小説書くのに必要なのって言い訳をする力だと思う。
なぜかと言うと山田太郎が何かをした時に、なんで?って聞かれてもその理由を説明しなければいけないから。
逆に言うと一々説明する必要は無くて、性格から読み取れる思考のパターンに当てはまっている場合は説明は要らない
例えば、せっかちな人が焦って居るのはせっかちだからで理由がつくけど
性格が説明されて居ない人が焦るとなんで焦ってるの?って話になる
言動に限らず、その人の思考パターンが作られたかも理由を説明する必要がある
ただ、共感させたいのだったらその思考パターンにあった重さの理由を作る必要がある
仮にa.b.cが人を殺したとしましょう。そして皆悪びれてません
じゃあ、なんで殺したかと疑問に思うわけです
aは自分に逆らったから
これは自己中心的な考えで、尚且つ圧倒的に理由が軽いので読者のヘイトと言うのがaに向かいます
要は行為をする上で許される理由のハードルを大きく下回る事で共感し辛くなります
共感が少なかったら読者が感情移入することもできませんからね
bは顔を一回殴られたから
これは自分自身に危害が加わっているので共感し易くなりました
ただ、其処までする必要はなかったんじゃ無いか。と言うレベルに留めておくことであくまでも人を殺したと言う罪は拭えません
cは家族を殺されて自身も殺され掛けたから
これは同情の方が強いですね。
相手側にも殺される理由を付ける事で印象が変わりますから
コメント
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むっっっっず!がんばろ!!!!!(白目)ありがとう!!!!!