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桃side
近くの薬局を出て、急いで自宅に戻る。
橙、もう起きてるかな…。
昨夜、橙の隣でそのまま眠ってしまったので、橙が起きないうちにゼリーやら薬やらを買ったところだった。
薬剤師さんによく効く薬を教えてもらい、結局いくつも買った解熱剤を抱えて走る。
ただいま、と言いながら靴を脱ぐ。
向かいの寝室の扉が開いていて、嫌な予感がした。
桃「…! 橙!? おい橙!」
リビングに入ると、橙が血を流しながら気を失っていた。
辺りにはガラスの破片がたくさん散らばっていて、薬も混じっていた。
この薬、解熱剤じゃない…?
なんの薬だろうと思いながら肩を叩く。
桃「橙! おい橙、大丈夫か…!」
どう見ても大丈夫じゃないのに、大丈夫かとしか声をかけられない自分の無能さを憎む。
床に飛び散っている血を指で拭うと、まだ乾ききっていなかった。倒れてからそこまで経っていないのかもしれない。
橙「……いで」
唐突に小さな声が聞こえて、耳を澄ます。
橙「…すて、ない…で、桃、ちゃ…」
途切れながらも、確かにそう聞こえた。
意味がわからない。
なんで俺がお前を捨てると思ってるんだ?
愛おしくて、橙の笑顔だけが見られればそれだけでいいと思ってるのに、どうして伝わらないんだ。
桃「捨てるわけないだろ」
そう言ってスマホを手に取り、救急車を呼ぼうとした。
橙「…!? やめて救急車はやめて、やだやだやだ」
焦点の合わない目で必死に訴えられる。
桃「でもお前…」
橙「やだやだやだやだ」
ほぼ泣き叫ぶようにそう言われ、スマホを持った手を床に下ろす。
そっと首筋に触れるとビクッと震えて、熱さと共に変に飛んだ不規則な脈が伝わってきた。
やっぱり救急車呼んだ方がいいんじゃないか?
橙「やだやだやだやだやだやだ」
赤く逆上せた顔で泣きながら切実に言われる。こんなに苦しそうな橙の顔、初めて見た。
桃「わかった、呼ばないから。ちょっと身体起こすな」
首の後ろに手を回してゆっくりと起こし、自分の体にもたれかけさせる。
橙の腕を見ると、破片に傷つけられた跡以外にも、自分で傷つけたような跡もあった。
なんでこんなになるまで気づいてやれなかったんだ…。
いつも隣にいたくせに、なんでだよ。
一緒に住んだらもっと橙のこと知れるかなって思ってたのに、何も知らないじゃないか俺は。
橙「やだ桃ちゃん…すてないで、やだやだひとりはいやだ…」
赤く充血した瞳と目が合う。
いたたまれなくなって、後ろからぎゅっと抱きしめる。
桃「俺はここにいるよ」
暴れだした橙を離さないように、抱きしめる腕に少し力を込める。
橙「いやっ…桃ちゃ、どこにいるの…」
桃「大丈夫、ここにいる」
なにが大丈夫なのか分からないけど、そう言わないと橙が遠くに行ってしまう気がして怖かった。
橙「はっ、ひゅっ、ごほっ…」
苦しそうな呼吸音が聞こえる。
俺は背中をさすることしか出来なかった。
変わってあげたい。そうできればどれほどいいだろう。
橙は胸の辺りの服をぎゅっと握りしめていた。指が白くなるくらい、きつく。
そして恐ろしく軽い体重を俺に預け、そのまま眠ってしまった。
橙side
意識が覚醒するのを感じた。
病院の白い天井では無いことを祈ってうっすらと目を開ける。
よかった、いつもの家だ。
手に温もりを感じてチラッと確認すると、桃ちゃんが手を握っていた。
彼は首を下にもたげたまま、カーペットの上で眠っていた。
あのあと、どうしたんだっけ…。
倒れて、ビンが割れて、血が出て、それから…。
桃ちゃんがここまで運んでくれたんだった。
体調が悪かったのがバレたんだ。
体調不良なんて自己管理がきちんとできていないからだって、そんなことすらできないのって、親に言われた言葉が頭に浮かんだ。
そうだ、タヒなないと。
桃ちゃんに捨てられる前にタヒにたい。
桃ちゃんからの要らないという言葉が、こんなにも、タヒよりも怖い。
握ってくれていた手をそっと離す。この手の温もりだけでよかったんだ。
近くで見ていられればそれでよかったのに、多くを望んでしまった。最初は目で追っていられるだけで幸せだったのに。
いつの間にか隣にいることを望み、あわよくば好きになって欲しいなんて、そんなことありえるはずがないと分かっていても望んでいた。
掛け布団を剥ぎ取って、音を立てずにそっとベランダに近づく。ゆっくりと窓を開けた。
桃「どこ行くんだ、橙」
優しく、けれども逃がさない程度には力強く、腕を握られた。
顔を見るのが怖くて、いらないって言われるかもしれないという絶望に襲われる。
桃「熱下がってないだろ。まだ寝てな」
おでこを撫でるように触られる。
そんな大切なものを扱うような手つきで触らないで。
勘違いしてしまう。一瞬でも視界に入れたんじゃないかって期待してしまう。
いっそタヒんでくれって言われた方が楽なのに。
橙「タヒな、なきゃ…」
自分でもびっくりするくらい弱々しい声が出た。
桃「は…?」
聞いたこともない強い声色に、心臓が嫌な音を立てる。
いよいよ捨てられる。
桃「タヒななきゃってなんだ」
腕を引っ張られ、半ば強制的に目を合わせられる。
綺麗な瞳がこちらを捉えて離さなかった。桃ちゃんの口が開くのを感じて、咄嗟に耳を塞ぐ。
橙「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
桃ちゃんが何か言っているのが聞こえたが、聞きたくなくて耳を引っ掻く。
橙「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
桃「橙!!」
頬を叩かれたような衝撃が走った。
揺るがない意志のこもった大好きな人の声だ。
また目が合う。その瞳が切なげに震えた。
桃「あいしてる」
耳に当てた手がすとんと落ちる。
桃ちゃんが、泣いていた。彼の涙は初めて見た。
ぐにゃりと視界が歪み、意識が飛びそうになる。
間一髪で抱きとめられた俺は、今度は自分の頬に手を当てた。
濡れている。俺も泣いていた。
涙がぼろぼろ出てきて視界が歪む。
これ以上ないくらい、苦しいくらい抱きしめられた。
その勢いのままキスされる。何度も何度も、貪るように。
目を閉じると、めまいとは違うクラクラするような甘さが響く。感じたことのない不思議な浮遊感に溺れていくような気がした。
目を開けると桃ちゃんの伏せたまつ毛が色っぽくて、脳裏に焼き付けようときつく瞼を閉じた。
走馬灯なのかも、と思った。
自分に都合のいいことしか起きないから、走馬灯なんじゃないかと。
でも、触れる唇の感触が現実だと教えてくれた。
桃「お前のことが好きだから、だから一緒にいたい」
なんで桃ちゃんがそんなに苦しそうな顔をしているの…?
橙「……同情じゃ、ないの?」
桃「俺が、お前に同情?」
はっ、と鼻で笑うように息が漏れた。
桃「そんな安いものだと思ってたのか」
橙「それ以外、一緒にいてくれる理由が、わからなくて…」
桃「好きだって何回も言っただろ」
あれは、と言ってやめる。
勝手に同情だと思い込んでいたんだ。
彼は何度も伝えてくれていた。好きだと。大切なんだと。
どうして気づかなかったんだろうか。
桃「あーほら、目擦るな。腫れるぞ」
そっと涙を拭われる。
桃「ずっと一緒にいてくれ」
今度は、俺から唇を近づけた。