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「車、意外と早く直ったな」
「そうなんですよ!いろんな部品をそっくり交換したので、お金はかかったけど、早かったんです」
例によってハンドルを握らせてもらえず助手席に突っ込まれた琴子は得意気に言った。
「まだ兄貴には言ってないのか」
「言うつもりありませんよー。ボンネット開けなきゃばれないですから!逃げ切りますよ」
笑いながら、キョロキョロと辺りを見回す。
「あれ?今の道左じゃありませんか?これじゃあ逆方向ですよ」
「心配するな。ホテルに連れ込むわけじゃない」
琴子が閉口するのを無視して続ける。
「今日はアパートじゃなく実家に泊まる」
「実家?どこにあるんですか?」
「日本国内だ」
壱道から出る意外な単語に思わず笑いそうになる。
「出来れば県内でお願いしまーす」
「安心しろ。市内だ」
そうか。同じ中学校出身だった。
「ーーー実家かぁ。いいですね、いいと思います!壱道さんはたまにお母さんの美味しいご飯を食べて、栄養つけられた方が!」
「残念だが実家にお袋はいない。うちの両親は俺が中三の時に離婚してな。俺は母親と共に実家を出たんだ。現在はくたびれた親父しか住んでいない」
「くたびれたって」
壱道にそんな過去があったとは。
「お父さんと最後に会ったのはいつなんですか?」
「三年前、親戚の葬儀の際か。ほとんど言葉は交わしていないが」
三年前。
「あ。そうだ。話は変わるんですけど、私、櫻井の事件の中でどうしても解けないことがあって」
運転席に詰め寄る。
「三年前、壱道さんを変えたのは、結局何だったんですか?」
車が信号で止まる。壱道が大きい目でこちらを見つめる。
「お前は三年前、何をしていた」
「え、私ですか?ええと、松が岬署に配属されて・・・」
横断歩道の信号が点滅をはじめ、赤に変わるまで無言だった壱道は、前に向き直って言った。
「そういうことだ」
「は?どういうことですか?」
答えが聞けぬまま、車は砂利を踏み鳴らしながら太い木柵に囲まれた駐車場に入った。
見上げると、高級料亭で見るような日本庭園が広がっていた。その奥に入母屋の立派な豪邸がそびえ立っている。
「壱道さんの家って」
「古くから伝わる茶道の名家でな。祖母が死んだ今は退職した親父が継いでいる。家族を省みないほどの仕事人間だった男が、まあ器用に茶道を極めたんだから大したもんだ」
エンジンを切ると同時に琴子の携帯電話が鳴った。兄の誠からだ。
「出ていいぞ。先に土産と荷物を下ろしてくる」
勝手に帰るなよ、と念を押してから壱道は車を離れていった。
「お前、俺の車なんかした?!」
開口一番まくし立てられる。
「保険会社から連絡きたんだけど!」
「あ、当て逃げにあってー。直したから大丈夫だよ」
慌てて答える。
「隙があるから当て逃げなんかされるんだよ」
無茶苦茶な理屈を立てる。
「いつ!どこで!どの程度されたあ!」
まずい、話題を変えなければ。
「そういえば、私もお兄ちゃんに言いたいことがあるんだった!やっぱりいたじゃん!中学校に成瀬さん。適当なこと言って!」
「はー?だからいないって」
「三年の二学期で転校していったんだって」
「転校?」
沈黙が走る。また電波障害か。
「もしもーし。おーい。もしもーし」
「聞こえてるよ。あのさ、下の名前は?」
「壱道。成瀬壱道」
「いちどう?ああー!」大声で音が割れる。
「壱道な!いたいた!確かに!冬休みを境に来なくなって、女子が嘆いてたっけ。なんかやけにモテるやつでさ」
当時からプレイボーイだったのか。
「一個下に弟もいてさ、そっくりなんだけど、ちょっとヤンチャ系でさ。そっちも人気あったなー。ファンクラブとかあってさ」
「そんな濃い人を、なんで忘れるかなー」
「忘れたんじゃねーよ!だって名字は成瀬じゃなかったもんよ」
そうか。離婚して名字が変わったのか。
「思い出した!確か。あ、そうだよ!あいつの名字はーーー」
それを聞いた瞬間、あまりの衝撃に琴子の思考回路は切れた。
「琴子?おーい。電波ねーのかな。おーい」
兄の声が遠くなり、携帯電話が手から滑り落ちる。
「終わったか」
気がつくと助手席のドアが開けられていた。
「親父がお前に、茶を立ててやると意気込んでいるぞ」
ゆっくり見上げると、逆光で影を帯びた顔がにやりと笑った。
「飲んでいくだろ。“お嬢ちゃん”」
【完】