あれから15年、湊の胃癌は一進一退を繰り返した。当初は特別な治療や入院は避けたいと言っていた湊だったが、息子の成長を見るにつれ、1日でも長く生きたいと願う様になっていた。
カコーン
「菜月」
白い灯台躑躅の垣根。春の暖かい日差しに包まれながら、グレージュヘアの菜月が、軒先に揺れるハンギングチェアで微睡んでいた。手のひらの下には、擦り切れた臙脂色の本があった。風に吹かれてはらりとページが捲れた。
「菜月、起きて菜月」
「・・・・うん」
「起きて、菜月」
湊が、その名前を優しく呼んだ。
「菜月、起きて」
「あ、湊、おはよう」
「ここで寝ちゃ駄目だよ、また咳がでるよ」
「そうね」
カコーン
「そうだ、これ玄関に落ちていたよ」
「あっ!」
湊は、色褪せた三つ葉のクローバーを、菜月の手のひらへと乗せた。
「あっ!いやだ、ありがとう」
菜月は、慌てて臙脂色の本のページを捲り、それをそっと挟んだ。
「僕からのプレゼントを無くして気が付かないなんて、悲しいなぁ」
「わざとじゃないのよ」
「わざとだったら怒るよ」
「ごめんなさい」
縁側に腰掛けた湊は、大きなため息を吐いた。
「それは、額縁に飾ったらどうかな」
「あっ!それ良いかも!」
「良いかもって、今まで気が付かなかったの」
「うん」
湊は、呆れて物も言えないという面持ちで立ち上がると、臙脂色の本の上に、四つ葉のクローバーをそっと置いた。
「えっ!あったの!」
「うん」
「すごい!すごいわ、湊!」
「僕からの、四個目の結婚指輪だよ、もう無くさないでね」
「うん」
菜月は、少女のように微笑んだ。
「ありがとう、湊」
「どういたしまして」
菜月の左の薬指には、クローバーの指輪が光を弾いている。白い灯台躑躅の垣根、ゆりかごに揺られながら夫婦は優しく口付けた。
「湊、ありがとう」
————どういたしまして
了
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