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林は鋳型で出来た両開きの門扉の片方を、少しだけ開けて身を滑り込ませると、後ろ手で音が立たないようにそっと閉じた。
外階段を上がり、これまた両開きのドアに鍵を挿し込むと、また林一人分の隙間だけ開けてそこから中に滑り込んだ。
「お帰り。清司(せいじ)君」
玄関ホールでちょうど、雑誌をまとめていた母親が振り返った。
「あ、た、ただいま」
彼女が立ち上がると、品の良いエプロンがひらりと揺れ、白い膝が覗いた。
「最近早いのね。毎晩、清司君の顔を見れて嬉しいわ」
(……嘘つけ)
「は、はは」
林はシューズクロークに掛けてある靴ベラで革靴を脱いだ。
「最近はほら、働き方を企業側が考えないといけない時代になったから。消灯時間が展示場ごとにデータ化されて本社に送られるんだよ」
客にはさっぱり言葉が出てこないくせに、母親相手にはいくらでも嘘がつける。
林は上がり框に上がると、母親の手元を覗き込んだ。
「古紙をまとめてるの?」
「そう。明日、子供会の廃品回収があるの」
「そっか。俺がやっとくよ、母さん」
言うと、彼女はどうみても母親にしては若すぎる笑顔で頷いた。
「ありがとう、清司君。じゃあ、私、ご飯温めるわね」
「あ、いいや、まだ」
いそいそとキッチンに向かう彼女を呼び止める。
「え?食べないの?」
「俺、先に風呂に入りたいから。飯は自分で温めたりして適当に食えるから、大丈夫だよ」
「あら、そう?」
彼女は少し考えてから頷いた。
「わかった。でものぼせないでね。清司君、男の子なのに、お風呂やけに長いから」
ギクリとうなじ辺りが引きつる。
「うん、気を付けるよ」
小首を傾げて微笑むと、彼女は開き戸を開けて、リビングの方へ入っていった。
「清司か?」
奥から父親の声が聞こえる。
「そう。今帰ってきて。古紙をま――――」
ドアが閉まりきり、二人の会話は聞こえなくなった。
(無理して俺にまで、そんな100点満点の笑顔を振りまかなくていいのに……)
古紙をそろえながら冷めたことを思い、林はため息をついた。
父親は県庁に勤めている。
帰りはいつも7時前だ。
すぐに風呂入り、7時半には夫婦の夕食が始まる。
これは5年前、新しい母親が嫁いできてから変わらない、彼らのルーティーンだ。
そこに林がいようが変わらない。林がいまいが構わない。
二人の生活には、林は必要ない。ただし邪魔でもない。
「そんな近い場所に勤めるなら、家から通いなさい」
就職した3年前に父親が言った言葉が、未だに効力を持っている。それだけだ。
「………」
ブクブクと鼻のすぐ下まで湯船に浸かった。
林の実の母親が死んだのは、彼が9歳の時だった。
それから父親と、父方の祖母と暮らし始めたが、その祖母も10年前に病に倒れあっけなく亡くなった。
5年間、父親は必死で自分を育ててくれたし、感謝している。
(でも、せめて、もう少し……)
腹の底からため息が出る。
(年のいった“母さん”にしてくれたらよかったのに……)
林の新しい母親の智花(ともか)は、今年30歳になったばかりだった。
エプロンから覗く白い脚を、屈んだ時に少しだけ見えた胸元を、向けられた色っぽい笑顔を思い出し、どうしても身体が熱くなる。
「………ダメだ」
(今日はそんな気分じゃなかったのに……)
林は浴槽の縁に腰かけると、熱い息を吐きながら、自分のソレを握った。
寝室は夫婦の寝室の隣にある。
夜の情事を聞きながら、一人でするなんて絶対に嫌だ。
だから林はいつも風呂でその行為をする。
少しくらいの音がしても寝付けるように。
僅かばかりの声が漏れても起きないように。
「………、………っ」
思い浮かべるのは智花の細く長い脚であり、古紙をまとめる白い指であり、柔らかそうな胸元だ。
「………ッ!」
徐々に手を早く、強くしていく。
「ッ……!………!」
もうすぐ……もうすぐで――――。
『25歳で童貞とか笑えねぇから』
突如、あの声が、あの顔が脳裏に浮かぶ。
「っ!!」
はだけたシャツから見えた、あの白い―――智花よりももっと白い鎖骨を思い出す。
首筋に2つ並んだキスマーク。
昨日は確かに1つだった。
今日、増えていたということは、昨夜、紫雨は誰かと……。
林が帰るのをちらりと見上げて興味なさそうに手を上げた彼の顔を思い出す。
もしかしたら、今夜も彼はまた、煙草を吸う誰かと……。
「うっ…。んっ…」
林は欲望を吐き出すと、呼吸を繰り返した。
髪の毛から垂れた水滴が太腿に弾ける。
「はー………」
眉間に皺を寄せながら深く長いため息をつく。
「………ホント、どうかしてるって………」
“母親“で勃つのも、
“上司”で抜くのも、
どうかしてる。