「……にわかには信じ難い話なのだよ。この事は私以外に話したかね?」
俺が転生者である事をネビウスさんに伝えると、片腕で肘を支え、考えるような姿勢を
取った。
無理もない。こんな話を仮に前世でされたら、大笑いが発生するだろう。
或いは証拠を出せ、嘘をつくなと怒り出す奴もいるかもしれない。
「いいえ。ネビウスさんが初めてです。話をしても笑ったり、おかしいと思ったりしない
人だけに話すべきだと思いました」
「それはいい判断なのだよ。全く。実に面白い日となったようだ。今はその話、心のうち
に留めて置くとするのだよ。何せ私はまだ君の事を良く知らない。マールが連れて来たの
だ。犯罪者や出来の悪そうな者で無い事は確かだろう」
「出来の良しあしですか?」
「君はマールと会った時、既に竜を連れていたのだろう? 育てる者に値しないと判断し
たのであれば、マールは君を引っぱたいてでも止めて、竜のみをある場所へ連れて行った
であろうからね。君は合格だったという事なのだよ」
「そう……ですか」
と、ネビウスさんと話をしていたら、玄関の扉が勢いよく開いた。
部屋に入って来たのはマシェリさんだ。力が有り余っているのかな。
「マール。扉はもっと静かに開けるのだよ」
「両手が塞がっていてね。ほら、お腹空いたろ? ここへ来る途中で胃を空っぽにしてき
たんだから」
「これは……パン? 有難うございます! うわぁ……この世界に来てまともなパンが食
べれるなんて……」
「それはパンという食べ物では無い。ガレットという物なのだよ」
「オードレートにも似たような食べ物があるのか?」
「う……そんな所です。そうか……ガレット……ガッシュみたいな名前だけど、硬さが全
然違うなぁ。そう言えば……僕、オードレートの食前に行う祈りの言葉はわかるんですけ
ど、この国では食べる時に、何か唱えたりしないんですか?」
「そのまま標準語で唱えてみたらどうだ? 私は何も言わずに食べるぞ」
そうなのか。祈りの言葉を思い出す。母さんに教えてもらった言葉だ。
この世界に来て初めて胸が躍った思い出の言葉。忘れないためにもずっと続けよう。
「そうですね……それじゃ。天と地を育む大いなるラギ・アルデ。実りある食事の提供に
感謝を込め、祈りを捧げます」
手を合わせ、祈りを捧げてからガレットというパンそっくりな食べ物を手に取って食べ
てみる。
前世だと、ガレットって確か……お菓子に使われるような意味合いの言葉だったかな。
少し紛らわしい感じはする。
これはお菓子じゃ無い。
でも……小麦に何か練り込んだような味だ。
これだけで食べても美味しい。
あっという間に平らげてしまった。
「……竜と人を育む大気の神、ラル・ゾナス。ラギ・アルデより賜りし力を我に与えたま
え」
祈りの言葉を特に不思議そうな顔もせず見届けるマシェリさんたち。
エストマージにも、オードレート出身の人っているのだろうか?
「もう仕事の報告は終わったのかね?」
「終わらせてきたよ。お金は数えたら全部で金貨十枚だった」
「他所の町で仕事したのに、やっぱり少ない金額ですね……」
「水質調査が金貨六枚。ロブゥの皮が金貨一枚。もう一つの仕事が金貨三枚」
「わかりました。金額、書いて計算しておきますから」
「ふうむ。マールの財布を管理してくれるのか。それなら金貨五枚は引いて
おいて欲しいのだよ」
「……借金ですか!?」
「そうなのだよ」
「はい。ありがと師匠」
……ということは、仕事報告して金貨五枚しか増えていない。
マシェリさんの手持ちは、合計金貨六枚、銀貨六枚だ。
これじゃきっと、節約しても数十日しか生活出来ないよ。
「マシェリさん。僕、決めた事があるんです」
「なんだい? 改まって」
「しばらくこの都で働こうと思います。それと、ネビウスさんを先生と仰ぎ、ラギ・アルデ
の力を教わるつもりです」
「そうか。いい判断だ。出発は何時頃か考えているのか?」
「三年後……僕が十歳になってからです。それまで僕の出発、待ってもらえますか?」
「ああ。ファウを送り届ける。そう決めたらやり通す。そうでなければ冒険者失格だ」
「マシェリさん……」
「私も教えるのは構わないのだよ。だが、私も毎日暇をしているわけではない。仕事はする
のだろう?」
「はい。キュルルにも僕にもお金が必要です。マシェリさんへの借金もありますから……あ
れ? キュルル?」
「キュルルー……」
どうしたんだろう。少し元気が無いようだったけど、さっきより全く元気が無い。
もしかして……もう熱が!?
だって、まだ二日あるはずなのに……そんな!
どうしよう。あの本が間違っていた? ……いや、自分自身正確に測っていたつもり
だった。
けれど、この世界には時計や日付を表すものをまだ見ていない。
もしかしたら自分が寝て起きたのが、一日だったって限らないんだ。
どうしよう……もう一つの必要な物についてこれから急いで調べようとしていたのに!
「すみませんネビウスさん。部屋をお借りします!」
「ああ。この部屋を出て奥。突き当りの右の部屋を使って構わないのだよ。ただし、掃除
をしていない。竜を連れて行く前に掃除をせねばならんのだよ」
「はい。キュルルを少し、お願い出来ますか?」
「ああ。引き受けたのだよ」
急いで言われた部屋まで向かい、扉を開ける。
そこら中埃を被ってる。掃除をしないと……はたく物は……布しかない。
「ガルンウィド」
突如後ろから声がして、周囲に吹き抜ける風が流れ出す。
振り返るとマシェリさんが手を差し出して、正面にわずかな風を起こしていた。
急いで木の板を外し外へ埃を出す。
風を操るラギ・アルデの力なんてあったんだ。
初めて見た……あれは俺にも使えるのかな。
でも、今はそれどころじゃ無いんだった。
――次々に埃を払ってくれるマシェリさんと一緒に、どうにか一通り掃除を終えた。
「はぁ……はぁ……有難うございます。マシェリさん」
「気にするな。師匠、連れて来てくれないか」
「わかった。今行くのだよ」
この部屋には小さい箱があったので、それをベッドの上に置いてあった布を敷い
て、ぐったりしたキュルルをその中に入れてもらう。
その横の箱には、お母さんの形見である牙や骨、角をしまった。
これを、手放さなければいけないかもしれない。
でも、これはキュルルのお母さんの形見だ。
まずは……交渉するのが先。
道具も必要だし……時間が、足りないかもしれない。
「あの。葉っぱを煎じるような、すり潰すような道具はありませんか?」
「どんな物か、調べないとよくわからないのだよ。どういったものだ?」
「店に行ってみるか?」
……こんなんじゃダメだ。頼ってばかりじゃないか。
自分の力でキュルルを守らないといけない。
マシェリさんばかり頼るな!
体を動かせ!
自分の足でどうにかするんだ!
「マシェリさん。どうしようもなかったその時はお願いします。
僕……行ってきます! キュルルを少しの間だけ、見ていてください!」
「ファウ!? 待っ……」
「行かせてやるのだよ。あの子は、きっと大丈夫だ」
「でも師匠。この町に来たばかりで何も……」
「彼が部屋に置いていった、このラギ皮紙を見てみるのだよ。驚いた。どんな計算方法な
のだよ、これは」
そこには既に自分が借りていた金額とマシェリの所持金を計算式に当てはめた記号が書
かれており、更に、キュルルの治療に必要となる物や、竜の事、学びたい事、この町で行
う事をびっしりと書き写していた文字があった。
「あの子は七歳。だが、大人以上の知能を持っているのだよ」
「ファウ……」
「これは、どうやら君の最速登録記録を更新する者が現れたようだね」
「師匠!? まさかファウに冒険者試験を受けさせるつもり?」
「そうなのだよ。目標は九歳。彼ならいけると、信じているのだよ」
「たった二年教えるだけで、冒険者になれる……そう師匠は感じたんだね」
「もっと早いかもしれない。だが、あの行動を見る限り、まずはエストマージに……い
や、この世界になれる必要がある。そう感じたのだよ」
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