「レイ様、アラン様が到着されました」
執事が扉の外で静かに告げる。
レイは執務机の前でペンを走らせていたが、その手を止める気配はない。
俺はその横に立ちながら、ちらりとレイの横顔を伺う。
「……アランが来たか」
レイが短く息を吐く。
普段感情をあまり表に出さないレイが、わかりやすく不機嫌な気配を見せた。
いつもの彼なら、冷静に受け流すところだが……今日はそうもいかないらしい。
「……やっぱり、あまり会いたくない感じ?」
俺が尋ねると、レイは軽く眉を寄せる。
「用がなければ顔も合わせたくない相手だ」
「あー……察した」
俺は少し肩をすくめた。
レイがここまで嫌がるってことは、相当厄介なやつなんだろう。
今日、ここにやってくる人物はアラン=エヴァンス。あのアルベルトの息子だ。
つまり、レイとは従兄弟に当たる。
俺は昔からここに出入りしているけれど、その従兄弟とやらには会ったことがなかった。
扉が静かに開き、黒のロングコートを羽織った青年がゆっくりと入ってきた。
その立ち姿は凛としており、王都の貴族らしい品の良さを漂わせている。
俺は一目でそれがアランだとわかった。
なぜならその面立ちは、レイと似ていたからだ。
「久しぶりだね、レイ兄さん」
アランは柔らかく微笑みながら歩み寄ってくる。
けれど、その微笑みの奥にはどこか冷ややかなものが隠れていた。
「ああ、久しいな」
レイが短く応じるが、目線は冷たい。
「今日は何の用だ?」
レイが言葉を投げかけると、アランは肩をすくめる。
「父がいなくなってから、領内の様子を見に来たんだよ。エヴァンス家の人間としてね」
「アルベルトは正当に裁かれた。もうお前がフランベルクに出入りする理由はないはずだ」
「……相変わらず手厳しいね」
アランは軽く笑うが、その視線がすぐに俺へと移る。
値踏みするような鋭い目つきだった。
「君が……カイルだね?」
「……お初にお目にかかります」
俺は少しだけ身構えながら答える。
「レイ兄さんの伴侶になったと聞いたよ。まさかエルステッド家の次男がね……驚いたよ」
「別におかしくはない。エルステッド家とならばつり合いが取れているだろう」
レイが冷ややかに言い放つが、アランはどこ吹く風だ。
「いや、そういう意味じゃないよ。ただ──」
アランが俺に近づき、わざとらしく顔を覗き込んでくる。
「エヴァンス家の血を引く者が、レイ兄さんに仕える側になるとはね……。皮肉なものだよ」
「……」
俺は少しだけ眉をひそめる。
アランは知っているのだ。俺の母がエヴァンス家の血を引くことも、レイと親戚関係にあたることも。
俺の母であるレイラ=エルステッドはレイの母上であるセリア様の妹に当たる。
二人の姉妹はエヴァンス家の遠縁であり、レイと俺はそこそこ血の濃さがあったりもするのだ。
……なんだろうな。この男の考え方としては**「伴侶=仕える存在」**って発想なんだろうか。
だとすれば、だいぶ失礼な話だ。
(……むしろレイの方が俺を溺愛して尽くしてくれてるんですけどね⁈)
心の中でつっこむが、口には出さない。
それを言ったらこの場がややこしくなりそうだし。
「確かに君はふさわしい。だけど……僕から見れば、それが余計に面白くないんだよ」
アランは静かに呟く。
「面白くない?」
俺が尋ねると、アランは目を細める。
「僕だってエヴァンス家の血を引いている。けれど、フランベルクを継ぐことはできなかった。……レイ兄さんが当主だからね」
「それは当然だろう。エヴァンス家は基本的に長子相続なのだから」
レイがきっぱりと返す。
「それもあるけれど、兄さんが有能だからだよ。そこは認めているさ。だけど──もし君がいなければ、状況は変わっていたかもしれないな」
アランの言葉に、背筋がゾクリとした。
こいつ、俺をレイの弱点として見てる……?
「カイルは俺の伴侶だ。それは揺るがない」
「はは、そういうところが兄さんらしいね」
アランは軽く笑ってみせるが、その視線には得体の知れないものが滲んでいた。
「でも、貴族社会では何が起こるかわからないものさ。正当な血筋の者が、突然心変わりすることもある」
「俺がカイルから他のもの心変わりか。なかなか面白い冗談だな?アラン」
レイが厳しい声で落とすと、アランは少しだけ目を見開いた後、愉しげに微笑んだ。
「いや、そういうわけじゃないさ。ただ、少しだけ……レイ兄さんの隣に立つ君がどんな人物か、気になっただけだ」
「気を引こうとしても無駄だ」
レイがピシャリと遮る。
「そうかな? 兄さんは大丈夫でも……彼はどうかな?」
アランが挑発するように囁くと、レイが一瞬で隣に立っていた俺の身体を引き寄せた。
「カイルはお前の手の届くところにはいない」
レイの手が俺の腰に回る。
それを見たアランは笑みを歪んだものに変えた。
「……そろそろ失礼するよ。兄さんの愛情は十分理解できたからね」
アランはそう言い残して、軽く一礼し、部屋を後にした。
去り際、俺に向かって小さく手を振る姿が、どこか不気味だった。