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年が明けて、新年会を開くのは、我が支店の定例行事の一つだ。この支店の新規立ち上げの時に、私は久美子と一緒に採用されたのだが、それから毎年にように行われている。
ちなみに、今回の幹事役は大宮に決まったらしい。地元民の久美子や戸田に、おすすめの店などを相談していた。
私の本心は、大木のことがあるから参加したくなどなかったが、そういうわけにもいかないだろうと諦めていた。
当日は皆が全員早めに仕事を切り上げて、いつもはあちこち飛び回っている支店長も、帰りが遅い営業職たちも、次々と会社に戻ってきていた。
店までは適当にタクシーに分乗して行くことになった。私たち女性組は三人まとまって、男性組より先に会社を出た。
タクシーの中で、ドライバーの耳を気にしながら久美子が小声で言う。
「今日の飲み会、みんないるから大丈夫だとは思うけど、あの人には気をつけなさいよ」
あの人というのは、もちろん課長の大木のことだ。
「さすがに支店長もいるし、大丈夫でしょ」
不安は皆無ではないが、いくら大木でも支店長がいる場では大人しくしているだろう。
「そうだといいんだけど……」
眉をひそめる久美子に私は言った。
「できるだけ久美子たちといるわよ。大宮さんとか、他の人もいるし、きっと大丈夫。心配してくれてありがとね」
「ん……。でもそうね。万が一何か仕掛けてきたら、支店長もいるわけだから、ある意味チャンスかもしれないし」
「なるほどね……」
そんなことはないに越したことはないが、そういう考え方もあったかと変に感心してしまった。
前方に目的の店が見えてきたと思った時、助手席に座っていた戸田が振り返った。
「着きましたね。行きましょうか」
そう言ってから、私を励ますように拳を握ってみせた。
「私もいますから、大丈夫ですよ!」
「ありがと」
三人揃って店に入ると、奥の座敷席に案内された。
通路を歩きながら、私は久美子の背中に向かって言った。
「ここ、初めて来るわ。久美子はよく来るの?」
「よくってわけじゃないけど、旦那がここ好きでね。それに、実は結構有名なのよ。美味しくて安いって」
「私も今回、久美子さんから聞いて初めて知ったんです。今度彼と来てみようかな」
そんな雑談を交わしながら部屋に上がった私たちは、出入口近くの席に座って男性組の到着を待った。
やや遅れて、支店長を先頭に男性組がやって来た。
「お疲れ様です」
頭を下げる私たちに、支店長はにこやかな笑顔を向けた。
「君たちと飲むのも久しぶりだね。席にいないことが多くて申し訳ない」
「いえ、そんな……」
幹事の大宮が、支店長と課長の大木を上座の席に促す。
「お二人は前の方にどうぞ。あとの皆さんは、ご自由にお好きな席へお願いします」
それを合図に皆が適当に席につく。すると計ったようなタイミングで店のスタッフがやって来て、テーブルに瓶ビールとウーロン茶、料理などを並べて行った。
「まずはビールとウーロン茶で乾杯ってことでお願いします。飲み放題で予約したんで、後で適当に飲みたい物、注文入れてください。皆さん、グラスは手元にありますか?――それでは支店長、音頭、よろしくお願いします」
こうして、大宮の流れるような仕切りで新年会は始まった。
私は久美子と戸田の近くにいたこともあって、身構えていたような「悪いこと」が起きそうな気配はなかった。
上座ということで大木は支店長の傍にいたし、二人の前には主任をはじめとして、他の営業職たちが入れ代わり立ち代わり、酒を注ぎに行っている。
私の隣に座る久美子が、サワーを飲みながらしみじみと言う。
「うちの職場って、お酌文化がないのがいいわよね。ゆっくり飲めるわ」
「確かにね。それどころか……」
その先を言う前に、支店長がビール瓶を片手に私たちの所へやってきた。
ここでは支店長が自らこんな風に、部下たちに酌をして回ったりするのだ。最初は抵抗があったが、ご本人が気にするなというものだから、今ではそんなものかと受け入れてしまっている。それは多分に支店長のお人柄もあるのだろう。なぜなら、大木などは赴任してきたばかりの時、自分の歓迎会で見たこの光景にひどく驚いた顔をしていたから。
「おや、みんなサワーか何かを飲んでいるのか。じゃあ、このビールはいらなかったな」
「それなら、支店長、いかがですか?お注ぎしますね」
戸田がそう言って、近くにあった未使用のグラスを支店長に渡し、そこにビールを注いだ。
支店長はグラスに口をつけてから、私たちの顔を順繰りに見て言った。
「三人とも、いつもありがとう。君たちがしっかりと仕事を回してくれているおかげで、営業の連中も代理店さんたちも、ものすごく助かっているよ。君たちの対応がいいと、代理店さんたちからはお褒めの言葉を頂いているよ」
「恐れ入ります」
私たちは揃って頭を下げた。
「普段ゆっくり話す機会を取れなくて申し訳ない。でも何かあったら、なんでも相談してくれよ」
「なんでも、ですか……?」
支店長の言葉尻を捉えて、戸田が顔を上げた。ちらりと私の顔を見る。
「そうだよ。皆んなには、気持ちよく長く働いてほしいと思っているからね」
「ありがとうございます。何かあったら、ぜひご相談させていただきますね」
久美子もちらりと私の顔を見て、支店長ににっこりと笑いかけた。
支店長が他の席に移動していってから、久美子と戸田は顔を見合わせた。
「何でも、って言ってましたね」
「言質取ったね」
「早瀬さん、例の件は落ち着いているみたいですけど、大丈夫そうですか」
「そうね。まだたまに嫌がらせ的な指示なんかはあるけど、まぁ、なんとか」
「それならよかったです。だけど何かあったら、次は支店長に即相談ですよね」
「できれば、このまま異動していただけるといいんだけどね……」
周りが賑やかなのをいいことに、私たち三人は顔を寄せ合うようにしながら話をしていた。するとそこに、大宮がグラスを片手にやって来た。
「三人で何こそこそ話してるの?」
私たちはぱっと離れて、大宮を見た。
「何って、女子同士の話ってのもあるんですよ。少しは察して下さいよ」
久美子がわざとらしく大宮にウインクしながら言った。
「うわっ、北山さんのそういうの、似合わないわ……」
「大宮さん、殴られたいんですか?」
久美子が拳を握るのを見て、大宮はあははと笑う。
「冗談だよ。冗談。それよりさ、早瀬さん、最近何かいいことでもあった?」
大宮が私の方をまじまじと見て言った。
「え?いえ、別に何も」
「ふぅん、そうなんだ?なんか綺麗になったなぁ、って思って見てたんだよね。いや、別にこれまでが綺麗じゃなかった、とかいう意味ではなくてね」