4月。桜が舞う登校路を、生徒たちがそれぞれの足取りで通っていく。
その中に、ひとりの少女がいた。黒髪ロングを風に揺らし、背筋をぴんと伸ばした姿はまるで誰もが触れられない硝子細工のよう。神坂冬華。大企業・神坂グループの令嬢にして、学業優秀、非の打ち所のない美貌。今日から稲荷崎高校の二年生に編入してきた。
登校初日、彼女の存在は瞬く間に校内の話題となった。
「マジであの神坂グループの娘らしいで…」「やば、美人すぎん?」「目合っただけで死ぬかと思った…」
騒がれる中、本人は一切表情を変えることなく教室へと歩を進める。
「神坂冬華です。よろしくお願いします」
それだけを短く述べ、軽く頭を下げると、そのまま空いていた一番後ろの席に座った。教師の紹介を受けていても、彼女の瞳は窓の外を見つめていた。
──誰にも、何も、期待していない。
そんな心の声を押し殺すように、静かに授業は始まる。
そして、休み時間。ざわつく教室内に、空気を読まず近づいてくる男子生徒がひとり。
「おーい、神坂やんな? 今日から? なーにが好きなん?」
突然の距離感ゼロ。隣の席から覗き込むように話しかけてきたその男子は、明るい金髪といたずらっぽい笑顔が印象的だった。
「…………は?」
「え、いや、自己紹介の続き? てか、めっちゃ綺麗やな。モデルとかしたことあるん?」
冬華は思わずため息をついた。軽く睨むように目線を送る。
「話しかけないで。うるさい」
「ええ〜、そんなん言わんと。あ、俺は──」
「興味ない」
彼の言葉を遮り、ばっさり切り捨てる。教室が一瞬しん…と静まった。
だがその男子はめげなかった。
「まーた冷た!でも、そゆとこもおもろいわ。これからよろしゅうな、神坂ちゃん」
にっこり笑って、悪びれもせず席に戻っていく。
(……なんなん)
その笑顔が、少しだけ胸の奥に引っかかった。
放課後。車で迎えに来たメイド・桜木美咲の元へ、無言で歩み寄る冬華。
「お疲れ様です、お嬢様。今日はいかがでしたか?」
「……うるさいのがひとり。最悪」
「ふふ、でも誰かと話せたんですね。少し、安心しました」
「話してない。あれは向こうが勝手に喋ってただけ」
ツインテールの美咲は優しく微笑みながらも、ほんの少しだけ目を細める。
「でも、きっとお嬢様の本当の声に気づける人が現れたのかもしれませんね」
「……は?」
その言葉に、冬華はふと黙り込んだ。
──響く声と、届かぬ心。
その距離が、今日、わずかに縮まった。
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