「しまった……」
駆けてきた右京は膝に手を突きながら真っ暗な校舎を見上げた。
「一番可能性の低いところに来ちまった……!」
学校になんているはずない。
でもどこを探せばいい?
蜂谷の家なんて知らないし。
こうなったら最寄り駅を探すしかないのか?
いや、そもそも探すことなんて―――。
「蜂谷……」
ーーー無理だろ。
誰かの家にいるかもしれないし。
そうだよ。
こんな時間に屋外になんているはずない。
誰かの家か、はたまたホテルか。
どちらにしろ、女といるに決まっている。
そもそも、親だって血眼になっても見つからないのに、自分が探しだせるわけがない。
交友関係もわからない。
家も知らなければ、放課後の過ごし方も聞いたことがない。
家族構成は知っていたが、そんな大企業の御曹司であることもついさっき聞いたばかりだ。
俺―――。あいつのこと、何も知らないんだな……。
右京はその事実に息苦しさを覚え、ため息をついた。
「蜂谷…」
灯りのない校舎に囁く。
「蜂谷…!」
誰もいないグラウンドに呼び掛ける。
「蜂谷―!!!」
雲一つない星空に叫ぶ。
「……うっせえ」
「!!!!!」
脇に立っていた校門が答えた。
「――――蜂谷!!」
右京は【私立宮丘学園高等学校】と書かれた校門に駆け寄った。
「お前―――。誰にこんな姿にされたんだ……!」
言いながらコンクリートでできた校門に両手をつく。
「―――バーカ。んなわけあるか」
今度は、下の方から声が聞こえた。
「………?」
右京が回り込むと、校門の陰にもたれ掛かるように、蜂谷がぐったりと座り込んでいた。
「おい……!お前こんなところで何やってんだよ……」
慌ててしゃがみこみ、顔を覗き込むが、蜂谷の目は開かない。
怠そうに首を傾けながら大きく息を吐いたきり、黙ってしまった。
「おい――ってお前、すげえ酒臭いんだけど…!」
右京は慌てて自分の鼻と口を覆った。
酒の匂いに混ざって饐えた嘔吐物の匂いもする。
「―――こんな時間まで何してたんだよ、お前は……!」
引き起こそうとするが、アルコールを含んだ身体は重くビクともしない。
「ーーー飲んでたんだよ。決まってるらろ」
蜂谷が呂律の回らない掠れた声で答える。
「じゃあなんで、こんなとこにいんだよ」
右京が睨むと、蜂谷は右手を力なく上げ、校門を指さした。
「忘れもん、取りに来た」
「忘れ物―?」
右京は校門を見上げる。
「―――持って帰るには、重いぞ…?」
言うと蜂谷は今度は突っ込まずに、面倒くさそうに舌打ちをした。
仕方なく視線をもっと上げると、校門の上に何かが乗っているのが見えた。
軽くジャンプして引き落とすと、それは通学バッグだった。
「―――なんでこんなとこに忘れんの」
呆れながら言うが、蜂谷は答えない。
「―――この酔っ払いが……ん?」
その口元を右京はもう一度覗き込んだ。
「お前、血が出てる……」
寄ると、蜂谷からは僅かに精液の匂いがした。
「――――」
蜂谷の腕が、右京の手を払う。
「触んな……お前はもう……俺に構うなよ……!」
言うと蜂谷はカクンと顔を落とした。
「近づくな。ウザい。超絶ウザい」
「ーーなんだよ、急に……」
「俺とお前は違うんだから。もう関わってくんな」
「はあ?」
「目障りだ。消えろ……」
―――こいつ。人がせっかく心配してやったのに……。
こんなべろべろになるまで酔っぱらって。
性行為の匂いをプンプンまき散らしやがって。
―――ろくでもない奴……。
右京は目を細めながら、持ったままの鞄を見下ろした。
『―――バッグの中に、A5サイズの黒いリングノートが入ってる』
永月の言葉が脳裏に響く。
―――まさか、な。
右京は視線を上げ、動く様子のない蜂谷を見下ろした。
そして軽くバッグを開けると中を覗いた。
Coachの長財布。
携帯電話。
充電器。
イヤホン。
メンソールガム。
それと―――。
「――――」
”黒いリングノート”
『ーーー彼はそれを、“出納帳”って呼んでる』
バッグを蜂谷のそばにそっと置くと、右京はそのリングノートを両手で持った。
『ーーーそこにいつ誰からいくら受け取ったか、書いてある』
ーーーまさか。んなわけないよな……?蜂谷……。
右京はそのハードカバーに指をかけると、ゆっくりと表紙を捲った。
◆◆◆◆◆
蜂谷が目を開けると、般若のような母親の顔がこちらを覗き込んでいた。
「――――」
「帰るわよ。圭人」
両サイドから抱え起こされる。
会社の人間だとは思うのだが、顔に見覚えはない。
抱えられたまま、高級セダンの後部座席に押し込まれると、いつも父の送り迎えをしている顔なじみの運転手が、心配そうに蜂谷を見下ろした。
「奥様、出発しますよ」
運転手が助手席に乗り込んだ母親にそう言うと、母親は機嫌悪そうに鼻を鳴らした。
車がゆっくりと発進する。
「とんだ恥さらしだわ」
母親の低い声が、車の空気を凍らせる。
「お父様が出張中でよかった。ホント。命拾いしたわね、圭人」
言いながら振り返る。
「恥さらしというより、あんたの場合は生き恥晒し、ね?」
鼻で笑う。
「どうして生きてんの?」
「…………」
ギロリと睨む蜂谷の視線を遮るように、左側に座っていた男がこちらを覗き込んだ。
「これ、坊ちゃんのですか?」
蜂谷のバッグを差し出す。
「ああ」
受け取って軽く中身を確認する。
―――良かった。
何も盗られてはいない。
蜂谷は目を瞑った。
アルコールで脳まで溶かされたのか、記憶がはっきりしない。
赤い悪魔のことを聞かれ、その後無理やり酒を飲まされ―――。
そうだ。右京のことまで聞かれたんだ。
あいつ、あんとき、無駄に首を突っ込むから、あんな奴らに名前を覚えられやがって。
もう関わらせないようにしないと……。
ただの生徒会長として、あいつの存在を収めねえと……。
本格的に目を付けられたら厄介だ。
だってあいつは―――。
おそらく多川やその取り巻きよりも強い。
そんな力を見せつけたら―――。
我先に取り込もうと、いろんな奴らが黙っちゃいない。
ーーーあんな細い身体してんのにな。
脳裏に浮かんだのは、なぜかTシャツにハーフパンツ姿の右京だった。
なぜだろう。
あいつの私服なんか、見たことないのに―――。
意識も虚ろだった蜂谷は、右京が探しに来たことなどとうに忘れ、そのまま後部座席のシートに頭を埋め、静かに寝息を立て始めた。
◆◆◆◆◆
右京が玄関のドアを開けると、祖母の雅江(まさえ)が飛びついてきた。
「――賢吾!!」
甘く温かい柔軟剤の匂いに包まれ、右京はやっと息をついた。
「ーー祖母ちゃん。起こした?ごめんな」
言うと雅江は抱きしめたままぶんぶんと首を横に振った。
「んねな。学校の先生から電話あって。なんか行方不明の子がいるって。おめさ話ば聞んがと思たば、おめも部屋さいねしよ」
言いながら右京の肩に顔を押し付ける。
「おめさも何があったんがと思って心配したべ…!?」
「なら携帯さ電話ければいがったのに」
右京は笑いながらその小さい体を抱きしめた。
「われっげな、祖母ちゃん。俺は大丈夫だから」
それでも雅江は右京から離れようとしない。
「おめさまで何があったら、もう……もう……!」
「んだよな。ごめん」
雅江を抱きしめる腕に力を籠める。
「安心しろ、祖母ちゃん。善人に取り入り、その腹に巣食い、骨まで喰らう蛆虫は……」
右京は靴箱の上に置いてある両親の写真を睨みながら言った。
「……今度こそ俺が、排除してやっがらよ……!」
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