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寂しい
いつからだっけ、
いつからでもない、気づいたらそうだった
小学生の高学年ぐらいの頃にペットが亡くなった時、何かがオレの中で消えた
なにが消えたなんて分からない、けど
その時、思ったのはただ1つ
それだけが頭に浮かんだ
ペットが亡くなったことに対して泣いている
俺を抱きしめている母の腕の中で思ったことが
死にたいだったなんて、今の俺にもなんでそう思ったのか、急にどうして死にたくなったのか
1ミリも分からなかった。
それからは、ずっとずっと死にたいを毎日思いながら、生きていた。
日が過ぎていく度に俺はネガティブになって言った。そして、友達の前でも演技を無意識にするようになった。今までは楽しかったなのに
今じゃ、楽しい 幸せ その言葉を思うことは一度も無くなった
自分がもっと悪化したのは、中学校に入ってからだった
他の学校とは違い、うちの学校は小学校から
そのまま人は変わらず、中学校に上がる学校だったので、はじめましてが居なかった
中学校では、勉強が難しく、毎日毎日勉強に
追われる日々だった、毎日勉強して努力してもテストの結果にはその努力は全く出なかった
その性か、母や友人には全く勉強していないのだと思われ、馬鹿扱いされた。
元から小学生の頃からされていたが、もっと酷くなった。友人の中でもいじりが過ぎている人も居た、それも俺は受け止めて決して怒らなかった。
部活は、先輩に誘われ、親にも入れと言われたのでバスケ部に入った。まぁ、運動神経が悪いわけでもなかったのでそこそこ出来た。
けれど、顧問は1年生には筋トレばかりやらせて、バスケの技術は教えてもらえなかった。
2年生になり、勉強はますます難しくなった
やっぱり努力しても、結果には出なかった
だから、俺は努力するのを辞めた
そうすれば、何言われても受け止められると思ったからだ。
部活は、顧問が変わり女性の顧問から男性の顧問に変わった。男の顧問は、とにかく部活に熱くて他の生徒からも嫌われていた
男の顧問は、女の顧問とは違く、筋トレより
技術を俺たちに教えてくれた。けれど、熱心すぎて、俺たちには少し苦手な先生だったため部活は楽しめなかった。俺と同じ部活に入った親友は男の人が苦手で、加えて熱のあるめんどくさい顧問だったため、楽しかったバスケも楽しくなくなったと言って部活を辞めた
俺も正直辞めたかったが、そんなの親が許すはずないので、辞められなかった
ある日、俺は母親に姿勢のことで怒られた。
俺の母親は言い返したりすると、面倒なので
俺は、言い返さず「うん」「ごめん」「はい」を言うだけにしていた、そして俺の態度にイラついたのか、母は、ついに本音を言った。
そう言われた。その後まずいと思ったのか
母は言い直して、「明るいぐらいしか良いところ無いでしょ」と言った。本当は思って居ないだろう、けどそんな言葉も頭には入らず
俺は何も考えられなかった、感情が全く無くなったような、悲しいも怒りも何も感じなかった、とにかく死にたいそれを頭の中で繰り返していた、怒られた後、自分の部屋で俺は
悲しいとも感じていなかったのに、何故か
泣いていた。止まらなかった。とにかく泣いて
隣の兄の部屋に聞こえないように、口を抑えてずっとずっと泣いた。
それから数日たったころ、俺は母と喋っている時、「俺は〜、、」と一人称を俺と母の前で言ってしまった、一人称を自分は俺と言っているが、本当は俺じゃなく私なのだ、ゲイとかでもなく何となく、自分が俺って言うのが自分らしく感じていた。母以外の前では一人称を俺と言っていたのでつい俺 と言ってしまったのだ
母親は、俺に対してとても怒った。
「気持ち悪い」「恥ずかしい」「直せ」と、言って怒った。「分かった、ごめんなさい」と言ってその話は終わった。
なんだか、だんだん感情も無くなっていき、
死にたいと毎日思いながら生きてきた。
毎晩、自分の悪いところばっかり考えしまい
自分を責め続ける日々
そこから、
長い文章読んで頂きありがとうございました。
この話は、本当の話です。厨二病、妄想激しいなどを思う方もいるかも知れませんが、本当の話なんです。
これからも、俺に起きた事を書いていきます。
また、見ていただけたら、嬉しいです。