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次の日、学校は当然のごとく休みになった。
そもそも教員や学校を休んでいた人以外、みんな倒れてしまっている。全国ニュースになったし、警察やマスコミの人が学校に集まっているらしい。
あの学校にいて、唯一元気な俺のところにマスコミが来ていないのは『神在月』家と、後処理部隊の人たちの活躍によるものなのだという。俺たちの情報を隠し、有り得そうな作り話カバーストーリーを流して、情報統制を行っているのだという。
そういうことを母親から教えてもらった。
一方で俺はテレビを見る気にもならなくて『導糸シルベイト』を編んだり解いたりして、胸の内にあるモヤモヤと向き合っていると――イレーナさんから電話で呼び出された。
俺はその電話を受けてからいてもたってもいられなくなって、ニーナちゃんの家に向かうことにした。
何度も訪れた綺麗なマンションのエントランスで部屋番号を押す。
しばらく待機音が流れた後、音質の良い音声がインターフォンから聞こえてきた。
「ああ、すみません。イツキさん。いま空けますね」
「来たの!? イツキが!!?」
「ちょっと、ニーナ。もう少し落ち着い……」
そこまでイレーナさんの声が入って、音が切れた。
俺は『ニーナちゃんは大丈夫なのかな……』と、思いながら慣れ親しんだエレベーターのボタンを押した。もう一年以上ニーナちゃんの家に通っているから、管理人も見知った顔だ。
内廊下を抜けて部屋の前に備えられたインターフォンを鳴らす。
すると、すぐに扉ががちゃり、と開いた。
「お邪魔します」
「すみません。イツキさん、無理を言って」
「ううん、大丈夫です」
中から顔を見せたのは、とても疲れた顔をしたイレーナさん。
目の下には暗い隈くまができていて、昨日からまるで一睡もしていないんじゃないかと思ってしまう。
「それより、ニーナちゃんは……」
「イツキ! 来たのね!!」
イレーナさんが何かを返すよりも先に、廊下の奥からニーナちゃんが走ってやってきた。
髪はほつれていて、泣きはらしたのか、目が真っ赤になっていた。
彼女はその勢いのまま、俺に飛びついてきた。
流石に来ることが分かっていれば、後ろに倒れること無く受け止められる。
だから俺がニーナちゃんを受け止めたら、そのまま息が出来ないくらいに抱きしめられた。
「良かった……っ! 良かった。イツキが来てくれた。あのね、私、イツキがもう来てくれないかと思ったの。だって目を空けたらイツキがいなかったから、愛想をつかしちゃったんじゃないかって……」
「……大丈夫だよ」
そう言ってどんどん呼吸が浅くなっていくニーナちゃんの背中を撫でる。
それ以外に、俺は彼女に出来ることが思いつかなかったから。
「……イツキさん、どうぞ入ってください」
イレーナさんにそう言われて俺は部屋の中に入ろうとしたのだが、ニーナちゃんは俺を強く抱きしめたまま動かない。
「ニーナちゃん。離してくれないと、中に入れないよ?」
「……離したら、イツキがどこかに行っちゃう」
「行かないよ」
「…………やだ。離さない」
もうこうなってしまえば仕方がないということで、俺は両腕を『導糸シルベイト』で強化。
ニーナちゃんを抱きかかえてから、部屋の中に入った。
入るや否や、荒れている室内がお出迎え。
北欧の家具で揃えられていた真っ白に統一されたおしゃれな部屋は、その面影を残すだけだった。ソファーはひっくり返っているし、カーテンは破れているし、テーブルは半分になっている。
「ど、どうしたの。これ……」
「ニーナが暴れたんです」
いつもは綺麗に整えられているはずの部屋の中がそんなことになっていることに、衝撃を受けていると……イレーナさんがぽつりと零した。
「暴れたって、本当?」
「…………」
抱きついたままのニーナちゃんにそう聞いたら、無言が返ってきた。
どうやら言いたくないらしい。
まぁ、言いたくないならそれでも良いのだけれど。
「でも、良かったです。イツキさんが来てくれてから、落ち着きましたから」
イレーナさんがそう言って、両手をパン、と叩くと俺の膝下くらいはある妖精たちが突如として出現。ひっくり返ったソファーを起こし、カーテンを縫い始める。そうしてみるみる内に部屋の中が片付いていく。半分になったテーブルはどうするんだろうと思っていると、バラバラに解体しだした。流石に捨てるらしい。
というか、アレか。
片付けてもニーナちゃんが暴れるから、そのままにしていたのか。
それにしても妖精魔法って便利だなぁ。
なんて、そんなことを思っていると……ニーナちゃんが、ガバ、と顔をあげた。
顔を上げると、俺の手を引っ張ってリビングから立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっと! どこに行くの?」
「私の部屋よ。魔法の練習をするの」
「練習って……。大丈夫なの、その……魔法は、使えるの?」
俺がニーナちゃんに聞くと、彼女はそっと首を横に振った。
「だって、イツキが私の側そばにいてくれるのは私が妖精魔法を使えるからでしょ。私がイツキに魔法を教えなかったら、ママが魔法を使うんだったら、私に価値なんてないじゃない……!」
「違うよ、ニーナちゃん。それは……」
「私はイツキが側にいて欲しいの。でも、イツキに価値を渡せないと、私に生きる意味はないの!」
ニーナちゃんは何かのスイッチが入ったみたいに、顔をくしゃっと歪ませた。
歪ませた瞬間に、せきを切って泣き出した。
「だって、私はパパを笑ったの。みんな死んでいくのに笑ったのよ! 私は、生きている意味がないの。死・な・な・き・ゃ・い・け・な・い・の・」
「ニーナちゃんッ!」
思わず出した声が大きくなってしまって、ニーナちゃんが一瞬泣き止む。
俺はしまった、と思いながら……あえて声を落として、続けた。
ニーナちゃんが一生懸命頑張っていることを、俺は眼の前で見てきた。
トラウマを乗り越えようとしたことを、誰よりも見てきた。
自分の過去と、弱さと向き合って、彼女は強くなろうとした。
「悪いのは、モンスターだ。ニーナちゃんじゃない」
死は絶対だ。
無慈悲に、無条件に、誰にだって降りかかる。
俺は今でも夢に見るのだ。
あの日、平凡な人生が終わった日のことを。
あの苦しみと、痛みと、無力感を、今でも簡単に思い出せる。
「悪くないニーナちゃんが、死んでいいはずがないんだ」
だから、どんなことがあったって俺は『死』に反対する。
「なら、イツキは……私の側にいてくれるの?」
「もちろんだよ」
「どうして?」
「友達だから」
俺はそれ以外に答えようもなくて、そう言った。
ニーナちゃんは、じわりじわりとその目に涙を溜めると……それが溢れると、止まることなく激しく泣き出した。
出来ることもなくて、俺はニーナちゃんの手をずっと握っていた。
泣きつかれて、ニーナちゃんが眠るまでずっと側にいることにした。
俺に出来ることは、それくらいだと思ったから。
そうして、しばらく彼女が泣きつかれるまでただ待った。
イレーナさんから、温泉旅行の案内が来たのはそれから2日後のことだった。