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話し合いが終わり、マネージャーたちが忙しそうに散っていく中、展示場に帰らなくてもいい紫雨は悠々とのびをした。
そしてテーブルに所在なさげに置いてあったアルバムを引き寄せ、立ち上がろうとしたところで、
「悪いな、巻き込んで」
篠崎がこちらを振り返った。
「あ、いえ別に」
アルバムを抱えながら鼻で笑うと、座るとそこまで視線が変わらない篠崎を見つめた。
「でもよく俺がアルバムを作ってるって知ってましたね。新谷にでも聞きましたか?」
言うと篠崎は切れ長の目を上下に広げ、ただでさえ近いのに椅子を寄せてきた。
「な、何すか?」
「お前、覚えてないのか?」
「は?」
「アルバムの作り方、俺はお前に習ったんだよ」
◇◇◇◇◇
あれは初めての受注をもらった時だった。
紫雨は勉強のため、また自分が家を売ったという喜びのため、毎日足繁く現場に行った。
いろんな角度から写真を撮るうちに、部屋ごとの工程を追うことで、素人目にも家が出来上がっていく楽しさが発見できた。
(これ、アルバムでもらったら嬉しいだろうな…)
すぐに写真屋にいき、自分の人生では一冊も持っていないアルバムを買った。
それに写真を入れ込むことで、家の成長記録をつけた気分になり、半分は自己満足だった。
「何?それ」
紫雨があからさまに避けるので、篠崎はそのころには自分から話しかけてくることはほとんどなかったが、デスクに置いてあるアルバムを聞いてきた。
「工程の写真。お客様に引き渡しの時にあげるやつですよ」
意識的にそっけなく答えると、篠崎は「へえ」といってそれに手を伸ばした。
ペラペラと捲り、「ふうん」低く唸ると、篠崎は紫雨を見つめた。
「……これ、他のどんな引き渡し時のプレゼントより、嬉しいだろうな」
「え」
「一見冷めてるように見えて、お客様のことちゃんと考えてんだな、お前って」
「………」
その笑顔に紫雨は自分の胸に抱き始めていた彼への気持ちが、確かな重量を持って胸にドンと落ちるのを感じた。
忘れるわけない。
忘れられるわけがない。
それは、紫雨が篠崎に恋に落ちた瞬間だった。
◇◇◇◇◇
「あの頃のお前ってさ」
篠崎はクククと笑った。
「いつも虚勢を張った子猫みたいだった」
「子猫?」
「ああ。シャーって周りを威嚇して、気配無く現れて、足音なく去っていって」
「……なんすかそれ。馬鹿にしてんですか」
紫雨がため息をつくと、篠崎は笑った。
「可愛かったな、と思ってさ」
「………!」
紫雨はアルバムを手に立ち上がった。
「30超えた男に可愛いも何もないでしょ。新谷のせいで頭いかれちまったんですか?」
篠崎は立ち上がりもせずに窓の外を眺めた。
「確かにそれはあるかもな」
「……ちょっと。惚気るなら他でやってくださいよ?」
椅子を引きながら紫雨は鼻で笑った。
「帰りの車では“我慢プレイ”はやめてあげてくださいね。かわいそうですから。膀胱炎にでもなったら、当分セックスできないすよ」
「……お前な」
篠崎は黙って紫雨を睨んだ。しかしその口元は笑っている。
「お疲れさまでした」
紫雨も笑うと、打ち合わせ室を出た。
「…………」
音もなく階段を下りながら、紫雨は口元を手で抑えた。
(あの人ってもう、なんでああなんだろう)
無意識に無自覚にかつ無目的に、こちらの心臓を鷲掴みに男を憎らしく思う。
(これ以上、あの人に対しての気持ちを大きくしたくないのに……)
――目を覆いながら歩いていた紫雨は、階段下のドアが開いたことに気が付かなかった。
後ろから手が伸びてくる。
それが紫雨の白く細い腕を掴んだ。
「……え?」
紫雨は声を上げる暇もなく、階段下の収納庫に引きずり込まれた。
「び、ビビらせんな!お前は…!」
紫雨は収納庫の中の丸椅子に座らせされ、部下を見上げた。
「シーッ」
林は口元に人差し指を当てた。
「声を立てたら、誰かに気づかれますよ?」
「お前頭いかれてんのかよ。どけ!」
慌てて立ち上がろうとしたが、自分とそんなに変わらない林はいとも簡単に紫雨を押し返した。
「何なんだよ!?」
「紫雨さん。俺、紫雨さんの気持ちわかっちゃいました」
「はあ?」
林は眉間に皺を寄せている紫雨を見下ろした。
「篠崎さんが、好きなんですよね?」
「………っ」
紫雨は今の今まで一緒にいた篠崎の顔を思い浮かべ、即座に否定が出来なかった。
「やっぱり」
言いながら林は紫雨のワイシャツに手を掛けた。
「な、何すんだよっ!」
「静かにしてください。篠崎さん、まだ打ち合わせ室にいるんでしょ」
「……っ!」
慣れた手つきでボタンが外されていく。
紫雨は林を睨み上げた。
「睨まないでよ。“子猫ちゃん”」
林が無表情で見下ろした。
「てめえ……」
インナーを捲り上げ、2つの突起を同時に握られる。
「今日はこっちしかしませんから」
(………なんだそれ)
身長の割に長い指がその突起の先端をカリカリと刺激する。
この5日間、執拗に弄られたそこは、少し刺激されるだけでたちまち硬くなり、身体の中を直線の神経が走っているように、股間の奥に直接響いてくる。
「ん……んん……」
「ほら。声、抑えないと」
(なんでこいつ相手だと……)
紫雨は自分の手の甲を噛んだ。
(声が漏れるんだ……?)
「……切なそうですね。下」
林が両手の動きを止めないまま、紫雨の股間を見た。
「腰動いてんの、自分でわかってます?」
「…………」
「紫雨さんが許してくれるなら口でしますけど?」
紫雨は林を睨み上げた。
「ヘタクソだから、いい……!」
「ひどいなあ。俺の口で何回もイッたくせに」
この5日間で身体に刻まれた快感が、自分のソレを期待させる。
紫雨は黙って目を瞑った。
「これは……いいってことで、いいんですね?」
林は両手をやっと胸から離し、紫雨のベルトに手を掛けた。
「は……っちが……」
「シーッ」
その時、頭上から声が聞こえてきた。
『はい、構いませんよ。設計に伝えておきます。お手洗いの向きが南側、ですね?』
「篠崎さん、電話中みたいですね」
林が紫雨のワイシャツをスラックスから出した。
「よかったですね。声、聴けるじゃないですか」
「お前、何言って………」
パンツに指をかけると、それを少しずらしただけで、紫雨のソレは飛び出した。
自分の意思とは裏腹に林に尻尾を振るソレを紫雨は睨んだ。
林はソレと紫雨を交互に見つめると、一気に口の中に含んだ。
「っ」
思わず林の肩を掴む。
「ん……っ」
嘗められ、吸われ、包まれ、すでにはちきれそうだったそれは、足の指の力を抜けば、すぐにでも達してしまいそうだった。
ドン。
頭上から音がする。
ドンドン。
彼が階段を下ってくる足音が響いてくる。
『コンセントの口ですか?今からでも大丈夫ですよ。わかりました。お母さんの部屋にもう1つ、ですね。南側の壁………だとすると、窓の下でいいですか?』
篠崎の声が近くなってくる。
林が咥えながら意味深に見上げてくる。
「……っ」
紫雨は再び目を瞑った。
『子供部屋はそのままで大丈夫ですか?……わかりました』
その体の奥から聞こえるような不思議な声の反響に、身体が震える。
「………!……!!」
耳から入ってくる篠崎の声と、繰り返される股間への刺激に紫雨は足を強張らせた。
「………イッていいよ」
研ぎ澄まされた耳にふいに響いた声に導かれるまま、紫雨は身体を痙攣させながら、林の口の中で達した。
「いい加減にしろよ…」
紫雨は荒い息が収まってから、立ち上がった林に言った。
「何考えてんだよ!」
興奮から一転、急激に温度が零度に冷めた紫雨が、ずっと氷点下を彷徨っている林を睨む。
「篠崎さんに誘惑されて苦しいだろうと思って。発散させてあげただけですよ」
自分の身体のどこをどう探したら、こんな残酷で冷徹な言葉が出てくるのだろう。
林は自身の底知れない闇に戸惑いながらも、敢えてそこに身を投じ、紫雨を睨んだ。
「いつ俺が誘惑されたんだよ!」
紫雨が今までにない剣幕で林に怒鳴る。
「何だよ、子猫ちゃんって…!モニターでずっと見てたのか!趣味わりいな!」
紫雨は立ち上がり、そばにあったのぼりを蹴り倒した。
「何を勘違いしてるか知らねぇけど、お前は俺のことも、篠崎さんのことも、何もわかってない。
そうやって人間を“見る”ことができないから、家も売れねぇんだよ!!」
激しい怒りのためか紫雨の唇が震える。
「そもそも百歩譲って俺が篠崎さんを好きだとして、一万歩譲って、篠崎さんが俺を誘惑したとして、お前に――」
(あ、言われる……)
林は静かな覚悟をした。
「お前に、関係あんのか?!」
(ほら、言われた……)
眩暈を覚え、後ろに一歩足をついた。
「関係は、ないですね―――」
林は小さく頷いた。
「俺には、関係ない」
自分で吐いた言葉が心臓を包んで凍らせて、バリンと音を立てて粉々に飛び散っていく。
「でも俺は―――あなたのことが、好きだったんです」
「馬鹿にすんのも大概にしろ!」
紫雨は、今度は自分が座っていた丸椅子を林に向かって蹴り上げた。
腕にぶつかったが痛みは感じなかった。
「俺に金輪際、構うな!触るな!近寄るな!!」
金色の目が、収納庫の小さな白熱電球を反射させてキラキラと光る。
(ああ。なんて……綺麗なんだろう…)
林は大きく息を吸った。
(俺は、どうしてこの綺麗な人に―――)
黙ってドアノブに手を掛ける。
(こんなひどいことをしてしまったんだろう…)
展示場に出た林は、目の前に立っていた人物を見上げた。
「あ……」
思わず言葉を失う。
「………篠崎、マネージャー……」
言うと、彼は組んでいた腕を下ろして林を見下ろした。
「…………」
その手が林の目線まで上がる。
(な、殴られる……っ!!)
林は目ギュッと瞑った。
しかし―――。
その手は林の肩に優しく着地した。
「上司ってのは叱咤する生き物で、部下ってのはそれで成長する生き物だ。あんまり気にすんなよ」
「…………」
どうやら紫雨の怒号は聞こえたが、会話の内容までは聞き取れなかったらしい。
「紫雨、今いいか?」
篠崎は収納庫の扉を開けた。
「……何ですか」
開いたドアの向こうには、すっかり着衣を直した紫雨が立っていた。
「ちょっと話が………痛っ。なんだこれ。危ねぇな」
篠崎が転がったままの丸椅子に躓く。
「話があるんだ。天賀谷展示場でモニターがない部屋ってどこだっけ」
篠崎が紫雨に言う。
「1階の和室か…、2階の子供部屋か、ですかね」
「じゃあ、和室でいいや。すぐ済む」
「……はい」
紫雨はふらつきながら収納庫から出てくると、そこに立っていた林を睨んだ。
「まだいたのかよ。仕事しろ」
「……はい」
林は踵を返した。
「おいおい…」
紫雨の態度に篠崎が困ったような声を出す。
「和室でいいですか?」
「あ、ああ」
篠崎がこちらを振り返る気配がしたが、林はそれを振り切り、事務所の扉を開けた。
林は事務所を突っ切ると、そのまま靴を履き替えて外へ出た。
「………」
喉の奥に重い石があるようだ。
何とか息をしながら、当てもなくハウジングプラザの遊歩道を歩く。
紫雨の言う通り、無人の事務所で、林はモニターで打ち合わせ室を観ていた。
篠崎に軽く挨拶をされて、動揺する紫雨の顔も、目が合って桜色に染めた頬も、若草に食って掛かる篠崎を目を見開いて見つめていた金色の瞳もも、子猫みたいだと言われ、新谷の話題に逃げる照れた顔も。
全部……全部、観た。
(あんな顔………するんだ…)
自分の腕の中で、何度となく喘ぎ、幾度も達したはずなのに、一度も見ることのできなかった彼の表情の数々に、毛穴という毛穴から尖った針が出てくるような、どうしようもない怒りにも似た感情が湧き上がってきた。
抑えられなかった。
一時的にでも、自分の元に取り戻したかった。
(でももう、終わりだ)
管理棟のそばまで歩いて、林は天賀谷展示場を振り返った。
きっともう彼は宣言通り、林に身体を触れさせないだろう。
それは林に怒ったからではない。
林が、紫雨の気持ちを暴いたからだ。
封印していた一番弱いところを、引っ張り出され、穢されたからだ。
彼はきっと、もう林に心を開かない。
林に笑いかけたりしない。
……それならいっそのこと。
林は目を閉じた。
彼の幸せを願おう。心の底から。
彼があの人と少しでも長く一緒にいられますように。
彼があの人と、少しでも仲良くなれますように。
彼の想いが少しでも、あの人に通じますように。
「あれ?林さん。こんなとこでどうしたんですか?」
林は瞼を開けた。
目の前には、愛する人の幸せに、一番邪魔な人物が立っていた。