それからというもの、しばらくの間は父親が全く家に返ってこない日々が続いた。
なんでもモンスターが大量発生していて、猫の手も借りたいくらいに忙しいらしい。
もしかしたらあまりの忙しさに俺も『仕事』に呼ばれるかも……!? と、思ったのだが、流石にまだ5歳である俺が仕事に駆り出されることはなく、家で特訓に励はげめた。
何をやっていたかというと木の人形を使って自分で自分を痛めつけるという、はたから見れば結構やばい訓練だが、これの効果がすごかった。
どうすごかったのかというと、まず最初に『どう足を動かせば、敵が迷うのか』が分かる。
これが分かればどうなるのかと言えば、自分の足運びに活かせるのだ。
なんて言ったって自分が『こうやれば騙せるだろう』と思って動かした動きを自分で見て騙されてるくらいだから、初見の相手は俺以上に騙せるんじゃないか?
早く父親相手に試してみたい。
その次に参考になったのは、『どう攻撃すれば、敵は嫌がるのか』だ。
対戦ゲームは相手の嫌がることを押し付けるゲームと言ったのは配信者だったか、プロゲーマーだったか。まぁ、要は戦いにおいても同じことだ。
ただ、その『嫌がること』というのが、攻撃するだけだと分かりづらい。
しかし俺は自分との特訓を通じて『どう攻撃されるのが最も嫌なのか』を、自分の身を使って身体に叩き込んでいるのだ。
数週間前の俺と比べものにならないくらい、近接戦での手札が増えた。
この調子でもっともっと強くなって、父親が帰ってきた時に驚かせてみたい。
ちょっとしたサプライズみたいなものだが、そう思えば特訓に熱も入るというものだ。
それに上達しているのは、近接戦だけじゃない。
「イツキ。そろそろ『治癒魔法』やってみる?」
「うん! やってみる!」
母親と一緒に図鑑を見て、身体の構造を勉強する特訓もそれなりに形になってきたのだ。そのため、そろそろ勉強するだけじゃなくて『治癒魔法』を使ってみる実践段階に入ったのだ。
いやぁ、それにしても相当勉強したぞ。
もしかしたら、全国にいる5歳の中で一番身体に詳しくなったかも知れない。
「でも、最初に身体で試してみるのは危ないから、失敗しても問題ないところから慣れていくの」
「失敗しても問題ないところ?」
はて、身体にそんな場所なんてあるだろうか?
首を傾げた俺に、母親は優しく教えてくれた。
「うん。例えば、爪とか。髪の毛とかね」
「あぁ!」
言われてみれば、そうだ。
確かに髪の毛や爪だったら、治癒魔法に失敗しても切ってしまえばいい。
そう考えたらそこら辺のパーツは人間の身体で失敗できる部分だ。流石に最初から内臓の治療とか、指の切り傷の再生するのは怖いしなぁ。
「まずは、爪を再生してみよっか。指先に『導糸シルベイト』を巻きつけるの」
「うん」
母親はデモンストレーションがてら、爪先を覆うように『導糸シルベイト』を巻きつけた。
しかし、考えてみれば他の祓魔師たちは『真眼』がないから、これ見えないんだよな……。練習するとき大変そう……。
俺は自分の幸運に感謝しながら、母親と同じように自分の人差し指の先に『導糸シルベイト』を巻きつけた。
「巻きつけた?」
「うん。ちゃんと巻いたよ」
「そうしたらね、この『導糸シルベイト』の中で『形質変化』をするの。そして、切ったばっかりの爪を治してみて」
「う!」
母親に言われるがままに、俺は爪先を再生。
昨日、お風呂からあがって母親から爪を切るように言われたのはこれが理由だったのか。
昨日の出来事と今日の事象が繋がったことにちょっとした合点を打った俺は、すばやく意識を爪先に飛ばした。
……治れ。
果たして爪先を伸ばすことが治・る・と表現して良いのかはわからないのだが、俺は言語の先生じゃないので、そういうのはどうだって良い。大事なのは、俺が爪先を伸ばすことを再生だと思うことだ。
そうすることで、『治癒魔法』は発現する。
ふっ、と爪先が温かくなる感覚。
いつも母親に治癒魔法を使ってもらっている時と同じ感覚が指先に宿ったことに、俺は成功を確信した。
果たして、『導糸シルベイト』を解ほどいてみると――。
「わっ! 伸びてる!!」
「イツキ。よく頑張ったね」
1cmほどだが、爪が伸びていた。
その成功を見て母親は微笑むと、そっと俺の頭を撫でくれた。
え、めちゃくちゃ嬉しいんだけど!?
治癒魔法は念願の魔法と言っても過言じゃない。
俺は前世で通り魔に刺されて死んだ。
もし、あの時に『治癒魔法』が使えればあの苦しみも痛みも味わうことは無かったのだ。でも、死んだからこっちの世界にこれたし、一から人生をやりなおせてるし、悪いことばかりじゃないんだけど、それとこれとは別だ。
苦しい思いなんてしないのであればそれに越したことはないんだから。
そして、こっちの世界で苦しい思いをしないための手段として治癒魔法をいち早く使えるようになりたかったのだ。その願いが叶った。
それは俺にとって、信じられないほどの前進だ。
「やった! やった! 使えるようになった!!」
「イツキ。はしゃぐのも分かるけど、まだ爪先だけだからもっと練習しないとダメよ」
「う!」
「今度は怪我した時に使ってみて、もし失敗したら急いでお母さんに言うのよ?」
「うん!!」
俺はテンションのあがったまま勢いよく頷く。
いや、これはあがらざるを得ない。
俺がうきうきでぴょんぴょん跳ねている横で、ヒナは座ったまま難しい顔を浮かべていた。
「ママ! ぜんぜん、まりょく動かないよ!」
「そうねぇ。ヒナにはまだ『廻術カイジュツ』は早かったかもねぇ」
そう、俺が『治癒魔法』の練習をしている横でヒナもついに『廻術カイジュツ』の練習を始めたのである。
彼女の魔力は『第二階位』。
とても一般的な魔力量だが、魔力があるのだから魔法が使えることに変わりない。
そんな彼女が魔法の練習をすることは如月家に引き取られたあたりでほとんど確定していたわけだが、俺が『形質変化』とかでドレスを作ってあげてから自分もやりたいとなって練習を始めたわけである。
しかし、そうして始めた魔法の練習も中々上手く行っていない。
魔力の感知は例によって俺が魔力を触って教えてあげたので、すぐに感覚を掴むことができたのだが、それを動かすのが難しいらしいのだ。
とはいっても、ヒナが魔力を動かせないからといって母親が焦ってそれをどうにかしようとする気配はない。まぁ、祓魔師たちにとっては3歳から5歳にかけての2年間で『廻術カイジュツ』を身につけるのが普通だ。まだ3歳のヒナが使えなくても、何も問題はないっちゃない。
俺も色々ヒナにコツを教えてあげたのだが、どうにも伝わらなかった。
『味噌汁を作る時の味噌を溶かすように』ってめっちゃ分かりやすい表現だと思ったんだが、残念ながらヒナは味噌汁を作ったことがなかったので伝わらなかったのである。考えてみればそれも当然すぎる結果なんだけど。
さて、渋い顔を浮かべたままのヒナをどうあやそうかと考えていると、母親のスマホが震えた。
「はい、もしもし。楓かえでです」
え、電話だ。珍しい。
こっちの日本でもちょっとした出来事なら電話じゃなくて、LINEでやりとりをする。
電話がかかってくるなんて、よっぽどの時だけだ。
「はい、はい。え? えぇ、私は全然大丈夫ですよ。宗一郎さんも、ダメとは言わないと思います。うん。はい」
……誰と電話してるんだろう?
俺は母親の交友関係に明るくないので、不思議に思ってしまう。
しかし、電話中だから誰と電話しているのかなんて聞かない程度にはマナーを分かっている俺は黙り込んで、母親の電話が終わるのを待った。
「えぇ。はい。え? イツキに?」
そういうと、母親はスマホを俺に手渡してきた。
「誰?」
「電話にでたら分かるわよ」
スマホの画面を見たら『桃花ももかさん』と書いてある。
いや、マジで誰だよ。
しかし、出たら分かると言われたので、俺はスマホを手にとった。
「もしもし? イツキです」
「あっ! イツキくん! アヤです!!」
「アヤちゃん?」
えっ、アヤちゃんって本当は桃花ももかって名前なの。
いや、流石にそんなわけないよな……。うん? あぁ! これアヤちゃんのお母さんの名前か!!
つまりはレンジさんの奥さんの名前である。
初めて知った……。
「どうしたの? アヤちゃん」
「えっとね。あのね……」
珍しく歯切れが悪い返答が戻ってきて、俺は辛抱強く次を待っていると彼女は意を決したように口を開いた。
「12月24日に、クリスマスパーティーしませんか!」
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