美術部のイーゼルを車に積み終わり、一息ついたところで久次が振り返ると、いつの間にか美術部の海老沢が立っていた。
「お、おはよう!」
声をかけると、彼女はつまらなそうに小さく会釈した。
「悪いけど、イーゼルを10脚ほど借りていくよ」
「それは、別にいーですけど」
彼女は手をパンパンと掃った久次を睨むように見上げた。
「大学の美展の手伝いなんて、断ればいいのに。翠先生は断ってましたよ?」
「え、そうなの」
久次は笑った。
「手伝いっても設置と撤去だけでやることなんてないし。そもそも展示会に来た人に絵の説明とかできるんですか、久次先生」
「……でき、ません」
「でしょう。体よく何でも押し付けられちゃって」
海老沢は鼻で笑った。
「………そういうとこ嫌いじゃないけど」
海老沢はボソッと言った。
「夏休みの1ヶ月間、美術部の面倒を見てくださって、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げる。
「海老沢……」
驚いて見上げると、2階の美術室から、美術部のみんなが身を乗り出していてた。
「久次先生!!」
「ありがとう!!
「美展、いってらっしゃーい!!」
皆が手を振っている。
「おう!ありがとう!」
久次は夏の太陽を浴びて光るその笑顔に、大きく手を振った。
「漣君、ご飯ちゃんと食べてきた?」
谷原はガウンを着た漣を覗き込んだ。
「いや……」
「ダメだよ。体力勝負なんだから。そんなんで15分間静止できると思ってるの?」
バナナを渡すと、漣はため息をつきながら、嫌そうにそれを剥いた。
ガウンと、美少年と、バナナ。
なかなか魅力的なコントラストに谷原は笑った。
「身体で痛いところはない?」
「ないよ」
「昨日は……」
谷原は笑いを堪えながら聞いた。
「セックスとかしてないだろうね?」
バナナを咥えていた漣は谷原を睨み上げた。
「俺の性事情は、あんたが一番わかってんだろ」
(……かわいい奴)
谷原はいよいよ声を出して笑った。
「デッサン会が終わったら」
谷原はまだ笑いながら言った。
「時間が欲しいそうだ。若林さんが」
「若林……」
若林とは2回目のはずだが、どういうわけか漣は首を傾げた。
「………あの人ってどういう人?」
「え?」
「いい人?」
ひどく幼稚な質問に、谷原はクククと笑った。
「もちろん。いくつもの会社を経営なさっている人格者だよ」
「へえ」
「でも……」
「でも?」
「谷原先生、そろそろ時間です」
生徒の1人が呼びに来た。
「モデルの方、スタンバイお願いします」
漣は谷原をもう一度睨むと、軽く息を吐きながら用具室を出て行った。
「くくっ……。はは……」
谷原は我慢できずに笑った。
(若林さんは人格者で、金払いもいい太客だけど。何人も少年を病院送りにしている、サディストの変態野郎だよ。なーんて、言えるはずないよね)
その笑い声は用具室に所狭しと置かれたイーゼルと張キャンバスに吸い込まれていった。
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