冬の朝特有の冷たい空気に頬を撫でられ、私は目を覚ました。昨日、どうやって帰ったんだっけ…。なんだかよく眠れた。いつもの布団よりも心なしかふわふわで、柑橘系の良い匂いがする。ずっとここで眠っていたい。そう思い、私はもう一度目を閉じた。
また目を覚まし、周囲を見回す。まだ私は夢の中にいるのだろうか。心臓がどくどくと音を立てている。
ーここは私の部屋じゃない。
そう気付いてしまうと、凄まじい焦燥感が私を襲った。ここはどこ?とにかくベッドから出ると、シンプルな家具とインスタント麺が目に入った。椅子には私のリュックが置いてあった。本当に知らない場所。頬をつねると当たり前のように痛かった。もしかして、と嫌な予感がよぎる。
ーー誘拐?
ぞわっと全身の肌が粟立つのを感じた。誘拐だとしたら、私殺されちゃうんじゃ…。いや、誘拐犯って、こんなに良い匂いがする布団で眠らせてくれるのだろうか?優しい誘拐犯なのかな…。今の生活を思い浮かべ、ならいっそ誘拐されても良いと思った。
まずは部屋を探索しようと思いベッドから出ると、ローテーブルに足の小指をぶつけた。ガンッという大きな音の割には痛くなかったが、少し小指がジンジンする。負傷した小指をさすりながら、ふと風に靡くカーテンを見ると、煙草を吸っている男の人を見つけてしまった。
動悸がする。「…!」驚いて固まっていると音に反応した男の人がこちらを向いた。彼のサングラス越しのつり目と私の目が合う。もう逃げられない、と覚悟を決めていると、彼は言葉を発した。「ああ、おはよう」彼の声は思っていたよりもずっと優しくて、優しい光に包まれているような気分になった。その一言で強張った体が解けてきたが、やっぱり声は出なかった。
「足、大丈夫…?」彼は私の足を見て言う。「はい…」やっと出た声は驚くほどに情けなく、自分でも恥ずかしくなった。再び黙り込むと、彼はまた話し始めた。「びっくりしたよね、ごめんね。昨日君とぶつかったんだけど、覚えてる?」ぼんやりと昨日のことを思い出す。「なんとなく…」それがやっとの返事だった。「そっか。昨日ぶつかった後に君が倒れて道端で眠っちゃったから、とりあえず僕の家に連れて帰ったんだ。怖いよね。大丈夫、何もしないから。 」「えっ」私は命の恩人を誘拐犯呼ばわりしていたのか、と申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「本当にごめんなさい。私…」拍子に、ピーーという音が台所から鳴った。お湯が沸いたのだろうか。「あ、お湯沸いた。」当たっていた。「ごめん、火止めてくるね。」と言い、彼は煙草を持ったまま台所へと消えた。
驚きと困惑で立ち尽くしていた私はどうすることもできず、彼がインスタント麺の蓋を開け、やかんから湯気の出ている液体を注ぐまで微動だにしなかったが、いかにも体に悪そうなラーメンの良い香りと、彼の「座っていいよ」という一言でやっと動くことができた。
驚いている私とは裏腹に、彼は普通すぎるほどにリラックスしていた。それが可笑しく思えてきて、私はやっと緊張を解けた。
ぐぅー…という低い音が部屋を駆け回る。この音は私のお腹から鳴っていた。あまりにも大きな腹の虫に赤面していると、彼は「お腹空いてるよね、食べる?」と言ってくれた。でもそうすると、この人の分が無くなってしまう。「大丈夫です。」凛々しく答えたつもりだったが、同時に腹の虫も鳴ってしまった。私の気持ちを汲み取ったのか、彼は、「僕今あんまりお腹空いてないんだよね」と笑った。「無理やり毎日食べてるんだ。」そんなわけ無いと分かっていたけれど、私のお腹は正直で、彼のインスタント麺を貰うことにした。
「いただきまーす…」彼は、ちょっと一服、とまたベランダに行った。誰にも向けていない挨拶をして、割り箸で温かいラーメンを啜った。美味しい。あったかい。インスタントのはずなのに、彼の気遣いを感じて、とても愛情深い味がするような気がした。
インスタント麺を食べ終えると時刻は6時半を回り、私は彼の家からおいとました。
もう2度と彼とは会わないと思っていた。
だかその1週間後、彼との再会を果たすのである。
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