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ハウスメーカーの朝は遅い。
8時半から集まった社員からなんとなく展示場内を掃除し、9時に朝礼。
終わり次第、平日は日直である営業を一人待機させ、他の社員は各々自分の仕事をし、土日は展示場を観に来る客に、営業が順番で接客する。
「早すぎた…」
いてもたってもいられず、由樹はいつもより早い8時前に会社についてしまった。
外から、レンガ風の外壁で包まれた展示場を見上げる。
まだ照明が一つもついていないモデルハウスはやけに暗く見える。
そのいつもとは違う不気味な姿に、自然とため息が出る。
とうとう、自分がゲイだとバレてしまった。
いや、違う。ゲイだったとバレてしまった。
紫雨リーダーの言葉が蘇る。
『篠崎マネージャーってさ。ホモとかゲイとか、大っ嫌いなんだって』
「はーーーーー」
腹の底からため息が出る。
「……口きいてくれなかったら、どうしよう」
由樹は大きなため息のせいで、口から飛び出した魂をブラブラぶら下げたまま、肩を落とした。
「……邪魔」
その低い声に瞬時に魂を飲み込み振り返ると、ビジネスバックを肩に引っ掛けた篠崎が立っていた。
「あ、お、おはようございます!」
「ああ」
篠崎はいつもと変わらない様子で、由樹を軽く押して自分の通路を開けると、そのまま展示場の裏口から事務所に入って行ってしまった。
(てか。篠崎さんの出社姿って見るの初めてかも)
そこで初めて、篠崎はいつも自分より早く出社していることに気が付く。
(俺への指導のせいで、帰るのだって遅いのにな……)
由樹は慌てて自分もバックを胸に抱えると、彼が消えていった事務所に急いだ。
「おはようございます!」
ドアを開け挨拶をすると、猪尾と小松が驚いて顔を上げた。
「早いっすね、新谷さん」
猪尾が微笑む。
「あ、はい」
(新人なのに、すでに仕事をしている先輩に「早い」と言わせる自分って一体……)
自分の席に滑り込むようにして座る。
と右隣にすでに座っている篠崎は、肘をつき唇に指をあて、何か考えこんでいた。
そっと盗み見ると、インテリアの見積もりを睨んでいる。
「……インテリアですか?」
おそるおそる聞いてみる。
「ああ」
篠崎は画面から視線を離さないまま答えた。
「どうしても洗面所はディズニーのクロスがいいらしいんだけど、そうすると見積もりが希望額から超えてくんだよ」
篠崎がマウスを弄ると、そこには3Dのサニタリールームが現れた。
「ツートンでいくか。そうすれば、ディズニーのクロスは半分で済む」
薄めのターコイズを選択し、下側のクロスをその色に染める。
上側には、ディズニー柄のクロスを貼る。
「わぁ」
思わず声が出た。
緑の丘から、キャラクターたちが風船を掴みながら飛び立っていくように見える。
「素敵すね」
言うと、
「却ってこっちのほうがうるさくなくて、いーよな」
そう呟きながら、篠崎はこちらを見てにやっと笑った。
篠崎がパソコンを操り、画面印刷をかける。後ろにある印刷機にチェアーを滑らせ、出てきた紙を取ると、それを由樹に渡した。
「このクロス。300×300で、サンプル発注しといて」
「はい!」
「やり方、わかるな?」
「わかります」
「よし」
言うと、また見積もりの世界に戻って行ってしまった。
その横顔を盗み見る。
昨日までと全然変わらない。
考えてみれば当然だ。
彼にとって、部下がゲイであろうがなかろうが、何も関係はないのだ。
そう思うと、自分が抱えていた戸惑いなんて、つまらない独り相撲に感じてくる。
篠崎の態度が変わるかもしれないなんて、なんて自意識過剰な考えだったのだろう。
彼は、自分がノンケだから練習に付き合ってくれたんじゃない。
自分がゲイだからって付き合ってくれなくなるわけでもない。
ただの後輩だから、ただの部下だから指導してくれたのだ。
そしてそれはこれからも、
きっと変わらない。
胃の奥には、なんという臓器があるのだろう。
由樹はそこに痛みを感じ、少しだけ前かがみになりながら、自分のパソコンを起動した。