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世界には、もうアンパンマンはいなかった。
カビと腐敗にまみれ、虫と鳥たちに荒らされた亡骸は、土へと還った。
誰もその死を悼む者はいない。
そして、世界は静かに回り続ける――。
ばいきんまんは、工場跡地に立っていた。
そこには、かつての影はなかった。
崩れた屋根、朽ちた壁。
中に足を踏み入れると、調理器具や、パンくずが転がっている。
「……じじいも、いねぇのか」
静寂が支配する工場内を見渡しながら、ばいきんまんは笑った。
「へっ……俺の勝ちってわけか」
アンパンマンとの長きにわたる戦い。
何度やられても、立ち上がった。顔を交換され、蘇った。
しかし――ジャムおじさんがいなくなり、顔を替えることができなくなった。
やがて腐り果て、ヒーローは崩れ落ちて死んだ。
「……俺が殺したわけじゃねぇんだよな」
ばいきんまんは、静かに呟いた。
憎んだ敵がいなくなったというのに、胸の中には、何の達成感もなかった。
「アンパンマン、オメェがいねぇと……つまんねぇじゃねぇかよ」
ふと、目の前のテーブルに、埃まみれの写真が落ちていた。
拾い上げると、そこにはかつての人たちが映っていた。
アンパンマン、カレーパンマン、しょくぱんまん、ドキンちゃん、ジャムおじさん、バタコさん――
かつて、世界には笑顔と、温かい日々があった。全てが なくなってしまった。
ばいきんまんは工場を出た。
見上げると、空には薄暗い雲が広がっていた。
かつては、アンパンマンを倒すことだけを考えていた。
でも、今は――
「……やることが、ねぇ」
彼はポケットから、古びたバッジを取り出した。
それは、彼が奪い取ったものだった。
アンパンマンが傷ついても、最後まで握りしめていたバッジ。
ばいきんまんは、それを見つめたあと、苦笑しながら、力なく地面に落とした。
「……なんでだろうな。オレ、勝ったのに……」
風が吹く。ぽつり、ぽつりと、雨が降り始めた。
ばいきんまんは歩き出した。
向かうあてもなく、ただ、雨に打たれながら。
「またな、アンパンマン」
小さく呟き、彼の姿は霧の向こうへ消えていった。
そして――世界には、もう何のヒーローも、悪役も、いなくなった。