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午後4時を回り、わずかに傾き始めた太陽を恨めしそうに眺めると、由樹は窓の外を見つめた。
下松祭りは3時半までだ。
その帰りに寄る客はいないだろうかと期待したが、土曜日と違って日曜日の夕方は客足がガクッと落ちる。
ホワイトボードを見つめる。まだ自分まで3人もいる。
「…………」
(アポを取るどころか、接客さえできないなんて)
ちらりと紫雨を盗み見る。首を回しながらディスプレイを見つめている。
欠伸を噛み殺すように口を覆ったかと思うと、その唇から赤い舌が覗いた。
ぞくりと悪寒が走り、慌てて目を離した。
(くっそ。この人、“罰ゲーム”って何するか分かんねぇよ……)
目の前に座っている秋山を見るが、
「ええ。はい。それではカタログ解禁は9月1日からで。わかりました。とりあえず展示場ずつ100部送ってください」
イヤホンをして、本部とWEB会議をしている真っ最中だ。
ふと紫雨とは反対側の窓を見る。
曇りガラスの向こう側に、やけに背が高い影が映る。
アッシュグレーの髪の毛……。
(篠崎さん?!)
由樹は立ち上がると、大急ぎで靴を履き始めた。
「どこ行くの」
紫雨が窓際から声を掛ける。
「便所です!」
「客いねえんだから、展示場の使えば?」
「ウンコです!!」
言うなり由樹は事務所から飛び出した。
スタスタと中庭に向けて歩いていく後ろ姿を必死に追いかける。
(……篠崎さん…!!)
大声を出してしまっては紫雨に気づかれるかもしれない。
はやる気持ちを抑えながら、彼を追いかけた。
篠崎は、中庭に行くと、その中心にある池の前でしゃがみ込んだ。
やっとのことで追いつく。
その広い背中に抱きつきたくなる。
「篠崎マネージャー」
出来るだけ落ち着いた声で言うと、彼は西日が眩しそうに振り返った。
「おお、新谷。さすが今日はこっちにも客はいねぇな」
言うと、また視線を池に戻し、何やら覗き込んでいる。
「……何をしているんですか?」
由樹は篠崎の隣に並んでしゃがみ込んだ。
「おたまじゃくし……?」
「そ」言うと篠崎はふっと笑った。
「昔はどこでも見たような気がするけどなぁ?俺の客の子供、見たことないっていうからよ。天賀谷の外壁見せるついでにこっちも見せてやろうかと思って」
言いながら、視線は池の中を縦横無尽に泳ぎ回るおたまじゃくしを眺めて微笑んでいる。
(……篠崎さん…俺、今日もアポ、とれなそうです)
思わず弱音が零れそうになる。
(アポ取れなかったら……俺、紫雨リーダーに何をされるか……)
目に涙が溜まってくる。
(篠崎さん………)
唇を噛む。
(…………助けて………!)
篠崎は急に黙った新谷を振り返った。
だが……。
そこにはなんだかこの2週間で急に少し大人びた彼が、静かに微笑んでいた。
「……俺も、おたまじゃくしとか見るの、めちゃくちゃ久しぶりです」
歯を見せて笑っている。
(なんだ)
篠崎は安堵のため息をついた。
(外壁打ち合わせにかこつけて、新谷が紫雨にいじめられたり、怒られてしょげたりしてないか、気になって見に来たが、大丈夫みたいだな)
と展示場の和室の窓が開いた。
「……新谷君?バッター順、回ってきたよ」
紫雨が薄ら笑いを浮かべた顔を出した。
「展示場スタンバイね」
言われた新谷は慌てて立ち上がると、
「はい!」といって、事務所の駆け戻っていった。
「……打ち合わせですか?篠崎さん」
紫雨は少し馬鹿にしたように、首を傾げた。
「時庭展示場にも外壁のクソ重たいサンプルがあると思いますが」
挑発するように言ってくる。
「あんなタイル6枚くらいじゃ雰囲気は伝わらない。1棟単位で見せないと」
言うと、紫雨は感心したように頷いた。
「さすが!県内ナンバーワンの売り上げを誇る営業課長は、言うことが違いますね。俺も見習って外壁サンプルなんて今日中に捨てて使わないことにします」
言いながらにっこり笑っている。
(こいつ………食えない奴…)
「ところで。外壁の相談なんて一瞬で終わるでしょう?」
紫雨は大きい目をさらに見開いた。
「一緒に見てみませんか?彼の接客……」
篠崎は立ち上がった。
「新谷の、か?」
「ええ。他に誰がいます?」
紫雨は口の端を引き上げた。
「彼の接客を見てのあなたの見解が聞きたい。今後の参考にしたいんで」
言った後に紫雨は意味深に付け足した。
「指導者は、2人も要らないでしょう?」