コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夢の中に届いたのは、聞き逃すことのできない、頭の中に直接響くような音だった。
その音に引き摺られたように目を開けると、すぐ傍で同じように眠っていた筈の端正な顔が蒼白を通り越した白になっていて、その口から音が流れ出していた。
歯の根が合わない音を患者の診察以外では聞いたことがなく、まず最初に考えたのは、クーラーが効きすぎていて寒いのかということだったが、歯がカチカチと鳴らされる合間から聞こえてきた声は寒さを訴えるものではないと気付き、一瞬で目を覚ましてベッドに起き上がり名前を呼びつつ肩を揺らすと、目が見開かれた後、胸を鷲掴みにされたような痛みを覚えさせる声がか細く流れ出す。
その声に眉を寄せて肩に両手を乗せると、まるで別世界にいた意識が現実に戻ってきたかのように瞬きが一つされるが、その直後、いつもの彼からは想像もつかない高い悲鳴じみた声が流れ出す。
「・・・怖い」
震える高い声が呟いたのはドイツ語で、恋人の顔を覗き込みながらどうしたと問えば、幼い子供が嫌だと言葉ではなく態度で示すように頭が左右に激しく振られる。
「ケイ? どうした?」
「・・・」
何が怖いのか教えてくれとドイツ語で返しながら血の気が失せた頬に手を移動させると、先程まで手を置いていた肩がびくりと揺れる。
「あ・・・っ・・・!」
「ケイ!」
己の手が何か強い刺激を与えた事に気づき、強めに名前を呼んで目を覗き込むと、手を振り払って頭を抱え込んで身体を小さく丸め、悲鳴としか思えない声がそこから響く。
「ケイ!」
もう一度強く名を呼び顔を上げさせたものの、この世の終わりを見つめているような顔で見つめ返されて絶句してしまう。
何故そんな顔をすると唇を噛み締めるが、それでは何にもならない、ここにいる意味がないと腹を括りもう一度頬を両手で包むと、そっと額に額をぶつけて目を閉じる。
「どうした? 怖い夢を見たのか?」
子ども扱いするなと落ち着いた時に叱られそうだったが、それでも今のような顔を見せられてしまえば、庇護を求める子供を前にした時と同じ態度になってしまい、内心反省するものの今はそれよりも目の前で恐怖に震えている恋人の心に平穏を取り戻させたかった。
だから辛抱強くどうしたと問いかけ目を覗き込んでいると、徐々に異常なほど見開かれていた目がいつもの色を取り戻し始める。
「・・・夢、・・・? な、の・・・?」
自分の目が映し出す光景が夢か現実か判断出来ていない顔で呟く目を覗き込み、うんと頷くと信じられないと言いたげに頭が左右に振られる。
「ウソだ」
「嘘じゃない」
「だって、今、君が話しているのも、ぼくの頭が見せているもの、でしょ?」
目の前でこうして話している君も本当は僕の頭が見せている幻なのだろうと総てを諦めたような顔で笑われてしまい、胸の軋みをこらえるために奥歯を噛み締める。
恋人の幼い頃の家庭環境を聞きかじっていたが、今の言葉が当時の彼の中では総ての事象を解決する為のものだったと気付き、今はそうじゃないとゆっくりと首を左右に振る。
望んだものなど何一つ手に入らない、諦めることでしか生きられない、そんな時間はもう過去のもので、今はそうではない事を思い出してほしい一心で額に口付けると驚いたように息を飲む音が聞こえてくる。
付き合いだしてから何度もこうしてスキンシップを取ってきたことを思い出せと強く願いつつ、嘘じゃないし夢じゃないと優しく否定をすると、信じられないという悲しい声が返ってくる。
「…うん。でも信じてくれ」
お前が幼い頃一人で過ごしていた部屋に置かれていたらしいぬいぐるみなどは話しかけようがハグしようが何も返してくれなかっただろうが、今はそうじゃないともう一度額を重ねて優しく語り掛けると、震える腕が素肌の背中に回される。
そのおずおずとした手の動きも悲しかったが、今は信じてもらえたことに安堵して同じように背中を抱きしめると、何かを堪えるような音が喉の辺りから聞こえてきて思わず顔を覗き込む。
「……見るな」
不明瞭ながらもしっかりとした声に思わず安堵の溜息を零すと、素肌の肩にすり寄るように顔を寄せた後、勢いよくベッドを飛び出してバスルームのドアを開けて中に飛び込んでいく。
その背中を少し呆然と見送るが、きっと完全に目が覚めていつもの彼に戻った途端羞恥を覚えたのだろうと気付き、ベッドヘッドに枕を立てかけて背中を預ける。
程なくして戻ってきたときには何故かバスローブのフードを目深に被っていて、ああ、顔を見られたくないんだなと微苦笑し、見ないからそれを脱いでこっちに来いとベッドをぽんと叩くと、同じ場所にフードを被ったまま入ってくる。
「…夢を、みた」
「そうか」
忌々しい、二度と見たくないがどうしても見てしまう夢だったと、気恥ずかしさを感じつつも人の温もりが欲しいのか、腕と腕を触れ合わせてきたため、よいしょと掛け声一つで痩躯をベッドに押し倒し、驚く顔を見つめながら己もそばに横臥する。
「いつも言ってるけど、いい夢も悪い夢も続きを見ることは出来ない」
だからさっきの夢はもう今夜は見ないから安心して寝ろと笑って再度額にキスをすると、今度はさっきのような驚きではなく安堵の吐息がシーツの上に落ちる。
「…うん」
「おやすみ、ケイ」
お休みのキスを額、鼻の頭、頬、血の気が少し無くなっている唇にすると、ようやく小さな小さな笑みがそこに浮かぶ。
「…ダンケ、リアム」
「どういたしまして」
お前はいつも俺が欲しいものをくれる、本当に奇跡のような男だと小さな声で褒められてしまい、ただ驚きに目を丸くしてしまうが、悪夢への対処で体力を奪われていた恋人はそれに気づかなかったようで、そのまま目を閉じてしまう。
程なくして穏やかな寝息が聞こえ、それを聞いて安心してそっとフードをずらしてやると、お互い素肌の肩が冷えるといけないため、掛け布団を引っ張り上げて同じように目を閉じるのだった。