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トルデシリャス条約とはキリスト紀元1494年6月7日にエスパーニャ帝国とプルトゥガル王国の間で結ばれた条約で、両国の間で引かれた海外支配領域分界線のことである。
奴隷商人クリストファー・コロンブスが新大陸に到達したことによって、その地の支配をめぐって大航海時代におけるヨーロッパの二大強国であるエスパーニャ帝国とプルトゥガル王国の対立が激化することが懸念された為、ローマ教皇アレクサンデル六世が調停に出た。
アレクサンデル六世は1493年に北アフリカの西の沖合で大西洋の中央を通過する子午線、いわゆる教皇子午線を境界にして、それより西側の島と陸地は全てエスパーニャ帝国のものとする勅書を出した。
しかしそれは元々エスパーニャの出身であったアレクサンデル六世が自国の利益を図った不平等なものだとプルトゥガル王国が反発し、エスパーニャ帝国と直接交渉、教皇子午線をさらに西側に移動させることで合意した。
つまりエスパーニャ帝国とプルトゥガル王国で全世界を二分割して支配しようという条約がトルデシリャス条約なのである。
この条約にもとずいて両国は海外進出、ようするに侵略戦争と植民地支配に狂奔することになる。
これがデマルカシオン体制、つまり世界領土分割体制であった。
「……」
ルイスフロイスは苦悩の表情を浮かべていた。ヴァリニャーノが言ったように、九州にいるプルトゥガル人の宣教師や商人達は完全に長崎と茂木を自分たちの領土だと確信し、返還せねばならないなどとは夢にも考えないだろう。
何故ならこの地上は唯一絶対のデウスが白い肌のヨーロッパ人の為に創造されたのであり、現在その所有権は我らプルトゥガル人とエスパーニャ人にあるのだから。
偉大なるデウスの存在を知らずに悪魔や邪神を崇める哀れな異教徒、劣った存在であるアジア人やアフリカ人、新大陸の原住民は我らに土地を譲り、我らの支配を受け、キリストの教えに導かれて偶像崇拝、多神教信仰によって汚れた魂を清めなければならない。
そう信じて疑わないだろう。ルイスフロイス自身もそうだったから。
ノブナガという偉大な英雄、恐るべき王と出会うまでは。
「ですが、何としても返上するよう説かねばなりません」
フロイスがその白い面を朱に染めながら断固とした口調で言った。
普段は冷笑癖を有し、常に余裕のある態度を取るフロイスらしからぬ態度の為、他の二人の宣教師は意外に思った。
やはり最もノブナガと多く時間を過ごしただけあって、その恐ろしさが身に染みているのだろう。
「まあ、商人達は欲深く、利益を第一に考えている。ノブナガ殿の軍勢の精強さ、特に所有する銃の大量さを知れば、これまで征服した地と訳が違うことを悟って返上もやむを得ないと考えるかも知れません。しかし……」
「まだ問題が?」
オルガンティノは不安気に聞いた。稀有な程の高い知性を持ち、何事にも思慮深く対応するヴァリニャーノの予想はよく当たる。オルガンティノは緊張が解けることはなかった。
「はい。一番の不安材料は他ならぬドン・パルトロメオ殿、大村純忠殿やも知れません。御二方も知っていますでしょうが、大村殿はかなり熱烈なカトリック教徒です。そのことは本来喜ばしいことですが、彼は自身の領地の民をカトリックに改宗させる為にかなり「強引」な方法を取っているのです」
「……」
オルガンティノとフロイスは思わず息をのんだ。
「さらにはプルトゥガル商人から鉄砲、それを撃つ為に必要な硝薬を手に入れる為に引き換えとしてカトリックへの改宗を拒んだ領民を……」
「ま、待ってください。まだそのようなことが行われているのですか?今から十年前にその非道さを知った宣教師が進言して我らがプルトゥガル王ドン・セバスチャン陛下が禁止令を発したはずです」
熱烈な愛国者でもあるフロイスが己達の王を誇るように言ったが、ヴァリニャーノは苦い顔で首を横に振った。
「強欲な商人共には禁止令など通じませんよ。彼らはジャポネーゼ、日本人達が武具欲しさに売りつけてきたのだから買っただけだ。それの何が悪いのだと開き直っている始末です」
「何てことだ……」
フロイスは言葉を失い、凍り付いたように微動だにしなくなった。
「こ、これは非常にまずい。こんなことを知ったら、間違いなくノブナガ殿は激高するでしょう。長崎、茂木の地が比叡山の二の舞になってしまう。我らイエズス会を腐敗堕落した坊主どもと同類だと決めつけ、改宗したジャポネーゼ信徒達もろとも皆殺しにされるやも知れません……」
オルガンティノとフロイスは伝え聞くユリウス暦1571年9月30日にノブナガの厳命によって行われたという惨劇を思い起こさずにはいられなかった。
「叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉くかちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員を知れず召捕り」
とノブナガに仕えていた太田牛一は記し、この戦いで約千五百人もの死者が出たとフロイスは記録に残している。
この話を聞いた時、オルガンティノもフロイスも、巻き添えになり犠牲となった民間人、女子供には同情し、痛々しく思ったものの、僧侶と灰燼となった仏教施設に対しては小気味よく思ったというのが本音であった。
「腐敗堕落した異教の坊主どもめ。真の神に背き、悪行の限りを尽くした天罰である」
と喝采を上げ、ノブナガこそがこの国をキリスト教カトリックの王国に造り上げる為デウスが地上に遣わした真の英雄であろうと期待したものだった。