リザベット橋から馬車で30分ほどの場所に、例の男が潜伏していた酒場はあった。中年の夫婦が経営していて2階部分が民宿になっている。男はそこに宿を取っていたらしい。
あの日、クラヴェル兄弟からにわかには信じ難い報告を受けた。巨大な怪鳥が酒場を襲い、男を食い殺したのだと。すぐに現場に向かったのだが問題の鳥の姿は無く、残されたのは屋根にあたる部分が完全に消滅してしまった家屋……そして、恐怖で縮こまっている住民と客達だった。
現在、その酒場が襲撃を受けた日から4日が経過している。周囲に散乱していた瓦礫などは既に撤去されていた。しかしながら全体の三分の一がごっそりと無くなり、いまだ修繕のされていない建物の姿は凄惨なものがある。営業は当分無理だろうな。
我々が手を出すまでもなく片がつくというのはこういうことだったのか? 人喰い鳥に襲われるだなんて……予想できるはずがない。図らずもレオン様が言っていた不幸な事故に見せかけるが罷り通ってしまうような状況で、男の命は断たれてしまった。
「セドリックさん!」
「クレール隊長か……」
警備隊隊長ベアトリス・クレール……レオン様の指示で男を見張っていたのは彼女の部隊だったな。鳥襲撃時にも周辺住民の避難誘導や警護を行い、今はその流れで事後処理をしている。俺に向かって『お疲れ様です』と敬礼をすると、隣に並び立った。
「先程から熱心に見ておいでですが、何か気になることでも?」
「いや、改めて酷い有り様だと思ってな」
隊長は俺の視線を追うように自身も酒場へと目を向ける。無残な姿になったそれを見て、眉間に皺を寄せた。
「私が到着した時には店はすでに破壊された状態でした。混乱して逃げ惑う客に、騒ぎを聞き付け集まる野次馬達……。部下は民衆を落ち着かせようと必死に呼びかけていましたが、彼らの顔も血の気が引いて真っ青でした。何が起きたのか聞いてみても頭がおかしくなったのかと疑ってしまうような内容で……まだ信じられません」
「そりゃなぁ……俺だってそうだ。しかし、実際に起きた事なのだから受け入れるしかあるまい。お前の部下は目の前で見てたんだろ」
「はい。化け鳥の襲撃に対し、なす術もなく……。調査対象をみすみす死なせてしまいました。申し訳ありません」
「いや、むしろ手を出さなくてよかった。神の邪魔をしてみろ……どんな咎めを受けるか分からんぞ。レオン様の話だと、シエルレクト神は男ひとりを標的にしていたそうだ。家を壊された酒場の亭主には気の毒だが、我々があの男のとばっちりを貰う必要は無い」
「シエルレクト神……ニュアージュの神はなぜあんな蛮行を……」
俺達は酒場を襲った化け鳥の正体を知っている。西方の国ニュアージュの神、シエルレクト。男がメーアレクト様のテリトリーを侵したせいで、神達の間でも軋轢が生じていた。ルーイ先生はシエルレクト神に責任を取らせる方向に持っていくと言っていたが、まさかそれがこんな結果になるなんて……
「神様にも色々あるのだろう。釣り堀の事はメーアレクト様もお怒りだったからな。正に天罰が下ったってとこだな」
しかし、男が死んだことで動機が分からずじまいになってしまった。組織的なものではなく、単独犯の見方が強いが……確定するには時期尚早だ。現場に残された遺留品からは、大した情報は得られなかったしな。
「レオン様が完全に復帰なされたら、神殿でのお話を更に詳しく聞いてみるよ」
「レオン殿下のご容態はその後どうですか?」
「もう、元気元気。外に出たくてイライラしてらっしゃる」
「それは良かった……。セドリックさん、殿下が無理をなさらないよう、どうか気を付けて見てあげて下さいね。優秀であるが故にそれに慣れ過ぎて、あの方の本来の年齢を失念してしまう」
「ああ、肝に銘じておくよ」
昏睡していたレオン様も無事に目を覚ました。後遺症のようなものも無く、すっかり元通りだ。レオン様の様子を聞き、険しかったクレール隊長の表情がいくらか和らいだ。先生にも、もう一度話を聞かないとな……男は死んだが、まだ終わりではない。
「あ! そうだ、クレール隊長。お前の部下……男を見張っていた兵達と後で話をさせて貰いたいんだが」
「ええ、構いませんよ。ですが……あいつらをどうにかして頂いてからになりますけれど」
「あいつら?」
クレール隊長に連れて来られたのは軍の詰所だった。確か、酒場の経営者夫婦も一時的にここで保護すると聞いていたが……嫌な予感がするな。
胸中を騒つかせながら入り口の扉を開ける。すると、入ってすぐに目に飛び込んできたのは4人の人物。彼らはテーブルを挟んで椅子に座り、話をしていた。ひとりは女性だった。その女性の隣に寄り添うようにしている男性がいる。きっとこのふたりが酒場の夫婦だろう。そして、残りのふたり……こちらは俺がよく知っている人間だった。茶髪の男が夫婦と向かい合って椅子に座っている。もう片方の黒髪の男は椅子には座らず、その横で立ったままの状態で会話に参加している。俺はつい両目を片手で覆ってしまった。
「はい……グレッグさんは、ふた月ほど前からうちにお泊まりになっていました。西の方から来たと言ってましたね」
「へー……そいつの名前『グレッグ』っていうんだ。他に連れは? よく話をしてた知り合いみたいなのはいなかったか」
「部屋はおひとりで取っておられました。お知り合い……と言われましても、他のお客様とたまに一緒にお酒を飲んでいらっしゃる所は見かけましたが……相手はその都度違っていたようですし。すみません、詳しい交友関係は私共には分かりません」
「意識して見てなきゃそんなもんだよ。参考になった、ありがとう」
申し訳なさそうに見上げる婦人に、優しく笑いかけたのは俺の部下であるルイス・クラヴェルだ。婦人は頬を薄っすら赤く染めている。
「同じ質問を何度もするな。前に聞かれた時に答えただろ!」
「申し訳ありません。その者達とは所属が違うもので……煩わしいでしょうが、もうしばらくお付き合い下さい」
不機嫌そうに食ってかかる酒場の亭主。ルイスの兄であるレナード・クラヴェルはそれを軽く受け流すと、会話を続行させた。
「私、怖いです。グレッグさん、あんな事になってしまって……可哀想に」
男の死を嘆き、涙で瞳を濡らす婦人。レナードはそんな彼女の顔に手を伸ばすと指先で目元を優しく拭った。そして懐からハンカチを取り出し、それを彼女に手渡す。レナードの行動に面食らったせいか婦人は泣き止んだ。
「彼の事は貴女が気に病むことではありませんよ……あれは事故です。貴女だって怖い思いをしたでしょうに、優しいのですね。現場周辺にはしばらく兵を常駐させますし、見回りも強化するそうです。もう怪物に襲われるようなことは起こりません。ですから安心して下さい」
「はっ、はい……!! あの……えっと、ありがとうございます。これ洗ってお返しします」
「いいんですよ、そのハンカチは差し上げます。それより涙が止まって良かった」
婦人の顔はもう茹で蛸のようになっていた。一緒にいる旦那さんが居た堪れない。ルイスの方は天然だろうが、こいつはこういう事を打算でやる奴だ。レナードの作り笑顔を俺が冷ややかな目で見ていると、隣にいたクレール隊長が見かねて乱入する。
「既婚者に手を出すな。このスケコマシがっ!!」
スケコマシて……。クラヴェル兄弟も男の……グレッグについて調べようとしているのだな。それはいいとして……レオン様がいない今、面倒な問題を起こす前に俺がこの兄弟をしっかりと監視しておく必要がありそうだ。
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