「なあ、変な気起こすなよ…?」
昇降口から校門まで出店が続く。
尾沢は振り返らないまま口を開いた。
「別におだてなくていい。無理に笑う必要もない。ただし馬鹿にせず、誤魔化さず、真摯に答えろ」
「……答える?」
「多川さんは、お前に質問があるそうだ」
尾沢がふっと振り返る。
僅かにずれた尾沢の向こう側に、肘を覆い膝につくほどの大きな黒いTシャツにだらりと垂れたジーンズを着た、太った男が立っていた。
両サイドの蜂谷や尾沢とそう身長が変わらない男たちが小さく見えるほど、その身体は巨体だった。
「よう、蜂谷。なんか久しぶりだな」
学園祭にやってきた他校の生徒たちがそのいで立ちと雰囲気にギョッとしながら避けて歩く。
蜂谷は少し顎を上げながら、その巨体に寄っていった。
「お久しぶりです。お元気でしたか、多川さん」
言うと右側にいた男が脇に唾を吐き、牙をむきながらこちらを睨み落としてくる。
「ああ。元気だよ。ずいぶん忙しかったみたいだな、蜂谷は」
多川は笑うと、視線を蜂谷に固定させたまま、右の男の胸を水平チョップで殴った。
鈍い音がし、胸を抑えながら前方に蹲る。
「……ガア!オエエエエッ!エエエエッ!!」
その衝撃に胃の中身を全部その場に吐き出す。
そばにいた女性高生の集団が短い悲鳴を上げた。
「………こう見えて受験生なんでね。塾にカテキョーにてんてこ舞いですよ」
事実無根の理由を並べ立て、蜂谷が口の端を上げる。
「おお、それはそれは。忙しいところ悪かったな」
多川はそれ以上寄っていこうとしない蜂谷に向けて歩を進めた。
「それにしても……いい顔してるな、お前……」
言いながら蜂谷の顎を持ち、ぐいと上げた。
「好みだよ。見てるだけでキンタマが熱くなるぜ」
「――――」
蜂谷は掴まれたまま多川を睨んだ。
学生時代はさぞひどいニキビで顔が覆われていたことだろう。
小鼻にまで脂肪がついて丸い鼻も、赤黒い色の頬も、ブツブツと毛穴とクレーターが覆っている。
……きったねー顔。
睨んでいた蜂谷の頬に、多川はペッと唾を吐きかけた。
「先生、呼んでくる?」
「うん、行こ…!」
出店にいた売り子たちが囁きあって走っていこうとする。
と、左側でニヤニヤ笑っていた男が通せんぼをするように両手を広げて二人の前に立ちふさがった。
「きゃああ!」
「イヤッ!!」
女子たちが悲鳴を上げる。
―――このゴキブリ共が……!
蜂谷はまだらにうねった金髪を無理やりハーフアップに結っている多川の腫れぼったい顔を睨んだ。
「他の生徒に手を出さねぇでくださいよ。本当に教師が乱入してきたら面倒なのはそっちも同じでしょう」
蜂谷は頬から垂れる唾を拭こうともせず、多川を睨んだ。
「しねえよ。するわけないだろうが。ジェントルマンのこの俺が」
多川が眉を下げながら、親指でその唾を拭う。
女子の逃げようとする動きに先回りして、楽しんでいる男が笑う。
「バアアアアア!!」
「きゃああああ!」
まるでエリマキトカゲが敵を威嚇するときのように両手を脇で広げて目を見開いた男に、女子生徒が恐怖のあまり座り込んだ。
「―――警察に電話するか?」
誰かの保護者だろうか、大人の男の声がする。
ダメだ。このままじゃ―――。
教師よりも、
警察よりも、
もっとヤバい奴が来てしまう―――。
「おいおい。レディに手荒な真似はすんなよ…?」
多川は竦み上がる女子生徒を見下ろしながら言った。
「熱くなるのはよそうぜ。俺は本当に聞きたいことがあるだけなんだ」
笑いながらもう一つの手の指を2本立てた。
「質問はたったの2つだ。簡単だろ?」
虫歯のせいか、それともシンナーで溶けたのか、ほとんど原型をとどめていない前歯が覗き、饐えたような匂いがした。
「なんですか?手短に頼みますよ」
言うと多川は笑った。
「お前さ、かっこいい髪型してるなあ?」
言いながら蜂谷の頭に鼻を寄せてくる。
「―――まあ、あんたよりはな」
「このガキ!」
つい言い返した言葉に、いつの間に復活したのか、先ほど多川に殴られて蹲っていた男が蜂谷の胸倉を掴み上げた。
「きゃあああ!」
「蜂谷先輩…!!」
だんだん増えてきたギャラリーが囲みながらこちらを眺めている。
……ダメだ。このままじゃ、ただいたずらに目立ってしまう。
「1つ目の質問だ。そのカッコイイ髪型、いつからやってる?」
「―――美容院なら紹介しますよ」
言うと、もう一人の男がますます蜂谷の胸倉を引き上げる。
「いいか、蜂谷。俺は、いつからやってるんだ?と聞いている」
「――――」
蜂谷は眉間に皺を寄せた。
こいつら―――何が言いたい?
「1年の終わりくらいだったと思いますけど」
言うと、多川は初夏の青空を仰ぎ見た。
「一昨年―――。1年半前、か」
そして視線をゆっくり蜂谷に戻した。
「計算は合うな」
「――――?」
多川はもう一度蜂谷の顎を掴んだ。
「2つ目の質問だ、蜂谷。正直に答えろよ」
言いながら蜂谷の口に、太い指を突っ込んでくる。
「ンゴ…ッ!」
舌を指で挟まれ引っ張り出される。
抵抗しようとした体を、男たちがサイドから抑える。
「ちょ……!多川さん?話が違いますよ!」
傍らで静観していた尾沢が叫ぶ。
「うるせえ。正直に答えたら乱暴はしない」
多川が口の端で笑いながらカッターを取り出す。
ギャラリーからは見えないようにそれを舌に翳す。
「ダイレクトに言うから、ストレートに答えろよ?」
自分の顎の横でカチカチカチカチと音が鳴る。
多川の本来小さな目が見開かれる。
「…………」
こめかみから汗が一粒流れ落ちた。
「お前は―――”赤い悪魔”か?」
蜂谷は言われている意味が一瞬わからず、その体勢のまま眉間に皺を寄せた。
……赤い、悪魔?
去年、宮丘地区の不良やチンピラを一掃したって言う噂の?
そんなの都市伝説だろ。
誰も姿も顔も、まともに見た奴はいないのに。
―――もしかして、この男。
いつの間にか顔から笑みが消えた男を睨む。
―――本気で信じてんのか……?
ゆっくりと首を振る。
「……………」
カッターの冷たい刃が舌に触れる。
鋭い痛みが走り、熱いものが溢れた。
「本当か?」
ポタッポタッと音を立てて、自分の切れた舌から赤い液体が滴り落ちる。
「多川さん……!?」
尾沢が肩に触れた瞬間、多川は裏拳で尾沢の顔を潰した。
「―――っ」
僅かに急所を外すように避けた尾沢が後ろに倒れる。
「おい」
尾沢が倒れたはずの方向から、低い声が聞こえてきた。
「ここは宮丘学園高等学校だ」
「…………」
蜂谷はカクンと項垂れた。
来てしまった。
絶対にこんな奴に知られたくなかったのに。
多川は声のする方を振り返った。
「―――ここを新日本プロレスのリングと間違って来たというなら、一度だけは許す」
大きな目が多川を睨んでいる。
「でも今、ちゃんと教えたから……」
細く白い手が蜂谷を抑えている腕を引きはがし、捻った。
「……これ以上は俺が許さない…!」
そこにはミディアムボブのウィッグを被り、ピンク色のメイド服を着た、右京が立っていた。
「いてててててて!」
腕を捻られた男が悲鳴を上げる。
右京のコスプレ姿と、その華奢な体つきから、男がふざけているのだと思った多川は大口を開けて笑った。
「はははは。笑わせんな!こんなかわいいお嬢さんにやられたってのか?」
やっと腕を外した右京を、得体の知れないものでも睨むように男が目を見開く。
「お前は引っ込んでろ!」
口から血を流しながら蜂谷が叫ぶが、右京は蜂谷と目を合わそうともせずに多川を睨み続けている。
「こんにちは。お嬢さん。気が強いねぇ?」
「………俺は男だ」
右京は臆することなく多川を睨み上げた。
「わかってるよ。そんなん」
言いながら多川が楽しそうに屈んで右京を見下ろした。
「こんなかわいい女、いてたまるか」
「―――――」
アイラインを引いて、バサバサと睫毛を広げた大きな目で、右京が多川を睨む。
「うちの学校と、うちの生徒になんか用か」
多川は右京を見つめると、顔を寄せた。
「ただ質問をしに来ただけだし」
「…………」
「それも、もう終わった」
誰かが呼んだのだろうか。遠くでパトカーの音がする。
もう一人の男もやっと蜂谷を離した。
「じゃあな、蜂谷。このお嬢さんに免じて、今までの無礼は許してやる」
多川はうすら笑いを浮かべると、二人の男にアイコンタクトを送った。
「あ、そうだ。君の名前、教えてくれる?」
言いながら携帯電話を取り出し、右京に向けて構える。
「右京賢吾。この学園の生徒会長だ」
右京が馬鹿正直に要らない情報まで教える。
すると多川はカシャリと一枚写真を撮り、口を左右に大きく開いて笑った。
「ありがと。生徒会長さん。じゃあね」
言いながら多川が踵を返すと、二人も笑いながらそれに続き、三人は校門から去っていった。
男たちの姿が見えなくなると、ギャラリーが右京と蜂谷を取り囲んだ。
「会長!大丈夫?」
「蜂谷先輩、怪我無いですか?」
寄ってくるそれらの生徒を押しのけながら、蜂谷はただ右京を睨み付けて言った。
「馬鹿か、お前は!関係ねぇだろ……!」
「関係ないかどうかは俺が決めるんだよ!」
右京は顎を上げて蜂谷を睨んだ。
「閉会式で“1名のケガもなく、無事に閉会できることに大きな安堵と喜びを感じます”って言いたかったのに!」
言うと、蜂谷は目を丸くした後、ぷっと吹き出した。
「―――そこかよ」
笑いながら腹を抱える。
「なんだよ。……あのな、挨拶だってその日その場で考えてる訳じゃねぇんだよ!何日間も考えてだなぁ!」
「……終わったか?」
声がして振り返ると、諏訪が持っている携帯電話からパトカーの音が鳴っていた。
「ほら、俺たちのカフェに戻ろうぜ。ぼちぼち開店だ」
蜂谷はため息をつきながら昇降口に向けて歩き始めた。
慌てて右京が追いかける。
「―――あいつらは?」
「もう帰ったよ。見ただろ」
「結局何しに来たんだよ?」
右京は首を傾げながらこちらを覗き込んでくる。
「俺のこと、あの噂の“赤い悪魔”だと勘違いしたらしい」
蜂谷は鼻で笑った。
「この世にヒーローなんて、いるわけないのにな」
ボソッと呟いた声に、右京は何も言わなかった。
◆◆◆◆◆
「ウキョウ、ケンゴ君……ね」
車の後部座席に足を開いて座り、多川はニヤニヤと笑った。
携帯電話の画面では、先ほど写した右京が睨んでいる。
その顔をピンチアウトして拡大していく。
「……なあ」
男が座る運転席を蹴る。
「……あの生徒会長のこと、調べろ」