への不信感とか、そういうのだと思うんだ」
「……うん」
「アイツの怒りはまだ収まってない。今日もあれこれ言ってやるんだって息巻いてた。正直、僕にも彼女を止められそうにない。だから――」
「だから?」
「今日も休め」
「いやいや、そんなわけにはいかないだろ」
「仕事のことなら大丈夫、僕たちで何とかしておく」
「そんなわけにはいかないだろ。さすがに部長が許さない」
「いや、これは部長にも相談した結論なんだ」
「……どういうことだ?」
「正直なところ、山田が毎日のようにお前に難癖付けて部署内で叫び散らかしているのが、社内でも問題になってるらしくてさ。ちょっとどうにかした方がいいんじゃないかって、別部署からもクレームがきてるらしくて」
「……そうなのか?」
うん、と深刻そうな下拂の声。
まさか、俺と山田との間の件が、そんなことになっていたなんて。
ただ、俺個人の問題かと思っていたのに。
「今日、ちょっとその件で会議をする予定になってる」
「……そう、か」
「だから、とりあえず今日のところは、もう一日だけ休んでてほしい。本当は部長がお前に電話するって言ってたんだけど、たぶん、僕から伝えた方がいいかなって思って、電話した」
「……あぁ、うん。そうか」
俺は何だかいたたまれない思いになりながら、
「――なんか、すまないな、本当に」
「渋谷が謝ることじゃないよ」
「あぁ、うん」
「でさ、もしよかったら、行ってみて欲しいところがあるんだ」
「行ってみて欲しいところ?」
「うん」
「どこにだよ」
「えっと――」
下拂は少し言い難そうに、口を濁す。
「もしかして、心療内科?」
「あぁ、もちろん、それもそうなんだけど。お前も山田に相当心が折られてると思うから」
「ボキボキにな。でも、心療内科じゃないなら、いったいどこだよ」
「う~ん。変な名前の店だから、あれなんだけど……」
「いいから、早く言えよ」
俺が急かすと、下拂は一拍置いて、
「――魔法百貨堂」
「……まほう、ひゃっかどう」
「信じられないと思うけど、魔法を売ってる店なんだ。俺の知り合いが店主をやってるんだけど……」
「もしかして、真帆さんか?」
「……えっ? 何で知ってるんだ?」
「昨日、アカネって名前の女の子に、連れていかれたんだ」
「アカネ? ナユタアカネ?」
「そうそう、那由多茜」
「――呼びましたぁ?」
「おわぁっ!」
突然背後から声がして、俺は驚きのあまり、思わず携帯電話を取り落としてしまった。
慌てて携帯を拾い上げ、後ろを振り向く。
「おはようございます、渋谷さん」
にっこりと笑顔を浮かべる那由多茜の姿が、そこにはあった。